フォーク編<357>大塚博堂(9)

フォーク編<357>大塚博堂(9)

  • 西日本新聞
  • 更新日:2017/11/13

大塚博堂は1981年に急死するまで「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」など8枚のLPレコードをリリースしている。この中に博多時代、博堂と親交を深めた福岡市の井手ごいち(72)が作詞した曲が、2曲収録されている。「突然の出逢いに」と「夜迷星(やまいぼし)」だ。

〈突然の出逢いに 僕はとってもおどろいたよ 君はすっかり大人びて 僕はちょっぴり淋(さび)しかったよ…〉(突然の出逢いに)

二つの詩は井手が75年にオープンした居酒屋「古事記村」のトイレの壁に、色紙に書いて貼っていたものだ。井手は「トイレ詩人」と自称するようにトイレが作品発表の場であった。読むだけでなく、色紙を剥(は)がしたのが博堂だ。東京でデビューした後も博堂は時折、井手の店に顔を見せた。

「気に入った詩があると『これ、使っていいか』と言って持って行きました。それに大塚さんが曲をつけたんです」

アルバムの中の2曲は博多での下積み時代を支えた井手への友情の証しともいえる。ただ、井手はアルバムに関して今でも残念な思いを抱く。

「なぜ、ジャズの曲がアルバムには1曲もないのだろうか。大塚さんの『マイ・ファニー・バレンタイン』は最高なのに」

×   ×

博堂は好きなものを聞かれると「ジョニー・ハートマンと梅干し」と答えるのが常だった。米国のジャズシンガー、ハートマンの得意曲「マイ・ファニー・バレンタイン」は高校時代からレコードで聴き込んでいた。博堂はデビュー後、ジャズを封印することになるが、それでもコンサートのときには必ず、自分のヒット曲の合間に「マイ・ファニー・バレンタイン」をそっと挿入した。

博堂の歌うこのナンバーに「うまい」と言った1人がジャズ好きなタレントのタモリだ。博堂がシンガー・ソングライターとして売れ始めた76年ごろ、井手が「だれに会いたい」と聞くと博堂は「タモリ」と答えた。井手はタモリと高校が一緒で交流があった。仲介者の井手と一緒に、博堂はタモリと東京・新宿のジャズの店「J」で会った。井手はその場面を回想する。

「タモリさんは『私が前座を』と言って、あのタモリ語の英語で即興の『スピロヘーター・ブルース』を歌いました」

これに対して博堂はタモリに「マイ・ファニー・バレンタイン」をささげた。

博多のクラブ時代、ジャズシンガーを夢見ていた博堂。その才能を見抜いたのは当時、同じ無名のクラブ歌手だった若き高橋真梨子だ。2人は博多でクロスする。

=敬称略

(田代俊一郎)

=2017/11/13付 西日本新聞夕刊=

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