日本政府はなぜ「移民政策ではない」という呪文を唱え続けるのか

日本政府はなぜ「移民政策ではない」という呪文を唱え続けるのか

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2018/06/14
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6月5日、政府の経済財政諮問会議で「骨太の方針2018(=経済財政運営と改革の基本方針 2018)」の原案が公表された(以下、方針原案)。

深刻な人手不足への対応策として以前より各所で報じられていた「2019年度からの外国人労働力の受け入れ拡大」の方向性に関してもその概要が記されている。

注目すべきは、方針原案の中で二度にわたって「移民政策とは異なるものとして」、「移民政策とは異なるものであり」という意味深な但し書きが付されていることだ。

誰に聞かれたわけでもないのに、「これは移民政策ではない」と日本政府自らあえてその言葉を否認してかかることの意味はどこにあるのか。歴史的な文脈を振り返りつつ考えてみた。

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〔PHOTO〕iStock

新しい在留資格案の何が新しいのか

方針原案は様々な論点を取り扱っており、今回の件に関する記述は第2章の4「新たな外国人材の受入」にまとめられている。

そこで記されている新在留資格案の内容は、4月時点での情報をもとに私がまとめたこちらの記事からそれほど大きく変わってはいない。

・働かせるが定住はダメ…政府が「技能実習の延長版」創設へと動く狙い

簡単に言えば、これまでにない「新しい在留資格」を創設し、(建設や農業など)人手不足が特に深刻な業種において、専門性がそれほど高くない外国人材が単純労働の現場に即戦力として「就労」できるようにするというのが、今回の政策アイデアの根幹である。

従来の専門的・技術的分野における外国人材に限定せず、一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組みを構築する必要がある。

新在留資格の対象となるのは、①受け入れ業種ごとに設定された技能水準および日本語水準の試験を通過した者、②技能実習(3年)の修了者、この2種類の人々とされている。

技能実習の修了者以外にも、業種ごとの「試験」を通じて単純労働への門戸が開かれているということが以下のような形で示されている。

在留資格の取得にあたり、外国人材に求める技能水準は、受入れ業種で適切に働くために必要な知識及び技能とし、業所管省庁が定める試験によって確認する。

また、日本語能力水準は、日本語能力試験N4相当(ある程度日常会話ができる)を原則としつつ、受入れ業種ごとに業務上必要な日本語能力水準を考慮して定める。

ただし、技能実習(3年)を修了した者については、上記試験等を免除し、必要な技能水準及び日本語能力水準を満たしているものとする。

懸案であった「転職の可否」については方針原案に明示的な記載がなく、政府内での調整がまだ済んでいない可能性がある。

転職できないことが技能実習生の脆弱な立場の大きな要因の一つとなっており、今後の議論を注視する必要がある。

歴史的な文脈

これまでの日本は、表向き外国人単純労働者の受け入れを認めてこなかった。しかし、同時に様々な産業では安価な労働力に対するニーズも存在してきた。

結果として、この国では移民政策をめぐる本音と建前の間にある矛盾を温存するための様々な方策が編み出されてきた。

例えば、バブル最盛期、製造業などを中心に人手が不足していた1990年の入管法改正。この改正によって「定住者」という在留資格が創設され、南米などに暮らす日系3世までの人々がその血筋を根拠として日本で働くことが可能になった。

しかし同時に、こうした「開く」方向の動きは、「閉じる」方向の動き、すなわち日系人以外の外国人を単純労働力として受け入れることの見送りとセットになっていた。

つまり、そこでは日系人(のみ)の受け入れ拡大という折衷案によって、産業側の本音と政治側の建前が調整されていた。蝶番となったのは「血統主義」である。

「日本人のような外国人」のみを受け入れるという発想によって、「外国人の単純労働者は受け入れない」という保守的な性格を持つ政府の一般的な方針と、「新規の外国人労働者なしには現場が成り立たない」という産業界のニーズとの間にある構造的な矛盾が隠蔽され、温存されたのである。

ここ数年の人手不足のもとで起きている留学生や技能実習生の激増も日系人への依存と同じような構造のもとにある。

ただし、今回は「日本人のような外国人」ではなく、「学生のような労働者」や「実習生のような労働者」という別のトリックが活用されている。ここでは蝶番が「血統」から、「教育」や「国際貢献」へと入れ替わっているのである。

では、今回の方針原案で提案された新しい在留資格案の新しさはどこにあるか。

それは、上記のように整理してきた歴史的文脈から一歩外側へと踏み出しているように見える、その点にこそ見出すことができるのではないか。

つまり、新在留資格案では、「人手が足りない単純労働の現場に国籍を問わず安価な外国人労働力をどんどん入れていこう」という発想があからさまな形で表明されている。

血統も、教育も、国際貢献も、関係ない。単に働く意思と一定水準以上の技能および日本語能力がありさえすれば良い。

そこでは、これまで様々なカテゴリーを用いて覆い隠そうとしてきた本音と建前の間の矛盾に対する態度が大きく転換しているようにも見える。あまりの人手不足を前に、政治側の建前がついに産業側の本音に打ち負かされたかのようだ。

しかしである。本当にそうなのだろうか。

果たしてこの地点においてこそ、私たちはあの呪文のような言葉、政府によって強迫的に反復される「これは移民政策ではない」という言葉の意味をより深く理解することができるのではないだろうか。

