気がつけば40年(35)1995年 引き分け再試合が生んだもう一つの「10・8」原辰徳引退セレモニー

気がつけば40年(35)1995年 引き分け再試合が生んだもう一つの「10・8」原辰徳引退セレモニー

  • スポニチアネックス
  • 更新日:2022/11/25

【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】記者生活42年を当時の紙面とともに振り返るシリーズ。今回は1995年10月8日、15年にわたる現役生活に別れを告げた巨人・原辰徳選手(現巨人監督)の盛大な引退セレモニーを振り返る。

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1995年10月9日付、スポニチ東京版1面最終版

原辰徳ってどんな人?略歴、トリビアも!

中日と同率の最終戦決戦を戦った1994年の「10・8」からちょうど1年。東京ドームが異様な熱気に包まれた。リーグ3位が確定してのシーズン最終戦。カクテル光線を落としたフィールドの真ん中で、スポットライトが背番号8を浮かび上がらせた。

4番三塁でスタメン出場し、7回には左翼席へ通算382号となる最後の本塁打を放った若大将。「まだやれるぞ!」「やめないで!」…。スタンドから降り注ぐ声を遮るように、マイクの前に立った。

「アキレス腱が切れるまでグラウンドで頑張ろうと思ってきました。しかし、限界です」

プロ入り7年目の1987年から始まった両足アキレス腱痛との戦い。89年にはその負担を軽くするためにレフトへコンバートされた。92年は一塁、93年は古巣の三塁と守備位置を変えながら巨人軍第48代4番の座を死守してきた。

しかしながら、左アキレス腱部分断裂で開幕を2軍で迎えた94年、中日からFAで加入した落合博満にその座を明け渡すことになる。95年はともに元ヤクルトの広澤克実、ジャック・ハウエルが入ってきて先発出場が激減。横浜(DeNA)の近藤昭仁監督から「ウチに来ないか?」と声が掛かるなど複数球団から誘われたが、巨人で現役生活を全うすることを決意した。

「巨人軍は巨人軍独特の何人(なんびと)も侵すことのできない聖域があります。この15年間、それを肌で感じて守ってきました」

川上哲治、長嶋茂雄、王貞治…。偉大なる先達が守ってきた巨人の4番の座。「自分は自分」と言い聞かせても、周囲は黙って見ていてはくれない。スランプに陥ってチームが負ければ「原ブレーキ!」の大見出し。真っ先にその責任を問われた。

どこかひ弱なイメージがつきまとってはいたが、どれだけ巨人に貢献してきたことか。4球団が競合した80年ドラフト。新任の藤田元司監督に当たりくじを引いてもらい、長嶋解任で吹き荒れた逆風を止めた。

1年目の81年に打率・268、22本塁打、67打点の成績で新人王を獲得。チーム4年ぶりのリーグ優勝、8年ぶりの日本一に貢献し、7社のCM出演が決まった。

私が初めて巨人番記者になったのは翌82年。1月3日、初仕事として相模原市の自宅を訪れ、名刺を差し出すと「頑張って下さい」。さわやかな声は今も耳に残っている。

そして開幕から1カ月ほど経った後楽園球場。試合前、ロッカーからグラウンドに向かう通路ですれ違いざま、「永瀬さん」と呼び止められた。「郷太郎っていうの?凄い名前だね」。名刺を渡して数カ月が経過していたが、巨人の選手に名前を呼んでもらうのは初めてだった。うれしかった。

スポーツ紙各社が複数の担当記者を置く人気球団。下っ端の記者は署名入りの記事を書いても「おい、スポニチ」と社名で呼ばれのはいい方で、なかなか覚えてもらえない。敷居の高さを痛感していたとき、初めて名前で呼んでくれたのが背番号8だったのである。

そんなかけがえのない取材対象の最後の晴れ姿。野球の神様が15年間の姿を見ていたのだろう。雨による中止がない東京ドーム。シーズン最終戦を迎えるのは88年の開場以来8年目で初めてだった。

当時の試合方式が関係している。セ・リーグは90年から2000年までの11年間、延長15回とし、引き分けた場合は再試合を行った。この95年、リーグ唯一の引き分け試合が9月1日、5―5で分けた巨人―広島戦(東京ドーム)。その再試合が10月8日に組まれ、引退セレモニーの舞台になったのである。

オープンカーで場内を一周した若大将。挨拶の最後をこう締めくくった。

「感無量…。その言葉しか出てきません。皆さんの声援は生涯忘れることはありません。プレーヤーとしての夢は終わったわけですが、僕の夢には続きがあります」

その夢の続きは現役時代以上に華やかだった。99年から長嶋監督の下、野手総合、ヘッドコーチとして帝王学を学び、2002年に監督就任。いきなりリーグ優勝、日本一を果たした。

03年限りでいったん現場を離れたが、06年に復帰すると10年間で6度のリーグ優勝、2度の日本一。09年のWBCでは日本代表監督として侍ジャパンを2大会連続の優勝に導く。18年にはエキスパート表彰部門で野球殿堂入りした。 ここで終わっていれば、申し分なかった。

ところが…。さらなる続きがあった。現在進行形である。これについては別の機会に触れたい。

◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年生まれの67歳。岡山市出身。80年スポーツニッポン新聞東京本社入社。82年から野球担当記者を続けている。2015年から特別編集委員。

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