「怖い絵」展開催までの悪戦苦闘

「怖い絵」展開催までの悪戦苦闘

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/11/12
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スプラッターやグロテスクではない「怖さ」

「怖い絵」展をやりませんか、と産経新聞の藤本聡さんから提案されたのは7年ほど前。兵庫県立美術館で講演をした後の雑談中だったので、いいですね、と答えはしたものの、あまりリアリティはなかった。

それから2年後、つまり今から5年前、再び藤本さんから今度は本気のお話しがあった。兵庫県美の学芸員、岡本弘毅さんも加わり、ここに――後にして思えば――3人の戦友によるちっちゃな師団が結成されたのだ。

最初は闇雲という感じだった。コネクションのつけられそうな美術館のリストを見せられ、わたしが次々欲しい作品にチェックしてゆく。後で藤本さんが言うには、よくもまあ貸してくれそうもない作品ばかり選ぶものだなあと思った由。

そうこうするうち、拙著でも扱ったドレイパーの「オデュッセウスとセイレーン」、ビアズリー「サロメ」、ホガース「ビール街とジン横丁」、ゴヤ「戦争の惨禍」が借りられた。

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ウィリアム・ホガース「ビール街とジン横丁」より《ジン横丁》1750-51年 エッチング、エングレーヴィング・紙 郡山市立美術館蔵©Koriyama City Museum

他にターナー、ルドン、ムンクと著名画家の作品もそろったし、日本ではほとんど知られていないが強烈で現代的な作風で人気が出ること間違いなしのモッサの、しかも代表作2点(「飽食のセイレーン」「彼女」)が、入手できたのは僥倖だった。セザンヌの初期作品「殺人」も衝撃を与えるだろうし、近年、彼こそ切り裂きジャック本人と名指しされたシッカートの、それも文字通り「切り裂きジャックの寝室」まで借りられた。

なかなかのラインナップと思いつつ、しかし成功する展覧会には絶対に「顔」が必要だ。それは玄人も素人も、老若男女全てを、一目で有無を言わさず惹きつける作品でなければならない。美しくて怖い、そのことが一瞬で見てとれる作品でなければならない。

『怖い絵』の「怖い」が血まみれのスプラッターや目をそむけるグロテスクではなく、美術作品として完成されていて、なおかつそこにはまだ謎があり、何だろう、知りたい、ずっと見続けていたい、と思わせるものでなければならない。

できればそれは『怖い絵』シリーズ全5冊の表紙のうち、まだ来日していない作品が望ましい。となると、ドラロ―シュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」をおいて他にはないのだった。

これだ!――我ら師団は一致した。

藤本さんの悪戦苦闘が始まる。所蔵先のロンドン・ナショナル・ギャラリーは、まず作品自体が大きすぎる(3m×2.5m)ので運べないだろうと言う。それに関してはヤマトロジスティクスの優れた美術品担当部の実力が通じてクリアされた。

次に「ジェーンを見に年間600万人が来館するのに、半年も貸せない」と言う。そこを値段交渉から何から粘りに粘ってようやく担当者の首を縦に振らせたはいいが、なぜか契約書にサインしてくれない。なんとそこから1年以上宙ぶらりんとなるのだ。館長がOKしてもサインしない。

一難去ってまた一難

極悪非道のわたしは「ジェーンが来ないなら『怖い絵』展はやらない」と告げ、追いつめられた藤本さんは、もし借りられなかったら失踪しようと思ったという。

この最悪の時期は、後からわかるのだが、三者三様に足掻いていた。藤本さんは「怖い絵」展というタイトルを下ろし、今集まっている作品で別の名の展覧会にしようかと岡本さんに相談。岡本さんはそれは絶対にだめだ、と答えたものの、内心で「怖い絵」とは付けてもサブ・タイトルに「19世紀におけるなんとかかんとか」と学術性を持たせようかと考えていた由。

私はといえば、KADOKAWAの担当、藤田有希子さんに、あまりに苦労が多いから展覧会はしたくないと愚痴をこぼし、いつも冷静な彼女を仰天させていた。師団がばらばらになりかけた時期とは言える。

しかしついにとうとうやっとこさっとこ、ロンドン側が契約書にサインしたのだった。夜に知らせを受けた藤本さんは(デスクの前で雄叫びをあげたという)喜び勇んでわたしに電話。

ところがわたしは「ああ、そうですか」と気の無い返事。傍から見ると全く人非人の所業だが、弁解させてもらうなら、呆然としてしまったのだ。これからものすごく大変なことになる。このプロジェクトが失敗したら、どれだけの人に迷惑をかけることか(そうなったらこっちまで失踪だ)、「怖い絵」展は怖い。恐怖で受話器を持つ手が無感覚になっていた。

ジェーン初来日が決まり準備佳境の開幕4ヵ月前、思いがけないボーナスがあった。フュースリ「夢魔」の小型ヴァージョン版の貸し出しにアメリカからすんなりOKが出たのだ。もうダメかと諦めていた岡本さんは、これに先立ち、せめてこの作品の当時の世界的影響力を知ってもらいたいと、私費で版画入り古書を2冊も購入してくれていた。何という熱意。彼が購入した古書も本展でガラス・ケース入りで展示してあるのでぜひ見てほしい。

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ヘンリー・フューズリ 《夢魔》 1800-10年頃 油彩・カンヴァス ヴァッサー大学、フランシス・リーマン・ロブ・アート・センター蔵 © Frances Lehman Loeb Art Center, Vassar College, Poughkeepsie, New York, Purchase, 1966.1

ついでながら岡本さんはキャッチコピーの才人で、以前の「だまし絵展」での「わが目を疑え!」もすごかったが、今回のジェーンの「どうして。」も彼の作品。まさにこれ以外に考えられない優れたコピーだと思う。

エロスて何や、走れメロスのことか?

