教師の人権が軽すぎる...博多高校「暴力動画事件」で露呈したこと

教師の人権が軽すぎる...博多高校「暴力動画事件」で露呈したこと

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/10/12
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衝撃の事件、的外れのお詫び

福岡県の私立高校で、男子生徒が教師を何度も蹴った挙句、胸ぐらを掴むなどした動画が投稿サイトに投稿され、大きな問題となった。

生徒は1年生で、日本史の授業中、授業に関係のない動画をタブレット端末で見ていたところを教師に注意され、「逆ギレ」したのだという。

また、投稿された動画では、複数の生徒が笑い声を上げながら、教師が蹴られるのを見ていたことも衝撃であった。

子どもはつまらないことを面白がったりするものだが、もう分別のある高校生である。あの様子を見て、不快に思ったり、恐怖を感じたりすることはなかったのだろうか。

さらに、問題が明るみになった後、校長が出した「お詫び」のあまりに的外れなところも問題となった。

「本校では、これまでも道徳教育を推進し、暴力は絶対にあってはならないものであることを教育してまいりました」という文言はあるものの、結論としては、「本件を真摯に受け止め、今後は、改めてITモラルを持たせる教育」の充実を図るということが第一に掲げられていた。動画を拡散させたことがいけない、という受け止め方なのだろうか。

教師を蹴った生徒、笑い声を挙げる周りの生徒、そして校長の受け止め方、どれもこれも暗澹とさせられる。

暴力はなぜいけないか

そもそも、暴力はなぜいけないのだろうか。

もちろん、今回のケースを含め、暴力を振るうことは「犯罪」である。近年は、身体的暴力だけでなく、言葉の暴力についても厳しい目が注がれるようになっている。

しかし、犯罪だからいけない、いけないものは犯罪であるというのは同語反復でしかない。

暴力がいけないのは、それがわれわれの生命や安全はもとより、人間の権利、人間の尊厳を脅かすものだからである。

カントは「人間の権利への尊厳は無条件の義務である」と述べている。自らの権利を守りたければ、他人の権利を守ることが義務となる。われわれの人権は、このような互恵性の上に成り立っている。このような互恵性の均衡を破り、相手の人権を侵害する行為の最たるものが暴力にほかならない。

ときに暴力は、教育の名を騙ったり、愛を隠れ蓑にしたりすることがある。しかし、教育のためだろうが、愛ゆえだろうが、暴力のラベルを貼り変えようとする企てを許してはならない。暴力はどんなラベルを貼られても暴力である。

また、許容範囲の暴力、小さな暴力というものもない。暴力の大きさは、それが相手に与える被害と比例するものではない。たとえ暴力を振るった側が許容範囲の小さい暴力だと思っていても、それが相手に与えるダメージはとてつもなく大きいこともある。

アメリカの心理学者ピンカーは、その著『暴力の人類史』のなかで、暴力と戦うために尊重されるべきものは、「共感と理性によって喚起され、権利として言明される倫理である」と断じている。

そして、これは「近代の啓蒙主義と、そこから発展した人道主義と自由主義の結びつきが描いた道徳的なビジョンでもある」と述べ、何世紀にもわたるわれわれの祖先による、人権と自由を勝ち取るための戦いの帰結であることを強調している。

人類は、野蛮な原始時代、虐殺や拷問が蔓延していた中世、決闘や弱者への暴力が日常的であった近世などを通して、暴力に怯えつつも、それをなくすために知恵を絞り、努力を重ねてきた。何万人もの犠牲の上に勝ち取ったのが、暴力を否定する倫理であり価値観である。

したがって、暴力を振るうことは、社会からあらゆる種類の暴力をなくすために戦ってきた何百年にもわたる努力をあざ笑い、踏みにじることでもある。

それと同時に、われわれは、今享受できている平和を守り、この世界からさらに暴力をなくすために、あるいは暴力の残滓を摘み取るために、尚も努力を続けなければならない。

なぜなら、暴力にロマンチシズムを感じたり、それを美化したりする残滓は、この世の中のあちこちにあって、ふと目を離したすきに、あるいはこれくらいならよいと甘やかしている間に、いつしか息を吹き返してくるものだからである。

教師の人権について

ところで、今回の事件でもう1つ気になったことは、教師の人権についてである。

教育の場において、暴力の禁止、体罰の禁止ということが厳しく掲げられるようになって久しい。これは、子どもと大人、生徒と教師という圧倒的に力の差のある場面において、弱い立場の児童、生徒を守るうえできわめて重要なことである。先に述べたような長年にわたる努力の帰結の1つである。

