「大きくしてくれたのは内田篤人だった」――僕とアツトと。

「大きくしてくれたのは内田篤人だった」――僕とアツトと。

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  • 更新日:2017/09/15

岩政大樹・現役目線第29回

元サッカー日本代表で東京ユナイテッドに所属する岩政大樹氏による書下ろし。かつてのチームメイト・内田篤人がもたらしてくれたもの。そして人が与えてくれる「選手としての成長」を考える。

そのスピードに「こいつはすげー」と思った

今回、本を出版するにあたり(「PITCH LEVEL 例えば攻撃がうまくいかないとき改善する方法」)、推薦文を内田篤人にお願いしました。内田篤人の知名度を利用しようという意図もなきにしもあらず(笑)ですが、それだけではありません。一番の理由は、彼との出会い、彼との関係が僕の生き方を定めてくれた、と思うからです。この連載ではできるだけ「内田篤人」の名前を出さないようにしていたのですが、推薦文のお礼も兼ねて、今回はガッツリ書いてみようと思います。

内田篤人は僕がプロ3年目、2006年シーズンに鹿島アントラーズに加入してきました。華奢で可愛らしくて、でもどこか芯の強さを感じさせる男でした。プロ入りは2年ほどの差ですが、僕は大卒だったので、6つの歳の差がありました。

僕は前年の2005年シーズンに初めて1年間を通して試合に出続けることができたばかりで、背番号も3番に変え、チームを引っ張っていこうと躍起になっているときでした。篤人は右のサイドバック、僕は右のセンターバックでした。

同じポジションの先輩たちの怪我とアウトゥオリ(当時)監督の意向が重なり、篤人は高卒ながら開幕スタメンを飾りました。確か、宮崎キャンプを終える頃には、アウトゥオリ監督から「アツトを使うつもりだから面倒見ておいてくれ。」と言われたように記憶しています。

世話好きの僕は意気に感じましたね。「こいつを世話してやろう」と暑苦しく、めんどくさい先輩になっちゃったのです。
今思えば、本当にうるさい先輩だったと思います。僕は今でもサッカーしているときはうるさいおじさんですが、その頃は今の比ではなかったと思います。

篤人はそんな僕の指示を、聞いているのか聞いていないのか分からないような手の上げ方でそっと応えてきました。最初は「こいつ聞いてんのかな?」と思っていましたが、篤人がその指示を少しずつ自分のペースの中で消化していくのを見て、「こいつはすげー」と思うようになりました。

内田篤人に抱いた嬉しさ、嫉妬、寂しさ

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それから、篤人は2007年シーズンからの3連覇に貢献し、2008年には日本代表にも定着していきました。僕はそれを嬉しい気持ちと嫉妬の気持ち、両方で見ていました。まさか、こんなに一気に抜かれていくとは想像していませんでしたから。

彼の良さは素直さと頭の良さです。持っている能力もありますが、それ以上に、自分の活かし方とそのタイミングをよく知っている選手でした。元々、鹿島も即戦力というより将来性を見込んで獲得した選手です。周りも想像できない、ものすごいスピード感で駆け上がっていく篤人の後ろ姿はどんどん僕から離れていきました。

いつからでしょうか。僕は篤人と阿吽の呼吸でプレーできるようになりました。それには2年も要しなかったと思います。僕はその時間を充分に楽しみながら、それがそう長く続かないことを理解していきました。

シャルケへの移籍を相談されたのは、2009年の暮れだったと思います。半年後のワールドカップの後に移籍することになりますが、この世界では別れは致し方ないものとはいえ、僕は強烈な寂しさを覚えたものです。別に、人間・内田篤人とはいつでも会えるし、関係が終わるわけではありません。しかし、選手・内田篤人ともう横でプレーできないことに「寂しい」としか表現できない感情がありました。

その後、僕は鹿島で2013年までプレーを続け、篤人はシャルケでもレジェンドになりました。日本代表でたまに顔を合わすことはできましたが、僕はそれほど試合に出ることができなかったので一緒にプレーすることは数えるほどでした。

僕は自分自身がいちサッカー選手としては過大評価されていると思います。中には「それほどの選手なのか」と疑問に思う方もいるでしょう。僕もその1人ですから。
ただ、その答えを僕は知っているのです。――僕を大きく見せているのは内田篤人である、と。

人を大きくさせるもの

篤人は鹿島を離れてからも事あるごとに僕の名前を挙げてくれました。彼の本に名前を載せていただいたのを見たときは嬉しかったものです。そんな一つ一つが僕を大きくしてくれました。たくさんの人が篤人を通して僕を知ってくれました。
だから、僕は自分の生き方として、基準点の一番に「自分」ではなく「チームメイト」を置く、ということに迷いがなくなったのです。

僕は小さい頃から、自分のもっているものだけでは限界がある、と感じていました。だから、「人を輝かせること」で自分が輝く。それが自分の生きる道だと考えていました。しかし、一方でプロとはそういう舞台ではなく、誰かが出てくれば誰かが蹴落とされる世界です。自分の生き方を貫いていいのか、迷いもありました。

そんなとき、篤人が発してくれた色々が僕を大きくしてくれているのを感じて、「やっぱり僕はこれだ。」と思いました。
それから鹿島での選手生活の晩年もタイでの1年も、そして岡山での2年間もその生き方をより意識しながら生きてきました。それは多分、プロ選手としてはちょっと変わっているので、色んな選手に感謝の言葉を伝えてもらいました。

それを僕は万感の思いで受け止めながら、いつもこう言って返しています。

「それならお前が成功してくれ。お前の成功がおれを大きくしてくれるから」

そこに、

「成功したときにちゃんとおれの名前出してね」

と付け加えながら(笑)。
〈岩政大樹。東京ユナイテッドFC。9月16日「PITCH LEVEL 例えば攻撃がうまくいかないとき改善する方法」を上梓〉

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