事大主義に染まる大人を鏡に子供が育つ韓国社会の怖さ

事大主義に染まる大人を鏡に子供が育つ韓国社会の怖さ

  • アゴラ
  • 更新日:2021/07/22

特に文在寅政権になってからは、韓国紙が報じる大概のニュースには驚かなくなっている。が、19日の朝鮮日報が「先生に叱られた小5『国家人権委員会に陳情します』」と見出しを付けた記事は、麻痺した筆者の頭を「何とここまで!」と殴りつけ、少し怖くなった。

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国家人権委員会の入っている建物 Wikipediaより

記事のあらましはこうだ。ソウルの小学校で31歳の教師が、リモートの授業にしばしば欠席する5年生の児童を、「授業も受けず、宿題もやらないなら、何のために学校に来ているのか」と叱ったところ、児童は教師に対してこう言ったというのだ。

―先生が他の子たちの前で私を叱って、私の人権が侵害されました。今後もこうなさるのであれば、国家人権委員会に陳情します。―

「体罰を行った訳でもないのに、こんな抗議を聞いて戸惑った」教師は、「実際にこの児童が陳情したら、人権委は私に問題があったと判断するだろう」と嘆じたという。韓国の学校では「国家人権委員会は10代の児童・生徒たちにとって『万能の訴え窓口』になった」と記事は書いている。

人権委の公表データによれば、20年に受理された陳情のうち、年齢が確認できるケースの15%(509件)が10代からのもので、ここ10年間で10倍以上に増えたそうだ。陳情の中身は「教室の外に立たされた」から「スマートフォンを取り上げられた」まで多種多様とのこと。

多くの場合、人権委も教師による注意のやり方を「人権侵害」とし、例えば釜山人権事務所は18年、「相手に許しを求める」、「反省文作成」、「違反したことを書いたプラカードを持って立つ」といった教師の指示を、「児童・生徒たちの良心の自由を侵害する恐れがある」と判断した。

「教室の外で立たされる」ことについても、「児童・生徒たちの学習権と安全権のどちらも侵害する懸念がある」との判断が下されたという。「これでは子供たちをまともに指導することなどできない」と教師らが不満を漏らすのも宜なるかな。

記事を読んでの筆者の感想は、一つは「さすがは事大主義の国の子供」というものと、他は「子供は大人を鏡にして育つ」。前者の「事大主義」を辞書で引けば、「自分の信念を持たず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする態度・考え方」とある(大辞林)。

近代の朝鮮をみても、「清」、「ロシア」、「日本」という強国に、時に応じて迎合する歴史だった。現代に入っても、中国と米国の顔色を窺いながらも意のままにならぬ鬱憤を、歴史問題などでは大人しい(実は相手にしていない)日本にぶつけることを繰り返してきた。

後者については、その「鏡」の代表は言わずと知れた「人権派弁護士」上がり(崩れ?)の独裁者、文在寅大統領だ。その文政権に対する、大統領選まで一年を切ったここ最近の韓国紙の論調は極めて厳しい。

朝鮮日報は16日、19年度の韓国紙の有料販売部数が、朝鮮日報116万2,953部、東亜日報73万3,254部、中央日報67万4,123部、ハンギョレ19万2,853部だったと報じた。記事は政府の広告出稿金額に関するもので、朝鮮日報はハンギョレの4分の1、東亜と中央のほぼ半額だった、とボヤく内容。

政府の広告出稿金額が部数に比例しないのは奇異だが、実は各紙の文政権に対する報道姿勢に比例している。ヨイショ度トップのハンギョレが最多である一方、一番厳しい朝鮮日報が最少額という訳だ。が、右とされる中央日報は記者によって振幅するし、また反日度は各紙とも横並びだ。

さらにこの記事で、韓国では全国紙上位4紙の日々の販売合計が人口の6%に満たないのに比べ、日本のそれが、減ったとはいえ未だに読売と朝日の2紙だけでも人口の1割を超えていることに、改めて彼我の違いを認識もした次第。

そこで、文政権に厳しい朝鮮日報など3紙が多く読まれている事態は、国民の多くを倦ませることに繋がろう。とりわけ「運動圏」などと称される、学生運動上がりの閣僚の多くに犯罪歴があるような現政権の状況は、政治家や裁判官や教師などの指導層への尊敬の念を失わせる。

報道を読んだ親が、家庭でその種のことを話題にするのを聞いている子供らが、教師よりも人権委員会を頼るという図は、「人権派弁護士」だったとされる為政者にとって大いなる皮肉ではなかろうか。

その文在寅は、ようやく五輪に託(かこつ)けた来日を諦めたようだ。

ここに至る文在寅の一連の行為を、日本の駐韓公使が記者との私的な懇談で「自慰行為」に準えたそうだ。これに韓国は性的表現で大統領を侮辱したなどと大騒ぎだ。オフレコであるべき私的懇談にも拘らず、政府レベルでの謝罪が必要だと、大統領選に立候補予定の京畿道知事は述べる。

筆者はむしろ「独り相撲」の語が、ここ最近の文在寅の有様にピタリと嵌ると思うので、その意味でもこの表現はどうかと思う。が、超ド級のインパクトだったに相違なく、日本での首脳会談に向けソウルを「出る寸前」まで高まった文を「萎えさせる」に充分だったようだ。

話を戻す。前述した子供らが大人になる頃、韓国が「強者に告げ口して頼る気風」がさらに蔓延する社会になることは想像に難くない。そうしたことを「卑怯」とする「武士道」の日本社会で育つ我が子らが、彼らに伍してゆけるだろうかとの不安に駆られる。

だが、ここを変えたら日本が日本でなくなってしまう。それは恰も白鵬の相撲が相撲でなくなったようなもの、とでもいったらよいだろうか。

高橋 克己

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