尾崎豊の死から25年、尾崎裕哉は父を乗り越えることができるのか

尾崎豊の死から25年、尾崎裕哉は父を乗り越えることができるのか

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  • 更新日:2017/11/12
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Photo by Kenji Kitazato

衝撃の死から25年経った今でも、尾崎豊の曲は今でも歌い続けられている。一方、息子・尾崎裕哉は偉大なる父と同じ音楽の道を歩み始めた。個人的な親交のある音楽ライターの大友博さんが、尾崎裕哉の可能性を語る。

【衝撃の死から25年 尾崎豊の写真はこちら】

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文化の日の11月3日、東京国際フォーラム・ホールCで尾崎裕哉のコンサートを観た。大阪・愛知・東京・千葉を回る『SEIZE THE DAY 2017』ツアーの3日目となるもので、約1500人収容の会場は満員。大半が現在28歳の裕哉と近い年齢の人たちのようで、やや女性が多いかな、という印象だった。

あらためて紹介しておくと、尾崎裕哉は、1989年7月24日、尾崎豊の長男として東京に生まれている。92年春、2歳のときに父親が急逝。5歳から15歳までは米国東部のボストンで過ごし、帰国後、アメリカン・スクールをへて慶応大学環境情報学部に進み、2015年春、大学院の過程を終えた。この間にいくつかの可能性を模索しつつ、FMのパーソナリティも務め、また、実験的な映像作品の制作などにも取り組んでいる。

そして、最終的にはやはり、音楽の世界に挑戦する、というか、音楽を通じてさまざまなメッセージを発信していく道を選ぶことになったと思われる裕哉は、昨年秋、「始まりの街」でシンガー・ソングライターとして本格的な第一歩を踏み出し、今年に入ってから『LET FREEDOM RIDE』『SEIZE THE DAY』と2枚のEP(Extended Playの略。マルチ・シングル、ミニ・アルバムなどとも呼ばれる)を発表している。NHKでドキュメンタリーが放送され、民放の音楽特番や各地のフェスティヴァルに招かれるなど、メディアでの注目度も高い。

その日のコンサートで尾崎裕哉は、「始まりの街」「サムデイ・スマイル」「シアワセカイ」、EP『SEIZE THE DAY』のメイン・トラック「Glory Days」などオリジナル曲のほとんどを歌った。尾崎豊の作品からは「僕が僕であるために」「シェリー」「街の風景」の3曲。さらに、やや意外な選曲ではあったものの、さだまさしの「雨やどり」を弾き語りで聞かせたりもした、約2時間のステージだった。

バンドは裕哉を含めてギター×2、キーボード、ドラムス、ギターの5人編成。その後方下手に大きな額縁が少し斜めになった感じで架けられている。なかなか凝ったデザインのステージで、開演直後、そこにドラクロワの「民衆を導く自由の女神」と思われる絵が浮かび上がった。さらに舞台中央には、女神が手にしているものに似た、赤いフラッグ。『SEIZE THE DAY』、つまり「自らの手で大きなものをつかみ取ろう」といったメッセージがヴィジュアル面でも明確に打ち出されていた。

昨年春に新宿ではじめて彼のライヴを観たころは、オーディエンスやメディアの関心が「父親との関係」に集中しすぎているような印象を受けたものだ。まさに老婆心ながらという感じで少々心配してしまったのだが、東京国際フォーラムの客席はどの曲にも同じように反応していた。途中、裕哉のヴォーカルが途切れると(歌詞忘れ?)すぐにファンが歌いはじめるというハプニングもあり、正直なところ、驚かされた。

父親が大きな存在であっただけに、彼が大切にしていたことを受け継ぎながら、自分らしい作風、声、サウンドを手にするまでにはいろいろと葛藤や悩みがあったに違いない。昨年夏出版のメモワール『二世』(新潮社)でも少なからず触れられていたポイントではあるが、もうその壁は乗り越えてしまったようだ。年末には弾き語りのツアーが予定されているそうで、最初のフル・アルバムの構想も、すでに固まっているのかもしれない。

尾崎裕哉とは、11年の2月、ある音楽イベントの取材ではじめて会い、その後、13年春から15年春まで、ちょうど大学院で学んでいた時期にインターFMでパーソナリティを務めた『BETWEEN THE LINES』という番組をスーパーヴァイザー的な立場で手伝った。

ニール・ヤングの「WORDS/歌う言葉」の歌詞からタイトルのヒントをいただいたこのプログラムは、新旧・有名無名を問わず広い意味でのロックの分野から選び出した1曲を裕哉自身が日本語に移し変えて(単純な翻訳ではなく、解釈といったほうがいいかもしれない)、その文章を朗読し、テーマにあった曲を何曲かかけるというもの。

どの曲を取り上げるかは基本的にすべて任せていたが、たとえばエド・シーランやジョン・メイヤーといったタイプの人たちばかりでなく、ボブ・ディランやフランク・シナトラの曲を選んでくる回もあり、その守備範囲の広さにしばしば感心させられた。

日本ではまだほとんど知られていなかったジェイムズ・ベイの「スティーリング・カーズ」や、ホージアの「テイク・ミー・トゥ・ザ・チャーチ」など、番組づくりを通じて彼から教えてもらった曲も少なくない。2年間で約100回。けっこうたいへんな仕事だったとは思うが、あの体験はなんらかの形で現在の曲づくりにつながっているのかもしれない。背伸びをせず、ブールスやジャズ、ヒップホップの要素も柔軟な姿勢で取り込みながら誠実な言葉を歌っていくその姿を目にして、そんなことを思ったりもした。

最後に、ギターに関して少々。尾崎裕哉は、ボストン時代、ごく自然にギターを弾きはじめ、短期ながら名門バークリー音楽院でも学んだという。何度か近くで目撃したことがあるのだが、強く刺激されたというスティーヴィー・レイ・ヴォーンの「レニー」、あるいはジョン・メイヤーの「ネオン」といった難曲をさらりと弾かれてしまい、軽い嫉妬を覚えたりもしたものだ。

ギターそのものへのこだわりも強いようで、今回のライヴでは、フェンダー・ストラトキャスターのジミ・ヘンドリックス・モデル、ジャズマスター、ローズウッドのテレキャスター、ポール・リード・スミス、マーティンのアコースティックOM-28などの名器を曲にあわせてつぎつぎと持ち替え、いい音を響かせていた。かつて尾崎豊が愛用していたものと思われるローズウッドのテレキャスターを弾きながら歌った「僕が僕であるために」は、とくに印象に残った。(音楽ライター・大友博)

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