このままでは終われない――著書『壁を超える』で川口能活が伝えたいこと

このままでは終われない――著書『壁を超える』で川口能活が伝えたいこと

  • サッカーダイジェストWeb
  • 更新日:2017/10/11
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川口能活(かわぐち・よしかつ)/1975年8月15日生まれ、静岡県出身。180センチ・77キロ。清水商高卒業後、横浜入り。その後、ポーツマス(イングランド)、ノアシャラン(デンマーク)、磐田、岐阜を経て、現在J3の相模原でプレー。4度のワールドカップ出場を誇る日本を代表するレジェンド。プロ24年目。

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ワールドカップには98年のフランス大会から数えて、4度出場。長きにわたり、日本代表を最後尾から支えた。(C)SOCCER DIGEST

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2013年末には、磐田からゼロ円提示を受ける。次のチームが決まるまでは、不安の日々を過ごしたという。(C)SOCCER DIGEST

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今季もJ3の相模原でプレー。42歳を迎え、ますます円熟味は増した。写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

川口能活は、身振り手振りを交えて話す。

そのしぐさは、時に大きくなる。身長は180センチと、プロのGKとしては決して大柄なほうではないが、右腕がにゅっと前に出てくると、形容しがたい威圧感がある。

“これが世界を相手に戦ってきた手か”と、一瞬のけぞってしまう。5本の指を大きく開いたその手に、目が釘付けになる。

中学、高校で全国制覇を経験。高卒で名門・横浜マリノス(当時)に加入し、2年目には守護神の座に就く。代表では28年ぶりの五輪出場に貢献し、A代表では98年フランス大会を皮切りに、4度のワールドカップでメンバー入りを果たす。日本人GKとして初めて欧州移籍を実現すれば、J1からJ3の全カテゴリーでプレーし、トータル500試合出場まであと数試合に迫る。

そのキャリアは順風満帆。42歳を迎えた今季もバリバリの現役としてピッチに立つ。

しかし――栄光の数と同じぐらい、もしかしたらそれ以上に、苦難や挫折があった。長期離脱を余儀なくされる二度の大怪我をしたし、ゼロ円提示を受けたこともある。

眠れない夜をいくつ数えてきたのか。それでも、心が折れて、すべてを投げ出したことは一度もない。不屈のメンタルで、目の前に立ちはだかる壁を乗り越えてきた。

自身初の著書『壁を超える』を上梓した“ヨシカツ”に話を訊いた。

――◆――◆――

――改めてこれまでの歩みを振り返ると、いくつもの「壁」がありましたね?

「そうですね。自分は不器用というか、馬鹿正直で真面目な性格だからか、何事にも正面から向き合って、チャレンジしてきたつもりです。目の前で起こっていることから、目を背けずに、逃げない。妥協しない。それが自分の生き様というか、当たり前のことでもある。なので、ある意味、『壁』と思っていないかもしれませんね。

とにかく、どこかコンプレックスがあるんですよ。自信があるのかないのか分からないんですけど、不安があっても、それに向かってチャレンジする、トライする。その不安もまた、『壁』なんだと思います」

――コンプレックス? むしろエリートではないのですか?

「僕は静岡の富士の生まれで、富士はどちらかと言えば野球が盛んな土地なんです。サッカーでは、清水や藤枝と比べると、どこかで引け目を感じてしまう。僕にとってのエリートは、清水や藤枝の人たち。もともとのスタートがそういう感じなんですよ」
――その富士の地で、小学3年生の時にサッカーを始めました。

「初日の練習で、3年生と4年生で試合をしたんです。結果は、0-8の完敗。それで、失点の数×5周を走りなさい、と。少年団に入っていきなり40周、走らされたんですよ(笑)。それまでドッヂボールやキックベース、マラソンや100メートル走とか、遊びでも体育の授業でやるいろんな種目でも、なんでもすぐにできたんです。

でも、サッカーはそうじゃなかった。8点も取られて負けたし、リフティングも最初はなかなかできなかった。初めての習い事で、みんなと競い合いながら上を目指していくという意味でも、サッカーって大変だなというところから始まった。もう、そこから『壁』があったわけですよ(笑)」

――その『壁』は長いキャリアの中で、何度も川口選手の前に立ちはだかりました。たとえば、2013年末に磐田でゼロ円提示を受けた時もそうだったと思います。

「多くの選手が経験していることだとは思いますが、自分の中では初めてのことでした。ちょうど、ふたり目の子どもが生まれる前後のことで、大変な時期でもありました。

うぬぼれていたわけではありませんが、J1はもちろん、代表でも、海外でもやってきた。2013年もそれなりに試合には出ていたし、スムーズに次が決まるかと思っていましたけど、考えが甘かったですね。1か月ぐらいオファーを待つ状態で、引退という二文字がちらつきましたが、それは絶対にしたくなかった。でも、移籍先が決まらなければ、自分の意志とは関係なく、現役を辞めなければならない。

妻にも前向きなことがなかなか言えませんでした。不安はありましたが、でもその気持ちを誰にも言えなくて、あの時は苦しかったですね」

――最終的には、J2の岐阜への移籍が決まりましたが、当時のように心が折れそうな時、苦境に陥った時、そこから這い上がるために大事にしてきたこととは?