なかなか決まらなかった東京の美術館もようやく決定した。ジェーンはたいそう上背があって大きな壁が必要なので、寸法も測り、全て大丈夫と日程も確定し、契約も締結という時になって……こんなこともあるのかという、間抜けな事態が発生。壁には飾れても、入り口からの搬入通路の天井が低くて通れないということがわかったのだ!

全てやり直し。また藤本さんの大奮闘。

もはや東京展のあとで兵庫県美という順番には間に合わなくなっていたので、順を逆にして、上野の森美術館での秋からの開催が、改めて決定したのだった。やれやれ。だがこの件に関しては、わたしとしては上野でむしろ良かったと思っている。というより、「怖い絵」展の話があった時真っ先に頭に浮かんだのは、上野に「怖い絵」という看板が立っているイメージだったのだ。終わりよければ全て良し。

しかしまだ終わっていなかった。兵庫県美での開催日数日前、緊急メールがきて曰く、「ロンドンからアムステルダムへの輸送途中、事故でトラックが引き返した」。

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ポール・ドラローシュ 《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 1833年 油彩・カンヴァス ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 Paul Delaroche, The Execution of Lady Jane Grey, © The National Gallery, London. Bequeathed by the Second Lord Cheylesmore, 1902

まさかジェーンに何かあったのではと気を揉んだが、単に道路渋滞に巻き込まれて予定の飛行機に間に合わなかったということと判明。ほっとした。2日遅れで到着。もちろんこの2日のロスは小さくなかった。展示現場は深夜作業となり、すでにストレスで5キロも太っていた岡本さんは、足にできていたマメがつぶれて血まみれに……。車椅子で働いた。

開催後も実にいろんなことが起きている。

音声ガイド機器が足りなくなって急遽倍増させたり、グッズの「黒い恋人」やサロメのマグカップが品切れになって補充に大慌てしたり、1時間も並んだのだから閉館時間を過ぎてももっと見たいと要求する人(気持ちはすごくわかります)の対応に追われたり、小学生にヌードを見せてけしからんとクレームがきたり。

最後のに関連して、ちょっと可笑しいツィートを読んだ。音声は全て私が書き下ろしたのだが(朗読はすてきな声の吉田羊さん)、まさか小学生が音声ガイドを聴くことまで想定していなかったため、「エロス」だの「恍惚」だのという言葉も使ってある。すると小さな子が会場で、「お母さん、エロスて何や、走れメロスのことか?」と聞いていたのだそうだ。お母さんの返事が知りたかった。

それもこれも来場者が多いことの嬉しい悲鳴ではある。兵庫では51日という短期間、さらに最終の3日間は台風の直撃にみまわれながらも27万人以上の方が見てくださり、この美術館歴代3位(一日あたり入場者数では歴代2位)の記録になった。

現在開催中の上野の森美術館でも、初日から3週間目で入場者数10万突破セレモニーを行った。連日の賑わいはほんとうに嬉しく、ありがたく、寒い戸外で並んでくださる方ひとりひとりにお礼を言いたくなる。本館が狭いため、ゆったり見られないのも申し訳ない。

それでも自分の心に刺さる作品は、きっと周りの喧騒を忘れさせるほどに迫ってくることだろう。そんな体験をした人が多かったからこそ、口コミでここまで話題が広がっていると思う。

ストーリーのいっぱいつまった箱みたい

「企画の勝利」と言われるが、開催を決めた時点では、果たしてどれだけ見に来てもらえるか五里霧中、せめて大失敗だけはしませんようにと関係者は皆、祈る思いだった。何しろ通常の展覧会に比べ、何から何まで異色である。

1つには、美術専門家でもないドイツ文学者による書籍(角川文庫『怖い絵』シリーズ)が元になっていること。

2つ目は、画家や美術館くくりではなく、「恐怖」を、それもさまざまな恐怖を孕んだ西洋絵画が集められていること。

3つ目は、各作品の横にかなり長めの解説を掲げ、また詳しい音声ガイド使用も促して、自分の感性だけを頼りにするのではなく知識を得て絵を見てください、と鑑賞者に(不遜にも)強制していること。

どれも従来の美術展では考えられない破格さであり、心配は尽きなかった。果たして理解してもらえるのだろうか、受け入れてもらえるのだろうか……結果的にそれは理解され、受け入れられたと思いたい。

「怖い絵」と聞いただけで際物扱いしていた人も、展示されている芸術性の高い作品の数々を前に、誤解をといてくれたと信じたい。スプラッターやグロテスク趣味だけを求めて見に来た若者の中にも、本物のオーラに触れて名画鑑賞の喜びに目覚める人もいると確信している。これもどなたかのツィートだが、「美術館自体がストーリーのいっぱいつまった箱みたい」(若い人の感性はすばらしい)!

日本人はもともと絵が大好きだし、知識欲も旺盛だ。見て感じなさいというこれまでの美術展にどこか飽き足らなかった人たちが、もともと意味やストーリーのある作品の、その意味やストーリーを知って面白くないわけがない。本展がきっかけとなり、これからの美術展も少し変わってくるといいなあと思っている。

「怖い絵」展
2017年12月17日(日)まで上野の森美術館で開催中
開館時間:11月16日(木)から全日9:00〜20:00に延長決定(会期中無休、入場は閉館の30分前まで)

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