アイルトン・セナをF1王者に導いた名車。根底にある本田宗一郎の言葉

アイルトン・セナをF1王者に導いた名車。根底にある本田宗一郎の言葉

  • Sportiva
  • 更新日:2021/02/23

ホンダF1名車列伝(3)
マクラーレンMP4/4(1988年)

世界に飛び出した第1期(1964年〜1968年)、エンジンメーカーとして黄金期を築いた第2期(1983年〜1992年)、フルワークス体制で再び挑んだ第3期(2000年〜2008年)、パワーユニットのサプライヤーとして復帰した第4期(2015年〜)。どの時代にも、ホンダの冠を乗せた名車があった。2021年シーズン限りでホンダがF1から撤退する今、思い出に残る「ホンダらしい」マシンを紹介していく。

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マクラーレンMP4/4を操るアイルトン・セナ

70年に及ぶF1世界選手権の歴史のなかで、マクラーレン・ホンダMP4/4は「最もアイコニックなマシン」のひとつとして、圧倒的な存在感を放っている。

16戦15勝という随一の勝率を誇っているだけでなく(2002年のフェラーリは17戦15勝)、そのマシンパッケージとしての独創性と完成度の高さこそ、MP4/4が最も魅力的なマシンの1台とされる理由だろう。

1980年代に隆盛を極めたターボエンジンは、1988年かぎりで終わりを告げる。その集大成とも言えるマシンだった。

当時はまだ、カーボンモノコックへの移行期であり、前年度1987年までのマシンは、今見れば驚くほどぼってりとしたノーズとモノコックの形状をしていた。そのなかでMP4/4は極めてスリムなノーズをまとい、それ以降のF1マシンのデザインを大きく変える存在となった。

車体パッケージとしては、徹底的な低重心化と低ドラッグがコンセプトとされ、チーフデザイナーとして新加入したゴードン・マーレイがブラバムで進めて来た設計思想をさらに推し進めたものだった。ドライバーはかなり寝そべるような姿勢で着座し、それでも両肩が露出するほどモノコックとサイドポッドは低い。

ターボエンジンへの締め付けとして、決勝での燃料使用量制限は195リットルから150リットルへとさらに規制が強化された。だが、それによって燃料タンクを小さくできることを逆手にとり、実現させたコンパクトで低重心のマシンパッケージは、見事に新時代を切り拓いた。

ホンダも、そのマシンコンセプトに合わせた。クランクシャフトセンターを28mmも下げ、クラッチとフライホイールの小径化もあって、全高は50mm以上も低くコンパクトなRA168Eエンジンを作り上げた。

さらにターボの過給圧は、1987年の4バールから2.5バールへと大幅に規制が強化された。燃料規制と相まって、エンジンメーカーにとっては極めて厳しい条件となった。

だが、ほかのターボエンジンメーカーがこの規制適応に苦戦するなか、ホンダは新開発の低燃費ハイパフォーマンス技術を投入して、これに対応してみせた。コンパクトで低ドラッグな車体が燃費に貢献したことは言うまでもなく、まさしくマシンパッケージとしての勝利だった。

1988年かぎりでのターボ禁止も含めた"ホンダいじめ"とも言えるレギュレーション改正に対して、ホンダ内では反発の声やF1からの撤退を訴える声もあった。しかし、ホンダ創業者・本田宗一郎が「それはホンダだけなのか? 全員が同じ条件で戦うならいいじゃないか。それで勝ってこそ、ヨーロッパの人たちに評価されるじゃないか」と技術者たちを鼓舞したという。

その根底にあったのは、自分たちが挑戦者であり、技術と結果でそれを認めさせるんだというチャレンジスピリットだ。

MP4/4が完成したのは開幕戦のわずか11日前であり、開幕前テストの最終日にシェイクダウンを行なったのみで開幕戦ブラジルGPに臨まなければならなかった。それでもMP4/4の完成度は極めて高く、周回遅れとの接触で第12戦イタリアGPの勝利を失ったのを除けば16戦15勝。実質的にすべてのレースで圧倒的な速さを見せた。

この年のマクラーレンにはデビュー5年目のアイルトン・セナが加入し、それまでロータスで見せていた速さの片鱗を完全に開花させた。

それまでのセナは、予選を中心に光る速さを見せ、時にはマシンの実力以上の速さで勝利を挙げてきた。1987年にはセナの切望を受けるかたちでロータスがホンダ・エンジンを獲得し、セナの走りを目の当たりにしたホンダもその才能に惚れ込み、ホンダとセナの相思相愛関係が始まった。

ホンダ・エンジンを欲したマクラーレンに対し、ホンダはセナの起用を条件としたという。モンツァで行なわれたマクラーレンとホンダの供給発表記者会見に、セナが同席してセナの加入も合わせて発表されたことからも、ホンダとセナの関係の強さがうかがえた。

新加入のセナは3度の王者アラン・プロストに対し、2戦目のサンマリノGPですでに予選で0.7秒も速いタイムを刻んでみせた。そして同じホンダ・エンジンを積む3位のネルソン・ピケ(ロータス)には3秒もの大差をつけた。車体、エンジン、そしてドライバーの腕と、すべてにおいて突出した速さを兼ね備えた組み合わせだった。

だが、第3戦モナコGPで、2位のプロストを1分近くも引き離して独走状態だったにもかかわらず、プロストがファステストラップを刻んだという事実に揺さぶられ、必要のないプッシュをしてクラッシュし、痛恨のリタイア。その後もプロストのレース巧者ぶりを見せつけられ、そこから学び、セナはただ速いドライバーから速くて強いドライバーへと成長していった。

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そしてホンダの地元・鈴鹿で、セナはポールポジションを獲得しながらもスタートでのエンジンストールを喫す。しかし、13位まで後退しながらも小雨がパラつく難しいコンディションのなか、猛烈な追い上げで大逆転勝利を収め、タイトル奪取という劇的な結末。初のドライバーズタイトルを獲得した。

ホンダにとっても、地元・鈴鹿で悲願の初優勝だった。

マクラーレンとホンダ、そしてホンダとセナの伝説は、ここから始まった。日本、ブラジルというヨーロッパの外からF1に挑戦し、様々な不利や迫害と戦いながらもがき、技術と才能と情熱で戦い抜いて頂点に立った。そのストーリーに日本中が感動し、日本はセナとホンダを中心とした一大F1ブームへと突入していった。

そして間違いなく、MP4/4はF1の新たな時代を作るマシンとなった。まさにホンダのチャレンジスピリットが昇華したシーズンと言えた。

(つづく)

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

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