
鴻上尚史さん(撮影/写真部・小山幸佑)
出掛ける度にレイプの心配をする、過干渉の母親に悩む28歳の女性。「閉ざされた気持ちになる」と悩む相談者に、鴻上尚史が伝えた「リスク」と「ハザード」の切り分け方とは。
【相談96】過干渉ぎみの母親からレイプの心配をされます(28歳 女性 もとこ)
私は昨年に東京から地元に帰り、現在実家で両親、兄と暮らしています。
こちらで知り合った異性の友人が旅好きの人だった影響で、最近1人で地元の自然の観光名所的な所に行くようになったのですが、出掛けることを親に伝える度に、もともと心配性で過干渉ぎみの母親からレイプの心配をされ、強く反対されます。それが辛いです。
そして、実際に私が出掛ける先も、自然が多い所なので、人気がないところが多く、行きたいからと言って出掛けるんですが、母親の話を(何度もされるので)思い出し、怖い気持ちや嫌な気持ちになります。
過干渉の母親にも嫌気が差しますが、実際に女性1人の時の犯罪のリスクは存在します。
そうなると今度は女性であることの不公平感や、男性に対する羨ましさ、犯罪者に対する怒り、そして、どうしようもなく閉ざされた気持ちになります。
私は男性を羨んだり憎んだりしたくないですし、性犯罪にも遭いたくありません。自分の行きたいところに行きたいですし、母親の言葉にコントロールされて自分の能動的な気持ちが無くなるのが嫌です。
母親には過干渉であること、そういうことを言うのは私が何もできなくなることだと伝えてはいますが、「アンタはそういうこと(性犯罪)を何も分かっていない」と聞いてくれません。
母親の言うことを聞きすぎないで、防犯できるところはして、周りに気をつけて出掛けるくらいしか対処法はないと思うのですが、自分の気持ちの向き合い方が分かりません。
【鴻上さんの答え】
もとこさん。大変ですね。過干渉の母親への対応は、僕がこの連載で何度か書いているように、具体的な距離を取ることが一番だと思っています。経済的な問題もあって、簡単ではないと思いますが、地元でも独り暮らしが望ましいと思っているのです。
それとは別に、母親の心配に対する僕の考えを言いますね。
いきなり例え話なんですが、公園の遊具に対して最近は、「危険だから撤去すべきだ」という考え方をする人がいます。その人達の声が強いと、ベンチしかない公園がたくさん出来上がることになります。
ですが、公園の遊具に対しては、一律に危険だと断定するのではなく、「必要な危険」と「不必要な危険」に分けるという考え方があります。前者を英語で「リスク」、後者を「ハザード」と言ったりします。
残念ながらというか、当然というか、遊具は、危険じゃないと面白くありません。高さが1メートルしかない滑り台とか動かないブランコを用意しても、子供はまったく興味を示さず、遊ばないでしょう。または、すぐに飽きるでしょう。
だからといって、ものすごく急勾配で長い滑り台とか、5メートルもあるブランコは危険すぎて問題です。
その危険が「必要な危険」か「不必要な危険」かが重要ということです。
子供が遊具で遊ぶ目的はなんでしょうか? 子供はもちろん楽しいから遊びますが、大人が遊具を設置する目的は、子供達が遊ぶ中で、「生きていく上でぶつかる危険」を回避する能力を身につけてほしいからです。
ジャングルジムから落ちそうになったり、こいでいるブランコから飛び出しそうになったりすることで、子供達は危険からの回避能力を学びます。それは、身体だけではなく精神的な学習もします。「これ以上、ブランコをこいだらたいへんなことになる」「ブランコをこいでいる人の後ろを通りすぎてはいけない」と学ぶのです。
これは、身体的・精神的な回避能力を向上させるための「必要な危険」です。子供が大人になっていく中で、生き延びるためにとても必要な能力です。車から身を守り、ケガを予測し、自己を護るための重要な技術なのです。
一方、「不必要な危険」は、物的な危険と人的な危険に分類されます。物的な危険でいうと、いくつかの遊具が「不必要な危険」だと認定されて消えていきました。通常、子供が飛び降りられない高さに設計された遊具なんていうのは、典型的に「不必要な危険」です。
人的な危険は、遊具の遊び方をはるかに超えている場合です。ジャングルジムのてっぺんから飛び降りる、なんてことです。
それは、経験してはいけない、学ぶ必要のない危険です。
と書きながら、これ以上は紙幅の関係で遊具問題に深入りできませんが「必要な危険」と「不必要な危険」が明確に線引きされて、分かりやすく区別されているわけではありません。
日々の絶え間ない検証が必要なのですが、それでも僕はこの考え方は、人生においてとても役に立つと思っているのです。
以前、一人でニューヨークにミュージカルを見に行こうとしていた知人の若い女性が、親から「ニューヨークは危険だ」と猛反対されてあきらめたという話を聞いたことがありました。
僕は哀しくて呆れました。
一人旅は淋しくて楽しくて怖くて自由で刺激的で、いろんな意味でドキドキします。人生に必要なものがたくさん学べます。現地で見知らぬ人と出会い、交流することは、間違いなく人間的な成長をもたらします。「可愛い子には旅をさせよ」ですね。一人旅は、とりわけ魅力的な危険なのです(まったく危険がないのは、食事もホテルも観光のスケジュールも分単位で決まっていて、自由時間がまったくない団体旅行ですかね)。
だからこそ、「必要な危険」と「不必要な危険」をちゃんと分ける必要があるのです。
ニューヨークが犯罪都市と悪名が高かった1970年代から1980年代、僕は一人旅で訪れ、危険な地区、危険な時間帯をチェックしました。深夜でも、大通りは大丈夫、路地は危ないなどと対応しました。
コロナ禍の今は別として、90年代以降、ずいぶん犯罪発生率は減り、ニューヨークは安全な都市になりました。
知人の親は、ただ昔ながらの「ニューヨークは危険」というイメージで現実と向き合ってなかったのです。
それは、「遊具は危険」と言って、公園のすべての遊具を禁止することと同じです。人生において大切なことを学ぶ可能性を子供達から奪っているのです。
さて、もとこさん。例え話が長くなりましたが、もとこさんが出かける自然の多い人気のない所は、どれぐらい危険なんでしょうか。
犯罪が起こったことはありますか。地元の警察に聞いてみるといいかもしれません。人気はまったくありませんか。それとも、30分に一回ぐらいは人とすれ違いますか。時間帯によっては、人出はどれぐらい違いますか。
「地元の自然の観光名所的な所」とも書かれていますが、そういう場所では大声を上げたり、防犯ブザーを鳴らしたりしても、他の人に届かない場所なんでしょうか。他に催涙スプレーなど護身用の物を持つ必要はありますか。
そもそも、もとこさんが出かける場所の状況を、母親は把握しているんでしょうか。
母親の「もとこさんが女性であることで受ける危険」に対する心配はよく分かります。ですが、母親はただ心配して現実と向き合っていないと、きつい言い方ですが思います。母親は、これからも抽象的に心配を続けるでしょう。それは、もとこさんにとって有益なアドバイスにならないと思います。
もとこさんがすることは、出かけていく場所や自分自身の行動に関する「必要な危険」と「不必要な危険」をちゃんと分けることです。そして、一人で出かけるという「必要な危険」を楽しむことです。
それは、過干渉な母親から自立することにもなると思います。ちゃんと用意して、一人のお出かけをうんと楽しんで下さい。
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