「ライオンの餌」というブログ開設、松島トモ子の人生は想像以上に動物と縁深かった...!

「ライオンの餌」というブログ開設、松島トモ子の人生は想像以上に動物と縁深かった...!

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/02/23
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ライオンとヒョウに襲われて死にかけた――そんな稀有な経験を持つ松島トモ子がブログを書いていることをご存知だろうか。その名も「ライオンの餌」。「ライオンの顔が目の前に」「傷だらけの生還」「私を咬んだあのライオンは今」……タイトルを拾うだけでも、興味がそそられる。この“事件”が広く知られる松島はそもそもどのような人生を歩んで来たのだろうか。

デビュー作は『獅子の罠』

獅子の罠、獅子文六アワー、流賊黒馬隊、小鳩ひとみ……。

ケニアで野生のライオンとヒョウに襲撃された経験を持つ松島トモ子は、不思議と動物に縁深い人生を送ってきた。

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3歳の時、『石井漠舞踊研究所』というバレエ教室に入門。その稽古風景が“小さな豆バレリーナ”としてニュースになり、劇場で上映された。それを見た“天下のバンツマ”こと俳優の阪東妻三郎にスカウトされ、4歳で映画『獅子の罠』(1950年)に出演。デビュー作で『獅子=ライオン』に襲われるシーンがあった……のか。

「まだ幼かったからストーリーの細部までは覚えてないのですが、ライオンは登場しないですよ(笑)。冤罪に巻き込まれた息子を救おうとする老刑事の物語だったそうです。のちにタイトルに気付いて、笑いましたね」

デビュー1年目には、早くも主演映画が企画される。製作の大映は松島をスターにしようと考え、ある芸名を付けようとした。

「当時、まだ若かった美空ひばりさんや白鳥みづえさんが売れていたんですね。だから、鳥に関する名前にすれば、人気が出るという安易な発想があったようで、『小鳩ひとみ』と考えたそうです。小さいから『小鳩』、目が大きいから『ひとみ』。本名の『松島奉子』だと、漢字4文字でかわいくないと思われたみたいですね」

大映は松島の母親を製作室に呼び、黒板にチョークで『小鳩ひとみ』と大きく書き、〈今度からこの名前で行くから〉と決定事項のように告げた。すると、母が〈いやいや、とんでもない。子役を続けるかも決めてないですから〉と拒否。それでも、大映は〈今度の映画で、ともこちゃんは大スターになるに違いないから〉と食い下がった。

「結局、『奉』をカタカナにするという妥協案で落ち着きました。鳥が当たったから、また鳥というのもねえ。いかがなものかと(笑)。美空ひばりさんのような大スターなら、何歳になってもいい名前だなと思うけど、私程度のもので『小鳩』と言われてもねえ。あの頃は、本名で活動される方はあまりいなかったと思います」

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戦後の混乱期に部数を伸ばしていった人気芸能誌『平凡』(1951年9月号)の【第一回映画スタア男女別人気投票ベストテン】を見ると、1位:津島恵子(倉成直子)、2位:高峰三枝子(鈴木三枝子)、3位:原節子(会田昌江。以上、カッコ内は本名)を始めとして、女優10人は全て芸名。本名とステージネームを分ける時代だったのである。

寸前で“小鳩ひとみ”を免れた松島は、初の主演映画『母子船』で祖父と犬とともに旅をする少女役を演じた。市川右太衛門主演の『流賊黒馬隊』や嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗』では颯爽と馬に飛び乗っている。

「当時は子供と動物をテーマにした映画が多くありました。犬とも仲良かったですし、馬に乗るのも上手かったみたいです。落馬しても、すぐ尻尾に捕まって這い上がったと聞きました。ある撮影で、牧場で何頭もの牛に囲まれてもニコニコと笑っていたそうです。自分が好きだと思えば、相手も好きになってくれる。単純なことだと思うんですけどね。動物は人間の気持ちがわかるのかな。といっても、野生のライオンやヒョウには通用しなかったけど(笑)」

周りには常に動物がいた

1953年にNHKと日本テレビが開局し、その2年後にはTBSが誕生。1958年には、映画館の入場者数が年間11億人とピークに達した。

松島は子役として日テレの獅子文六アワー『悦ちゃん』で主演を務め、映画『月光仮面』や『快傑黒頭巾』シリーズなどに出演。歌手としても映画主題歌や『おもちゃのチャチャチャ』など誰もが知る曲を吹き込み、月刊誌『少女』の表紙を10年間も飾り続けた。平成初期の安達祐実、平成後期の芦田愛菜のような超売れっ子の子役だったのだ。

