古代ローマの円形闘技場「コロッセオ」のレプリカがトルコで発見される

古代ローマの円形闘技場「コロッセオ」のレプリカがトルコで発見される

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  • 更新日:2021/04/07
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photo by iStock

昨年、トルコ西部マスタウラの古代都市遺跡で、驚くべきものが発見された。一部は地中に埋まり、木や薮で覆われて見えなくなっているが、それは間違いなく巨大な円形闘技場の外観であることははっきりわかった。

そう、古代ローマのあの有名なコロッセオにそっくりなのだ。

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アナトリア(現トルコ)にあるコロッセオとそっくりの円形闘技場

トルコのアイディンにあるアドナン・メンデレス大学の考古学チームが、現在オリーブやイチジクの木立に覆われて見えなくなっている部分に、コロッセオのレプリカの遺構が隠れているのを発見した。

アナトリア(現在のトルコ)がローマ帝国の一部だった時代に娯楽を楽しむために建設されたものと思われる。

ローマの有名なコロッセオと同様、このたび発見されたレプリカでも、人間同士、人間対動物、動物対動物の血なまぐさい戦いが行われていたのだろう。

驚いたことに、見つかったコロッセオのレプリカはほとんど無傷だった。土や植物に埋もれていたために、腐食や崩壊を免れたようだ。

これまでにも、トルコではローマの闘技場の廃墟が見つかっているが、自然の腐食作用や略奪者の狼藉のせいで、これら古代建造物の痕跡はわずかしか残っていない。

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トルコ西部で見つかったローマのコロッセオレプリカのアーチ

image credit:Hurriyet Daily News

2万人近く収容できる本格的な円形闘技場

「アナトリアの円形闘技場のように、そっくりまるごと発掘された例はありません。これが初めてです」発掘チームの考古学者、セダト・アクルナスは言う。

「円形闘技場の大部分は地下にあります。埋まっている部分は、かなり保存状態がいい。まるで建てたばかりのように堅固なのです」

地中部分を調査すると、構造的にしっかりした保存状態のいい部屋がいくつも発見された。おそらく剣闘士たちや重要な客、主催管理者、イベントの企画者などが控えていた部屋だろう。

アーチ型の入り口や丸天井は、間違いなくローマの建築家の様式を踏襲していることがわかる。彼らは、この地の権力者が見習うべき基準を設定した。

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ローマの建築にならったアーチ型の様式

image credit:TurkiyeTurizm

「建物の地上に出ている部分には、座席の列、剣闘士が戦った闘技場、建物の周囲の外壁が見られます」

マスタウラの競技場の円形デザインは独特だ。ローマの円形闘技場は、半月型、あるいは半円形で建設されることが多い。ここの建築家は、紀元1世紀にローマのコロッセオを建てた建築家が確立した古典的な設計原理に忠実であることを示すよう熱心に取り組んだようだ。

長く忘れ去られていたこの闘技場の大きさには驚きを隠せない。直径およそ100メートル、周囲の壁は一番高いところで15メートル。収容人数は正確には計算できないが、アクルナス氏は1万5000人から2万人は収容できたのではないかと見積もっている。

5万~7万人を収容できたローマのコロッセオよりは小ぶりだが、アナトリアの少ない人口密度を考えれば、適切だったといえる。

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トルコ、ミレトスの古代劇場の左側エントランス(ローマ皇帝トラヤヌスがギリシャ時代の遺跡を再建したもの)は、アナトリアにおけるローマの存在とその痕跡を示すもうひとつの遺物。

image credit:Bernard Gagnon / CC BY-SA 3.0

セウェルス王朝とアナトリアの迫りくる衰退

建造物そのものと建設に使われている石工術をみてみると、このコロッセオレプリカは、紀元193~235年までローマ帝国を支配していたセウェルス王朝時代のどこかで建造されたと考古学者は見ている。

この時代、小さな都市マスタウラは、アナトリアの西アジア地区で、この地域のいくつかの大きな都市からほぼ等間隔の場所に位置していた。

マスタウラは、娯楽の中心地として設計された可能性があり、そこで、人々は剣闘士の戦いを見物し、地元の劇場での演奏会や余興に参加したのだろう(かなり前に、劇場の遺構の一部が地上で確認されている)。

コロッセオのレプリカが完成してから、実際にどれくらいの頻度で使用されていたかは今となってはわからない。

3世紀始めにはアジアのこの地域は、比較的繁栄していたため、この建築計画が最初に承認されたとき、期待は高かったことだろう。だが、セウェルス朝の最後の皇帝アレクサンデル・セウェルスが、235年に自身の軍勢に暗殺された後、ローマ帝国全体は危機の時代に入り、アナトリアの支配にも大きな影響を与えることになった。

アレクサンデル・セウェルスの死後50年の間に、26人もの人間が皇帝の座を主張し、セウェルス王朝の崩壊後、ローマの政治システムを襲った正統性の危機とそれに続く混乱は、帝国の永久崩壊につながる「3世紀の危機」の原因と兆候の両方だった。

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現在のトルコにある保存状態のいい劇場アスペン・ドス。収容人数7000人。紀元155年に、この町出身のギリシャ人建築家ゼノンによって建設された。当時は、五賢帝として知られたローマ最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(在位161~180年)の時代だった

image credit:Saffron Blaze / CC BY-SA 3.0

ローマ帝国の衰退とアナトリアのコロッセオのレプリカ

3世紀には、ローマやアナトリアを次々と困難が襲った。異教徒の侵略、内乱、社会不安、農民の反乱、はしかや天然痘など疫病がローマ全土に広まり、大勢が死んだ。

こうした要因に加えてさらに政治的失策も重なり、帝国は長期にわたる経済不況に陥り、とくにアナトリアやアジア圏の情勢は大きく衰退した。ローマ帝国のこの地域は、二度とピーク時の繁栄を取り戻すことはなく、4世紀には複数の小さな州に分割された。

マスタウラの円形闘技場は、いい時代がずっと続くと期待されて建設されたのだろう。だが、完成してまもない頃、この地域を襲った経済不況を考えると、このような巨大建造物は、財政的に窮乏したプロモーターがスポンサーになるにはコストがかかりすぎ、ほとんど使用されることなく、空っぽになっていた可能性がある。

セウェラン朝後の経済的に厳しい時代には、この新たな建造物は無駄でしかなく、ローマの衰退の象徴として忘れ去られていったのかもしれない。

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マスタウラで最近発見された、コロッセオレプリカ遺跡のの別の部分

image credit:Hurriyet Daily News

今後、数ヶ月間、継続される保存活動

今後、マスタウラのこのレプリカ闘技場を発掘した考古学者たちは、もっとも崩壊しやすい箇所の保全と保存作業を始める。

「壁にはひび割れがたくさんあり、積みあがった石は落下しそうになっています。4月には、腐食や崩壊から守るために最初の壁の保全を行う予定です」

その作業が完了した後、アクルナスら研究チームは、現場の地質物理学的調査に着手し、地中に埋まっている建造物の様子をより詳しく調べる。

調査チームは、近隣の町ナジリの自治体から支援を受けているほか、トルコの文化観光省とも密に協力して、この重要な発掘プロジェクトを進めていく予定だ。

References:hurriyetdailynews/turkiyeturizm/ancient-origins/ written by konohazuku / edited by parumo

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