星野仙一監督、命懸けだった聖火リレー“見えない敵”との闘い/寺尾で候

星野仙一監督、命懸けだった聖火リレー“見えない敵”との闘い/寺尾で候

  • 日刊スポーツ
  • 更新日:2021/07/20
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沿道の声援に応える星野仙一監督(2008年4月26日撮影)

<寺尾で候>

東京五輪聖火リレーが都内に入り、最終コーナーを迎えている。3月に福島を出発し、約4カ月が経過。東北を駆けた「平和の炎」を取材したのは、秋田県内を走った6月初旬のことだった。首相・菅義偉の出身地にあたる湯沢市を巡った翌日、能代市のリレーを見守った。新型コロナウイルス感染拡大が考慮され、小中学生が沿道に鈴なりになるイベントも取りやめになった。

これまで中止を提案した自治体、公道を避けて無観客の公園、運動場で行われた場面もあった。科学的根拠もないまま判断せざるを得なかった首長の心境にも、一定の理解ができる。各市町村で聖火リレーの対応が異なったのは、地元実行委と政府・大会組織委との温度差が存在したからだろう。だが、葛藤し、熟慮した末に引き受けたランナーが走り抜ける姿は感動的だった。

そこで思い出したのは08年、北京五輪の聖火リレーが長野県で強行された取材だ。当時、中国チベット自治区ラサ市で独立を求める暴動が起き、世界各地で騒乱が生じ、リレー妨害にまで飛び火した。

第1走者は当時の日本代表監督、星野仙一だった。通常は公表されないトップランナーがあえて発表された。制服警官、機動隊の伴走に星野は「走る限りは気持ち良く走りたい。だから警備はいらない」と断った。おとこ気だとか、潔い、正義感だけで片付けてはいけないという心情が伝わってきた。国家的イベントになった「五輪」の存在意義を問う、せめてもの抵抗ではなかったのか。だからフリーチベットの叫び声、中国国旗が入り乱れても、表情が緩むことはなかった。

星野は「残念だった。もっと手を振って走りたかった」と漏らした。チベットには文房具などを寄付する活動もしていた。「走るから中国支持ではないし、チベットでもない」。中立を強調しながら、命懸けのリレーだった。

卓球日本代表の福原愛らの走行中、チベット亡命者を含む6人の男がコースに乱入し、逮捕者も出る騒動になった。新型コロナの感染症拡大で揺れる今回と比較はできない。だが、同じ世界的な危険にさらされながらのプロローグだった。

故郷の能代で聖火ランナーを務めた元阪急ブレーブスの名投手、山田久志は「もろ手を挙げて五輪に賛成ではないが、開催するなら盛り上がってほしい。アスリートは必死に取り組んできたんだから」という。

国を挙げて戦う以上、政治的問題抜きではあり得ない。商業化、肥大化も問われる。そして“見えない敵”との闘いが待ち構えている。その行方は政府も、専門家もだれも想像がつかない。今はひたすら1人歩きする「安心・安全」のキャンペーンを信じるしかない。(敬称略)

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