
Amazon Prime Video『King Gnu Live at TOKYO DOME』
今年6月の“セレモニー閉幕”から約3カ月。束の間の沈黙を破り、ついにKing Gnuが大群を率いて再び大きく動き出す。放送開始前より注目を集めていたTVアニメ『呪術廻戦』第2期『渋谷事変』(MBS/TBS系)のOPテーマ「SPECIALZ」、つい先日発表された待望の4thアルバム『THE GREATEST UNKNOWN』リリースに加え、2024年には全国5大ドームツアー『King Gnu Dome Tour「THE GREATEST UNKNOWN」』を開催。直近の怒涛のビッグニュースの連続に、思わず胸を躍らせたファンも多いことだろう。
2017年に「King Gnu」と自らの名を改め動き出した彼らは、この数年間で次々に大勢の人々を巻き込み、今や日本のカルチャーの一潮流を掌握するバンドへと成長した。時代や文化を牽引する若者を中心に、幅広い層を魅了し続ける彼ら。その魅力には当然さまざまな側面があるが、King Gnuというバンドが世に放つ楽曲、さらに言えばその作品群でバンドの首謀者・常田大希が記す歌詞も、大勢の人々を惹きつけて止まないファクターのひとつでもある。
11月に発売を控える作品を加えれば、King Gnuとしてこれまで世に放ってきたアルバム音源は計4枚。そこに収録される楽曲は非常にバラエティ豊かなラインナップである一方で、どこか根底に共通するムードを漂わせる。曲がまとう空気感に起因する要素を探るべく、今回は楽曲の歌詞に度々登場する“ある表現”に注目してバンドの根幹へと迫ってみたい。
彼らの代表曲ともなったドラマ『イノセンス 冤罪弁護士』(日本テレビ系)主題歌「白日」。今年6月に同曲がストリーミング累計6億回を突破したことも記憶に新しいが、楽曲の一節にはこんな歌詞が記されている。
「白日」
〈朝目覚めたら/どっかの誰かに/なってやしないかな/なれやしないよな〉
King Gnu - 白日
自分ではない誰かになりたい、けれどそれは不可能だとわかっている――そんな諦めの滲むフレーズだが、実は近しいニュアンスを孕んだ歌詞が書かれた楽曲は他にもある。その最たる例が、「Teenager Forever」の冒頭の一節だ。
「Teenager Forever」
〈他の誰かになんて/なれやしないよ/そんなのわかってるんだ〉
King Gnu - Teenager Forever
明るいサウンドの響きもあり「白日」に比べると、ややポジティブなニュアンスの印象が強いが、メッセージの本質は変わらない。現状の自分に抱く不満や嫌悪。それを払拭した存在である他者への憧れ。けれどそれには届かないと知る諦め。三段階の感情推移という複雑な描写が、各曲のたったひとつのフレーズに込められており、それだけでも作詞を担当する常田の表現力の巧みさには舌を巻く。
「Bedtown」
〈昔なりたかった自分には多分なれやしないだろう〉
「ユーモア」
〈背伸びしたってアヒルはアヒルか〉
加えて上記の楽曲も、近似するメッセージ性を含んでいると見ていいだろう。憧れの対象を他者でなく昔思い描いた理想の自分とした「Bedtown」、童話『みにくいアヒルの子』を着想としたと思われる「ユーモア」。これらのフレーズの総括として、King Gnu楽曲の要素の一部として抽出されるのは、“自己への嫌悪”、“憧れに届かない諦念”というネガティブなマインドとも言える。大勢のアンノウン、“名もなき人”にとって、きっとこの感情はとても身近な思いでもある。同時にこれほどまで緻密でリアリティのある諦めの感情を、常田がこんなにも鮮明に描ける理由として考え得る選択肢はふたつ。ひとつは彼が、自身に経験のない事象でも細緻に描けるほどの、おそろしく高い共感力と想像力の持ち主であること。あるいは、今でこそシーンの最前線をひた走る華やかなスターとなった彼もまた、“名もなき人”として憧れに届かない諦めを、過去にどこかで痛いほどに身をもって知ったかだろう。
しかし、バンドの歌詞に描かれる表現の興味深さはそんな印象を携える一方で、ここまでの文脈をすべてひっくり返してしまう描写をも、度々楽曲に用いる点にある。それが表出しているのが、直近作も含むこれらの楽曲群だ。
「三文小説」
〈そのままの君で良いんだよ〉
「SPECIALZ」
〈“WE R SPECIAL”/あなたはそのままで〉
「硝子窓」
〈あなたはわたしで/いびつそのままで〉
「三文小説」「SPECIALZ」は、“君”や“あなた”と言いつつも、そこにある肯定は、本来肯定されるべきでない何かを抱える他者に向けられている。文脈として先述した“自己に対してネガティブなマインドを持つ他者”への肯定と読み解いても違和感のないなか、最新曲「硝子窓」でその意図は明確なものとなった。“いびつ”であるネガティブを抱えてなお、それでも相対する“あなた”と同時に、自己となる“わたし”をもこの歌詞で肯定したのである。
King Gnu - 三文小説
自己への肯定をポジティブとするならば、ネガティブである自己への“諦め”とは、本来たしかに対を成す概念かもしれない。しかし、この相反するふたつが両立する点こそ、King Gnuの歌詞表現を考えるなかで最も注視するべきポイントだと思う。
憧れたものにはなれなかった。けれど、そんな不出来な自分のままでもいい。――この価値観は心理学の分野で、「適応的諦観」と呼ばれる立派な自己受容のひとつの形である。こうしたラベリングが存在するということは、つまりこの道を歩んできた人間の数が決して少ないものではないということだ。自らのネガティブな側面をも、良い意味で諦め、受容してきた人々。彼らにとって、King Gnuの歌詞で描かれる諦観は、共鳴や共感を呼ぶものとして、あるいは今まさに自己へのネガティブな自意識に苦しむ人にとっては、至らない自分をも掬い上げてくれる救済として響く。そんな名もなき人々の感情の渦こそが、バンドのあとを追従するヌーの群れに宿る熱狂の本質なのかもしれない。
諦めを携え、自己のアイデンティティを受け入れ肯定するという、King Gnuの楽曲の歌詞から浮かび上がる適応的諦観。本稿の最後に、この価値観は以前より常田が謳っていた、バンドの活動原点にも通ずる一面があることを指摘しておく。
TVアニメ『呪術廻戦』第2期「渋谷事変」ノンクレジットOPムービー/OPテーマ:King Gnu「SPECIALZ」|毎週木曜夜11時56分~MBS/TBS系列全国28局にて放送中!!
King Gnu活動当初、彼らは一貫して以下のコンセプトを掲げていた。「ジャパンメイドのバンドとして、日本の音楽・J-POPをやる」――。常田自身もルーツをクラシックに持ち、バンドの改名前後には『SXSW』への出演やアメリカでのツアーを経験している。世界の音楽のバックグラウンドを知るバンドが放つその言葉の頼もしさ。そして言葉の通り、今まさに日本の音楽カルチャーを背負っているその事実の重みたるや。
シーン最前線を牽引するに相応しい役者と言っても過言ではないバンド・King Gnuが掲げる矜持。それが血の通う誇りとして輝くのは、歌詞に描かれる適応的諦観をバックボーンとした、彼らの一本気で筋の通った活動が今日まで積み重なっているからなのだろう。
曽我美なつめ