「移民政策ではない」という呪文

今年2月の経済財政諮問会議において、安倍首相は今回の新在留資格案につながる検討の開始を指示していた。当時の新聞報道にはこう記されている(産経新聞、下線は筆者)。

国籍取得を前提とする「移民」につながらないよう、在留期間を制限し、家族の帯同も基本的に認めない。

こうした首相からの指示に呼応するように、6月の方針原案には2箇所「移民政策ではない」旨の記載がある(下線は筆者)。

・真に必要な分野に着目し、移民政策とは異なるものとして、外国人材の受入れを拡大するため、新たな在留資格を創設する。

・以上の政策方針は移民政策とは異なるものであり、外国人材の在留期間の上限を通算で5年とし、家族の帯同は基本的に認めない。

さらに、方針原案公表後の記者会見においても、西村康稔官房副長官がこのような発言をしている(NHK、下線は筆者)。

「在留資格の創設は移民政策とは異なるものとして示された。政府としては、例えば一定規模の外国人やその家族を期限を設けずに受け入れて国家を維持する政策はとらない」

これらを注意深く読むと、「新しい在留資格案は移民政策ではない」という政府の主張が具体的に何を意味しているかが分かってくる。

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つまり、新しい在留資格案によって受け入れを拡大する外国人労働者には、

・5年を超える長期の在留はさせない
・家族の帯同、呼び寄せはさせない
・国籍取得はさせない

つまり、「日本で定住することを認めない」、「日本に貢献したとしてもいつかは日本から出ていってもらう」、だから「これは移民政策ではない」ということを彼らは言おうとしているわけである。

「日本人のような外国人」、「学生のような労働者」、「実習生のような労働者」に引き続き、ここでは「いつか出て行く(=移民ではない)外国人」というカテゴリーが開発され、それによって、「開く」と「閉じる」がまた新たな形で共存させられようとしている。

新しいアイデアの中に古いコンセプトが残響している。

それは、日系人のみの受け入れの際に明白な形で示された血統主義と財界配慮のミックスであり、産業界のニーズに応えながら日本人の自己同一性を血筋の純粋性によって担保し続けようとするメンタリティである。

政府が示した方針原案に対しては政権与党である自民党内から懸念も表明され、党の会議で「移民政策と何が違うのか政府は説明してほしい」という声も出たと報じられている(日経)。

政府が執拗に「移民政策ではない」と言い続ける背景には、意識的かどうかはともかくとして、このような歴史的文脈と反復する論理構造があったのだ。

5年も滞在を認める外国人に対して「移民ではない」、「移民政策ではない」と唱え続けるのは決して自明のことではない。

その違和感を無視せず、あの呪文を通じて私たちが集合的に確認し続けているものが一体何なのか、批判的に考える必要があるのではないだろうか。

「移民政策ではない」がつくってきた社会

最後に、具体的な未来を想像してみよう。大きな話ではない。一人の人間の話である。

新しい在留資格に基づいてとある東南アジアの国から来日した20代単身の男性外国人労働者。彼は関東近郊の建設会社で働くことになった。

来日してから2年後、会社の先輩の紹介で知り合った日本国籍の女性と交際を開始。さらにその1年後には二人に子どもができ、幸せな気持ちとともに結婚することになった。

結婚すれば、彼は「日本人の配偶者等」という在留資格を得ることができる。それによって、彼は入国当初に政府によって想定されていたよりも長く日本にいることが可能になる。就労についても業種などの制限が外れるため、建設業界以外への転職が視野に入ってくる。

子どもが生まれれば、その子どもは父親の言語と日本語の両方を話すようになるだろう。地元の保育園や小学校に通ううちに、日本語が優勢になっていくことも十分考えられる。

父親についても、しかるべき期間ののちに永住権を得る、そして日本国籍へと帰化するといったシナリオも考えられる。

こういうことは、当然起きうるのだ。

一人や二人ではない。政府が受け入れ拡大を検討している桁は数十万のそれであり、その多くが若者、かつ単身での来日と想定されている。全年齢に均等に分布するわけではない。家族形成期の若者を大量に呼び込もうとしているのだから。

そのとき、「移民政策ではない」という言葉は一体何を意味するだろうか。

忘れないでほしい。昨年10月末時点で日本国内の外国人労働者は128万人にまで急激に増加している。

これまで述べてきた通り、その数字は、日系人、留学生、技能実習生といった曖昧性の高いカテゴリーを通じて、少子高齢化の進展以降の日本が外国人の労働力にジリジリと依存を深めてきたことの結果である。

問題なのは、日本国民の多くが自分たち自身の国の姿やその変化を直視できていないことだ。

民主的に統治されている国家であるはずなのにもかかわらず、様々な蝶番を駆使することで短期的なメリットだけを享受してきた。

そして、長期的なビジョンをなしで済ませてきたことによって生み出された外国人・海外ルーツの人々にとっての潜在的な損失にきちんと直面してこなかった。

その不幸な反映として、医療、教育、福祉といった様々な公的・社会的領域における海外ルーツの人々に対する不十分な対応の数々がある。

現時点で空虚に「これは移民政策ではない」などと宣言しても、一人ひとりの労働者たちは人間としての当たり前の選択の果てに「移民」になっていくだろう。

そのことを例外視しかできず、広大な領域に広がる移民政策、受け入れ政策を準備できなければ、長い目で見てもっとも警戒すべき社会統合の失敗、社会の分断を帰結してしまうだろう。

方針原案に示された政府案を実行に移すには入管法の改正が必要になる。つまり、秋の臨時国会で改正法案が提出され審議されることになるだろう。民主的なプロセスを経るということは、誰かのせいにしている場合ではないということだ。「移民政策ではない」という言葉もスルーしていてはいけない。

「混じらないように管理できる」「帰したければ帰すことができる」――こうした発想は幻想にすぎない。

雰囲気だけで雑に話を進めるのではなく、歴史と理性に根ざした現実感のある議論を一つひとつ積み重ねていかなければならない。

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