日本人に英語は必要なのか?日本語の時代は来るのか

日本人に英語は必要なのか?日本語の時代は来るのか

  • アゴラ
  • 更新日:2016/10/19

前回までの記事で日本人の英語力について色々と論じて来たが、今回は日本人にとって英語が必要なのかどうかを論じたい。

なぜ他の外国語ではなく「英語」が必要なのか

何故英語が必要なのか。それは英語が事実上国際共通語(lingua franca)として使用されているからだろう。「英語を学べば視野が広がる」云々という議論も見られるが、はっきり言って英語を学んでもさして視野は広がらない。というのも英語メディアの情報は比較的日本語に翻訳されているし、日本人の知っている「海外情報」の大部分は英語メディアに由来しているからだ。本当に視野を広げたいならば、むしろ英語以外の外国語を学ぶべきだろう。従って「視野」論は英語必要論の根拠にはなり得ない。

だが、共通語である英語を話せることは、やはり海外で就職する際、あるいは日本企業の代表者として海外で仕事をする際に必須のスキルであるのは間違いない。要するに、日本人が国際的に経済活動(あるいは学術・芸術活動等)を行う上で英語を話せる必要がある、というのが英語必要論の最大の根拠であろう。

英語不要論の根拠

実際「英語は必要だ」と主張する論者は、多くの場合「国際競争」や「グローバル化」を明白に意識している。例えば以下に抜粋した斎藤剛史氏の主張などはその典型例だろう。

グローバル化は、「大人の理屈」に過ぎないのかもしれません。それでも英語力は、これから確実に必要になります。英語を使う環境を身近に設けたり、なぜ英語が必要なのかということをより具体的にイメージさせたりすることが、子どもたちには必要なのではないでしょうか。

だが、この種の言い方は逆に「これから必要になる、ということは、いま現在は必要ないということだろう」とも解釈できる。実際論者もそう思っているからこそこういう言い方になるのかもしれないが、「今の時代、英語は絶対に必要です」ではなく、「これから英語は必要になります」と言わざるを得ない点に、英語必要論の弱点が露呈している。

つまり、理論上は日本人が国際的に活動する際に「英語は必要であるはず」なのだが、現実には「日本人は英語ができない」と散々言われつつも日本人および日本企業は既に十分「グローバル」に活躍しているのだ。

前述の通り元々英語必要論における「必要性」の核心的根拠は経済的有益性である以上、実務の世界で英語が話せずとも成功している人が多数いる状況では英語必要論は空疎なお題目にしか聞こえないだろう。これが英語不要論に説得力を与えている背景であると思われる。

「英語化」の危険性

また、仮に英語が便利であるのは認めるとしても、果たして英語が普及することは文化的観点から見てプラスなのだろうか。例えば、非英語圏の中で英語力がトップであると言われているスウェーデンの元首相Fredrik Reinfeldtは以下のような発言を残している。

Is this a country that is owned by those who have lived here for three or four generations or is Sweden what people who come here in mid-life makes it to be? … For me it is obvious that it should be the latter and that it is a stronger and better society if it may be open.

簡単に意訳すれば「スウェーデンはこれまで何代にもわたってスウェーデンに住み続けた来た(スウェード)人のものではない。いま現在スウェーデンに住む(中年になってスウェーデンにやってきた)移民達が形成する”スウェーデン”こそが真の “スウェーデン”と呼ばれるべきであり、また(外国からの移民に対し)開かれている社会の方がより良く強靭であることは私にとって明白である」という意味だ。これがスウェーデンの元「首相」の発言である。

英語化及びそれに伴う文化の国際化、多様化の結果が、こうした形で現れるという先例が存在するのであれば、自国の文化を維持したいと考える文化保守層が「英語」化に強く反対するのは故無きことではないだろう。

私の見解:  海外留学生として、日本人として

無論海外留学生としての私は、国際的に通用する共通語として「英語」が便利であることは否定しない。実際に英国に留学し、世界中の異なる地域から来た人々といつも同じ言葉で話せるというのは非常に大きなメリットであることを実感している。

確かにフランスでフランス人と話すには少しでもフランス語ができた方が色々と都合がいいし、ロシア人やドイツ人に少しでも彼らの言葉で話しかければ喜ばれるが、基本的にはヨーロッパでも「外国人(=非現地語母語話者のアジア人)に対しては英語で話す」という暗黙のルールは大前提として存在している以上、英語以外の外国語は完璧に話せる場合を除けば実際に必要になる局面は少ない。

逆に英語が出来なければ致命的に不利であり、海外でトラブルに巻き込まれる危険性も高い。そういう意味では、実際に海外に渡航して何かをするという方向に関心のある人にとっては、目的地がどこであれ最低限の基礎として英語は必須スキルだ。

だが、それはあくまでも「留学生」としての意見だ。日本人としての私は、日本をスウェーデンやドイツのように「英語化」する必要はないと考えている。

よく考えてみてほしいのだが、「英語ができない」のは非印欧語を公式母語としている全ての国家が抱える問題であり、日本固有のものではない。逆に言えば、「英語ができない」全ての人々にとっては、むしろ日本語を学ぶ方が簡単でかつ便利かもしれない。だとすれば、「日本語を海外に広めていく」という戦略がもう少し議論されても良いのではないだろうか。別に英語の「次」の座を、中国語やアラビア語に渡してしまわなければならない理由はない。

実際、ヨーロッパでさえアニメの影響で日本語に関心を持っている人は相当数いるし、非アニメファンでも経済的理由等で日本で働くことに関心を持つ人は欧州でも決して少なくはない。

彼らを阻んでいるのは、日本語教育の乏しさと、それに付随する「日本語は難しい」という間違ったイメージだ。確かに「クールジャパン」の影響力も皆無ではないにせよ、今でも日本のアニメやポップカルチャーは奇怪な形で曲解されている場合も多い。日本語そのものの魅力や日本語コンテンツの魅力はまだ十分に伝わっていない。

そこで、現在の若者世代として私が「これは我々の世代でやるべきだ」と思っているのは、ずばり「日本語の価値を、世界中に認識させること」だ。

21世紀を、日本語の時代にしよう。

上の世代は西欧を追いかけ、西欧文明の齎した恩恵を日本へ伝えてくれた。だが成熟した日本の大衆文化が持つ、グローバルスタンダードを超えるほどの価値を知っているが故に「内向き」となっていると言われる我々「ゆとり世代」以下の若者は、だからこそむしろ日本語の普及化に取り組んでいく、というのも悪くないのではないだろうか。

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