2月下旬「コロナワクチン一斉接種」が始まると、自治体は大混乱に陥る...!

2月下旬「コロナワクチン一斉接種」が始まると、自治体は大混乱に陥る...!

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/01/13
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オンラインではできない接種

先日筆者は、某政令指定都市の職員からこんな嘆き節を聞いた。

早ければ2月下旬にも新型コロナウイルスのワクチン予防接種が始まるが、我が街の住民の数×2回、すなわち数百万回の接種を行わなければならないわけで、会場、スタッフ、ワクチンの管理等、実施体制をどうするか考えただけでゾッとする、というのだ。

思い起こしてみてほしい。国民全員への10万円給付や、それに伴うマイナンバーカード交付申請の急増で各地方自治体の窓口や裏方が大混乱に陥ったのはせいぜい半年ほど前のことだが、今回のワクチン接種は、オンラインで完結できる人もいた10万円給付とは事情が異なり、希望する人は皆、実際に会場に足を運ばなければ実施できない事業だ。

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米国では医療従事者や75歳以上の接種優先が実施されている/photo by gettyimages

それこそ、相当数の国民が、早く予防接種を受けたいと、各地方自治体が用意した会場に殺到することになるかもしれない。

しかし、そんなことになると、「有事」ではなく「平時」を前提として作られている行政資源はいとも簡単にパンクしてしまう。それは、PCR検査をめぐる、昨年上半期の(いや、現在に至るまでの)保健所の状況を見ても明らかだろう。

今回のワクチン接種は、おそらく各地方自治体で保健・健康・医療を所管する本庁の部署や保健所等が中心となって計画を立て、実行することになると思われる。

ほとんどの人が「一刻も早く受けたい」という気持ちでいっぱいかもしれないが、冒頭の地方公務員が嘆くように、現場の行政側の苦労は相当のものになると予想される。

全住民が対象となる予防接種という巨大事業で、会場・要員・物資をどう確保し、どのように住民に案内して会場に来てもらい、円滑に受けさせるか。言うのは簡単だが、実際にやるとなれば、10万円給付事業以上に大変である。

学校での「集団接種」も難しい

住民への案内一つをとっても、専用の接種券(問診票など)を郵送し、会場へ持参して受けてもらうのが標準的な手法となるが、海外で始まった予防接種の事例では、「○時間待ちの行列」などと報じられている。なにせ対象者が多いのだから、どうやってもある程度の混乱・混雑は避けられないだろう。

接種会場でクラスターが発生すれば、元も子もない。少しでも接種会場の混雑を避けようとするなら、住民を地域別にいくつかのグループに分けて接種時期・時間帯を分散させるなどのアイディアも出てくるかもしれない。

しかし、10万円給付のとき、「うちには届いた(振り込まれた)」「うちにはまだ来ない」といったタイミングのズレが昨年話題になったとおり、そういった工夫が、逆に行政への批判を生むことにもなりかねない。

その一方、重症化リスクを持つ人たちから優先して接種の機会を提供していくべきという方針については、さすがに異論を唱える人はいないだろう。ただ、地方自治体にとって、住民を年齢で抽出することは容易でも、基礎疾患の有無という相当センシティブな個人情報を把握して、条件に合った人だけを漏らさず、優先的に接種の案内をすることは、現在のしくみでは簡単ではない。

もしこれが、国民と政府の間に信頼関係があり、マイナンバー制度を中核とする電子政府化と個人情報管理のしくみが飛躍的に発展していたならば、患者本人がかかりつけの医療機関に申告(=情報提供の同意を)するだけで、自分の病歴が地元市区町村に伝わり、予防接種の優先対象者のリストに入る、という仕組みも作れたかもしれない。いま言っても詮無いことだが…。

結局、こんな状況の中で、患者がかかりつけ医から持病の証明を受けるための手間や混乱を考えると、 予防接種時の本人の自己申告でいいというのが国の方針のようだ。仕方がないこととはいえ、それを悪用した「早く受けたいがための詐病」の人が続出し、それがもとでさらなる行政批判を招かないか心配で仕方ないが。

また、接種会場・要員の手配についても、行政資源に負担が集中することを避け、国民の接種機会を増やすことを目指すならば、保健所など地方自治体の直営施設だけでなく、普段から各種の健診や小児予防接種の実施に協力している地域の医療機関を活用するのが得策となる。ただし、マイナス70度での保管が必要なワクチンであることがネックになるだろう。