少し前、ジャズ奏者の日野皓正が、子どもたちによるコンサート場面で、奏者の1人であった中学生に暴力を振るったとされる「事件」があった。その際、私は暴力についての擁護的な論調があまりに多いことに愕然とし、体罰の禁止をあらためて問いかけた(参照「不倫には厳しいのに、暴力は許す『この国の大人の恥ずべき感覚』」)。

そこでは、いくらそれが「愛のムチ」であっても、「ささいな暴力」であっても、絶対に許してはならないものであることを述べた。それは、子どもの人権の侵害であり、われわれ社会が勝ち取った尊い価値への冒涜だからである。

しかし、今回の事件は、本来なら弱い立場である生徒が、強い立場の教師に暴力を振るったというものである。被害に遭ったのは、大学を出たばかりの若い教師であったが、彼のなかには、体罰禁止、暴力反対の価値観が深く根づいていたのであろう。

どれだけ蹴られても、胸ぐらを掴まれても、決して手をあげることをせず、そして相手に阿ることもせず、毅然とした態度で叱責をして、その場を切り抜けていた。これは本当に賞賛すべきことである。

とはいえ、教師とて人間である。どんなに悔しかっただろう、腹が立ったであろうと思う。大勢の生徒の前で、あからさまに自分の身体が冒涜され、人権が踏みにじられたのであるから、その心中は察して余りある。

ここで思うのは、校長の「お詫び」にも表れているように、学校現場で教師の人権が軽んじられすぎてはいないだろうか。

子どもの人権が大事であれば、それと同様に教師の人権も大事である。教師たるもの、暴力を振るわれたり、侮辱されたりすることを甘受し、モンスターペアレントや過重労働に苦しめられ、それでも耐えるしかないのだろうか。

たしかに一時に比べると「荒れる学校」は激減した。今回の事件を受けて「昔に比べると可愛いものだ」という的外れな意見も見られた。

しかし、だからと言って、子どもの側の人権にばかり秤が傾きすぎて、一方の教師の人権が軽んじられるようなことがあってはならない。その帰結として、親や子どもが教師を軽く見てしまうようなことが、こうした事件を生む背景にはなかっただろうか。

誤解のないように繰り返し述べるが、圧倒的に力の弱い子どもの側の人権を重視することは、最重要事項である。

しかし、それがときに行き過ぎてしまうこともある。たとえば、暴力的だからドッジボールを禁止しようとか、子どもの安全のために外遊びを禁止しようとか、もはやパロディとしか思えないような馬鹿げた帰結を生むことがある。

教師が生徒を叱責すれば「ハラスメント」だと言われ、正当で教育的な叱責や指導もできないような状況すらある。これらは、益を求めるあまり、かえって害をもたらしかねない例である。

人権を守る教育

このような現状だからこそ、あらためて人権の意味を問い、行き過ぎや歪みを防止するために、今後人権をめぐる教育がますます重要になってくる。

人権を守るための教育は、何も自分の権利だけを声高に叫ぶように教えることではない。

先に人権は「互恵性」のうえに成り立っていると述べた。元来は「強い側」であった教師の人権が軽んじられ、その権威までもが貶められるようになることは、望ましいことではない。

再びピンカーを引けば、彼は「人間の本性は、私たちを暴力へと促す動機――たとえば捕食、支配、復讐――をもちあわせているが、適切な環境さえ整っていれば、私たちを平和へと促す動機――たとえば哀れみ、公正感、自制、理性――ももちあわせている」と述べている。

つまり、後者が発揮できるような「適切な環境」を整え、共感性、正義、自制力、理性などを養うことが、地道ではあるが、自分だけでなく他者の人権も尊重し、暴力や不正を防ぐ唯一の道となるのだろう。

昨年、学校教育法施行規則および学習指導要領が改訂され、小学校では2018年度、中学校では2019年度から「道徳」が教科化される。

それについては、道徳的価値観について国が統制を強めるものだとの批判があるほか、道徳を身につけたかどうか「評価」することの問題点などが指摘されている。

たしかに、かつての「修身」の復活を思い起させるような嫌なイメージはぬぐえない。

しかし、人類に共通の普遍的価値というものもあるはずである。それが、人権であり、自由や平等であり、暴力の禁止であって、それらの基盤となる共感性や自制などを育てるための契機としても捉えられるだろう。

それに加えて、教育現場では、子どもだけでなく、教師の人権を守る具体的な手立てを講じる必要がある。これは制度面の問題である。

人権の秤がどちらかに傾きすぎることは、危険な予兆である。

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