幼くして“スタア”の称号を得た松島は、その代償としてありふれた日常を奪われた。家、学校、仕事場を行き来するだけで、友達と遊ぶ時間はない。修学旅行や遠足などの学校行事も「人だかりができるから」と参加させてもらえなかった。そんな彼女の楽しみは、動物と戯れることだった。

「当時、庭の広い家に住んでいて、メリーゴーランドのような大きく丸い鳥籠に孔雀鳩など数百羽を飼っていました。朝、お手伝いさんが鳥籠のカーテンを開けると、一斉に鳥たちがお目覚め。私が鳥かごに入ると、いろんな鳥が私の肩に止まったり、手に乗ったりして、いつも一緒に遊んでいました。犬や猫、熱帯魚も飼っていたし、周りには常に動物がいましたね。一人っ子だからかしら」

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上野動物園の国民的な人気者とも懇意になった。1951年にアメリカから来園した雌のチンパンジーであるスージーは、野外劇場で一輪車や綱渡りを披露し、園長から10円をもらうと売店でお菓子を買うなど芸達者な動物として知られた。1956年には、訪問した昭和天皇と握手を交わしたほどだ。

「まだ6歳の私とちょうど背丈が同じくらいで、一目見て『ああ、かわいい』と言ったらしいんですね。スージーは、その言葉をえらくお気に召してくれたようです。開演中に行くと人が集まってしまうので、閉園後に飼育係の方がこっそりと対面させてくれました。2人でお絵描きなどをして、姉妹のように一緒に遊んでいました。大きくなって、動物園で人前に出せなくなっても、飼育係の人が『スージーはトモ子ちゃんを一番好きだから』と特別に会わせてもらっていました」

松島は陸生だけでなく、水生動物とも触れ合っている。1980年代前半、テレビの企画で三重の鳥羽水族館を訪れ、アシカのトレーナーを体験した。

のちに池袋サンシャイン水族館のリニューアルなどを手掛ける水族館プロデューサーの中村元氏が「アシカのそばに近寄らないでください」と注意事項を伝える前に、松島はアシカの口の中に手を入れ、周囲を唖然とさせた。なぜ、自ら危険な行動を取ったのか。

「いや、わかんないですよ。なんか入れてみようと思ったんじゃないですか(笑)。中村さんは今でも『すごい人がいるもんだなと驚いた。アシカもビックリしちゃって、噛み忘れたんだよ』と冗談をおっしゃっています」

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「それでも私はライオンが好きです」

動物を信じ、愛し続けた松島に悲劇が起こる。

1986年1月28日、ドキュメンタリー番組『TIME21』(日本テレビ)の撮影で訪れたケニアでライオンに襲われ、10日後にはヒョウに噛まれた。

2月17日、頭を包帯で巻き、首にコルセットを付けた姿で帰国すると、成田空港はワイドショーの芸能レポーターでごった返しした。記者会見で〈これで動物嫌いになりませんか?〉と質問されると、〈それでも私はライオンが好きです〉と答えた。

「ヒョウは後ろから首を襲ってきましたから命を狙っていたのだと思います。でも、ライオンは悪意があったようには感じなかったものですから」

なぜ、松島は動物に好まれるのか。上野動物園や多摩動物公園の園長を務めた中川志郎氏(2012年逝去)は、彼女を“アニマル・パースン”と分析していた。

〈多くの動物が違和感を抱かない人間を指す言葉です。訓練すれば云々というものではなく、先天的にこういう資質を備えた人間がいるんです〉(1986年2月27日号・週刊文春)

復帰後、『ミネラル麦茶』の関連CMで〈もうすっかり元気になりました。ありがとうございました〉と頭を下げた。〈世界中どこへ行っても、ミネラル麦茶のおかげでスリムで元気〉と話す松島の背景映像には、なぜかアフリカのライオンも映されていた。

「会見のあとかしら、『3時のあなた』(フジテレビ)で司会の富司純子さんが『どん底』を間違えて、『松島さんも失意のずんどこです』とおっしゃったそうですよ(笑)。その後、コマーシャルが入り、ナレーションで『提供はライオンはみがきでした』。視聴者はひっくり返ったそうです」

動物好きの彼女にとって、ライオンとヒョウに襲われた出来事はあくまで例外に過ぎなかった。しかし、命を失ってもおかしくない惨事に巻き込まれれば、普通なら思い出したくもないはずだ。それでも、松島トモ子は悲劇を笑い飛ばし、喜劇に変えている。生まれながらの女優の矜持なのかもしれない。

【後編】 死んだと思った…松島トモ子がいま明かす「ライオンとヒョウの襲撃事件」の真相

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