「諦めたくないとか、もっと頑張らないととか、自分を奮い立たせることも必要ですが、僕の場合は、グラウンドに入ると、そういった感情は一切なくなって、純粋にサッカーを楽しめているんです。一生懸命に練習に励めば、充実感を得られる。

その時の気持ちだけは、絶対に忘れないようにしていました。自分が立ち返る場所というのかな。サッカーで勝負していて、これで生きているんだと実感できる瞬間を大事にする。必死にやるけど、エンジョイすることも忘れないように、という感じですね」
――今年8月には、42歳を迎えました。現役にこだわるのは、サッカーが好きで楽しいからですか、それとも、このままでは終わりたくないという気持ちのほうが強いから?

「正直に言えば、現役は楽しいだけではありません。試合に負けたり、納得のいくプレーができなければ、それはそれで辛いし、苦しい。楽しみもあるけど、葛藤とか、苦痛とか、そういったものもすべて合わせて、プロだと思っています。

今の自分としては、このままでは終わりたくないという気持ちのほうが強いですね。サッカーを始めて、ある意味、順風満帆なサッカー人生を送ってきて、挫折もして、そこから這い上がって。それを何度か繰り返してきたなかで、大きな怪我をして、自分が納得のいくパフォーマンスがだんだんできなくなってきていた。

それで、もう何をどうすればいいか分からない時期があって、自分がどんどん落ちていくのも分かるんです。でも、ある時、信頼できる治療家の方に出会えて、改善の兆しが見えてきた。ここからまた、上がっていける感触を掴めたんです。

年齢的にも全盛期の頃に戻るのは難しいけど、少しでもいいから盛り返していきたい。這い上がっていく自分を見つけられれば、もしかしたらどこかで納得できるかもしれない。引退するとすれば、そんな自分を見届けられた時かもしれませんね」

――だから、このままでは終わりたくない、と?

「そこはやっぱりプライドでもありますね。トップレベルでやってきた自負もある。現状からダメになっていくのではなく、良くなっていく過程でグローブを外す決意ができれば、まだ何をするかは決めていませんが、次の道にも気持ち良く進めるはず。

現役を退くなら、自分の納得のいく形で。そう上手く行くとは思っていません。口で言うほど簡単ではないし、心残りがあるまま、引退することになる可能性は十分にある。だから、これもまたチャレンジ、『壁』ですよね。

あとはやっぱり、親としての責任ですね。脚光を浴びてやっているだけじゃない。大変な状況でも、這いつくばってでも目標を達成する。そういう姿を、子どもたちにも見せたいんです。もしかしたら、小さくてまだ分からないかもしれないけど、自分が実体験していれば、僕の言葉にも説得力が生まれるはず。そのほうが相手の心に響くと思うんです。そういうメッセージを伝えられるような親、人間になりたいんです」
――『壁を超える』はご自身にとって初の著書です。

「すごく良いタイミングで、出版社の方からお話をいただけたと思っています。先ほども少し触れましたが、自分はJ1、代表、海外でもプレーしてきて、段々とカテゴリーが下がってきて、今はJ3で戦っています。いろんな葛藤を抱えながらも、必死に現役を続けている。そんな自分が今、どんなことを考えているのか。42歳なんて、世の中ではまだまだ若いし、僕の言葉にどれだけの価値があるか分かりませんが、少しでも何かを伝えられればと思っています」

――どんな人に読んでもらいたいですか?

「うーん、そうですねぇ……。やっぱり、悩んでいたり、思い通りにいかなかったり、自分が描いていた人生とは違う道を選んだけど、なかなかうまくいかなかったりとか、そういう人って少なからずいると思うんです。もちろん、『壁』にぶつかっている人も。サッカーの話をしていますが、会社とか学校とか、仕事とか勉強とか、サッカーと関係がなくても、何かしらリンクする部分はあるのかな、と。そこで少しでもヒントになるようなことがあれば、嬉しいですね。

ひとつだけ言えるのは、やり通す、やり続けることが大切だと思うんです。僕は若くしてプロになって試合にも出て、ワールドカップやオリンピックにも出場して、ヨーロッパでもプレーできました。一方で、ゼロ円提示を受けたり、2度の大きな怪我をしたりと、引退が頭をよぎることもありました。

自分が置かれる立場や状況はいろいろと変わったけど、それでも自分がやるべきことは、何ひとつ変えませんでした。目の前のことに全力でぶつかっていく。周りの意見にも必ず耳を傾けて、自分の主張もしっかりと言う。やるべきことはいつも一緒。ブレない。状況が変わっただけで、僕は何も変わっていない。

信念を曲げずに、やり抜く。手を抜かないで、諦めず、何事にも真剣に取り組む。それで何かを失ったとしても、他の何かを手にできる。一生懸命にやっていれば、必ず誰かが見てくれているし、手を差し伸べてくれる人がいる。そう思います。実際に、僕がそうですから。いろんな人の助けがあって、今の自分があるわけですから」

――信念を曲げない。簡単なようで、なかなか難しいですよね。

「逆に、僕は愚直にやり続けることしかできないんですよ。真面目というか、頑固だからかもしれませんけどね(笑)。でも、そうやってここまで生きてきている。だから、『壁』にぶち当たっても、信念を忘れず、貫き通して、やり続けてほしいと思っています」

取材・文:広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)

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