【虎のソナタ】サンスポに用意してくれた星野虎Vの第一声 感謝広告で「あ~しんどかった」

【虎のソナタ】サンスポに用意してくれた星野虎Vの第一声 感謝広告で「あ~しんどかった」

  • SANSPO.COM
  • 更新日:2020/09/15

「そうか…あれからもう17年か…」

サンスポの編集総括席でポツンとつぶやくように局次長稲見誠がフッとため息をついた。

清(すず)しいかなや西風の まず秋の葉を吹けるとき…と島崎藤村は詠んだ。朝晩はやっと涼やかになった。だが、東京ドームはこれからが猛虎の咆哮が響く。

「いよいよですョ。こっちは若きエース高橋遥人ですから。先輩、コレをあちこち貼り付けておいて景気づけにキリッと頼んますヮ。ボーッとしとらんと」と運動部長大澤謙一郎の声。ボーッとなんかしてないわぃ。

「虎ソナ席」は連日、もはや“勝利の滝行”の雰囲気なのだ。運動部長はこの欄で何度も紹介したが読売テレビ朝の情報番組「す・またん!」で御利益全開の『連敗退散! モリビエステッカー』(大好評コラム「と・らたん!」連載中の森たけしアナ直筆のアマビエにあやかった必勝祈願のお札)を持ち出してきて「これを見ながら虎ソナを書いたら、間違いなく御利益があるハズですヮ。そろそろ菅野も打たれ頃という予感がしていますし。多分、いや、まてョ、以前にもそう口走って、甲子園で菅野にやられたしなぁ」。おいおい、大丈夫か。

負けたら、新聞の売り上げも含めて、すべて森アナのせいにしそうな雰囲気だから、もはや、なりふり構わず“特攻隊”のような空気なのだ。

その背後で総括席の稲見誠は冒頭の17年も前の、9月16日付のサンスポ紙面を思い出して熱い吐息をもらした。読者の皆さま、覚えていますか。そう、あれからもう17年が経過しました。

そう2003年9月15日、阪神タイガースは18年ぶりに優勝した。開幕から快走したが、指揮官・星野仙一の体調は悪かった。それをつぶさに取材していた当時のトラ番キャップ稲見誠は緊迫感に彼が押しつぶされそうになっていたのを見てはいられなかったが、星野の鬼気迫る迫力に、ただ沈黙するしかなかった。星野は日本シリーズ後に勇退。監督は生死を賭け、番記者はそれを抑えて記事を書き続けた。

そのリーグ制覇の翌朝の各スポーツ紙に星野は自腹を切って『ファンやトラ番マスコミに感謝』を伝えたいとして当時で1000万円の「紙面感謝広告」を出した。これは星野仙一が極秘にしていたもので、“感謝と真意”を伝えるために計画していたものだった。

サンスポの紙面を飾ったフレーズは。

『あ~しんどかった(笑)』

稲見は言う。「びっくりしたんや。優勝インタビューの第一声と全く一緒。ホント、監督の気持ちはありがたかったなあ」

熱血漢星野が本気を込めた、あの歴史に残る、お立ち台での、言葉をわがサンスポに用意してくれていたことに感激と感謝を新しくしておきたい。

03年、首位快進撃の真夏、7月下旬にニューヨーク・タイムズは本国のトップ記事にこう書いた。「日本球界でたぶん最高の監督。ファンが好むリーダーシップのブランド品。閉塞感のある時代に行動力と指導力に優れている」と。なんだか今の日米の新時代にも共通する見出しは『砂漠の予期せぬ花』。

この星野阪神Vの年の10月7日、甲子園の最後の巨人戦で、すでに辞任を発表していた原監督に星野監督は花束を贈り、ヒシと抱きしめて耳元でこういったのだ。「くじけるな。また必ず君は戻ってくるんだゾ!」と。そのとき原辰徳はナインを前にしてこう誓っていた。Victory is our Destiny(勝利こそわが運命)。17年後に原監督は栄光に手をかけた。

矢野監督はこの日、藤浪晋太郎の2軍再調整を決断したけれど、まだ終わってはいないのだ。

さぁ、伝統の一戦-。

No image

2003年9月16日付けのサンケイスポーツ10面。星野監督の第一声が紙面感謝広告として掲載された

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加