あるいは、学齢期の子どもだけでも学校で集団接種させれば効率的に実施でき、接種率も上がるかもしれない。しかし、昔と違って現在の学校には集団接種のノウハウは残っていない。

行政も接種「義務化」はできない

そもそも学校で接種を行えば、子ども同士の間で誰が接種したか、しなかったが分かってしまう。これは「接種しない自由」を事実上奪うことにつながりかねない。こうした観点からも、実現は難しいのではないだろうか。

いま、「接種しない自由」と、さらりと書いたが、本稿の後半では、これまた行政の現場を悩ますことになるだろう、接種をめぐる同調圧力の問題を考えてみたい。

現在、日本のマスメディアの報道を見ると、ワクチンの効果(治験での有効性)や、海外で始まったワクチン接種の状況を好意的に伝えるものが多い。そんな中、このご時勢に予防接種を受けないなんてありえない、と考えている人も多いだろう。

しかし一方で、予防接種に懐疑的な人もいるはずだ。

そもそも今回のワクチンは開発期間が短く安全性に不安がないわけではないし、その効果についても、風疹やおたふくかぜなどの予防接種と違って、接種をしても感染しないとは言い切れない。これまで、インフルエンザの予防接種を受けても、かかる人はかかっていた。

それと同じように新型コロナのワクチンも控えめに考えるべきなのだが、一部の専門家が指摘するように、「有効率90%以上」といった情報がミスリードされ、過剰な期待が膨らんでいるフシがある。

そんな事情もあるからか、政府や地方自治体は、国民に対して予防接種の勧奨はしても義務化はせず、最終判断はあくまで一人ひとりに委ねるスタンスを取るようだ。ワクチンの安全性などの懸念がある状況では、極めて現実的な選択といえるのではないだろうか。

そんな中、気になるのはマスメディアの報道により形成される国民の感覚だ。

予防接種を受ければコロナ禍は駆逐できるとばかりに「ワクチン万能論」を展開し、国民の間に「社会の安全のために全員が予防接種を受けるべきである」という意識を形成していく可能性はないだろうか。

「ワクチン万能論」の二極性

こうした「ワクチン万能論」は、2つの極端な反応をもたらすと予想される。一つは、予防接種を受けた人の中に、「もう俺は無敵だ」とばかりに、街を歩くときはマスクをしなくなり、これまで我慢していた夜の酒席を繰り返すようになる人が出てきかねないことだ。

もう一つは、予防接種は法的に義務化されていないのに、受けていない人を暴き出して、行動に制約をかける「予防接種警察」が現れてもおかしくないことだ。「自粛警察」に似たような存在と言ってもいい。

これまでも、医療従事者の家族などが、新型コロナウイルスに感染しているかもしれないからと、施設の利用拒否などの「コロナ差別」に遭う被害が全国で報告されているが、予防接種が始まると、「PCR検査で陰性を確認しましたか」ではなく、「予防接種を受けましたか」が問われる時代が来るかもしれない。

ご存知の方もいるだろうが、黄熱など、致死率の高い感染症のある地域に海外渡航する際に、予防接種証明書の提示を求められることがある。これと同じように、各地方自治体が「新型コロナワクチン予防接種証明書」の発行を始めるべきかどうかも、悩ましい問題になるだろう。

確かに、医療や福祉の現場など、そういうものが必要な場所はあるかもしれない。しかし、誰彼構わず接種証明を発行することで、かえって国民の監視意識を助長し、証明がなければ一般の社会活動にすら制約が出るような雰囲気になってしまっては目も当てられない。とても難しい問題なのである。

※※※

今回、コロナの拡大を止められるかもしれないワクチンを入手でき、予防接種にまでこぎつけたことは、本来よい話である。しかし、やり方をひとつ誤れば、一転して混乱や新たな差別(分断)を生むかもしれない。コロナ禍の下、社会の不安、不満、そして期待を一手に引き受ける行政は、重い責任を伴った判断を求められているように思える。

あくまで、私たちが戦うべき敵は新型コロナウイルスであって、人同士ではない。ウイルスを「正しく恐れる」というのと同じように、予防接種についても、私たちに必要なのは冷静な判断とバランス感覚である。

また、予防接種の円滑な実施に向けて注力している行政の現場の人々に対しては、「医療従事者への感謝」に準じた応援の声がもっと出てきてもいいのではないだろうか。

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