おっさんでもできる 日大三島を変えた泥だらけの姿 夏の甲子園

おっさんでもできる 日大三島を変えた泥だらけの姿 夏の甲子園

  • 毎日新聞
  • 更新日:2022/08/06
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春夏連続の甲子園出場を決めて喜ぶ日大三島の選手たち=静岡市駿河区の草薙球場で2022年7月29日午後0時10分、丘絢太撮影

今春のセンバツに続き、甲子園に帰ってきた。6日開幕の夏の甲子園で国学院栃木と対戦する日大三島(静岡)だ。甲子園優勝経験がある永田裕治監督(58)が率いて2年あまり。33年ぶりにチームを夏の聖地に導いた。選手の意識改革を促したのは、自らを「おっさん」と呼ぶ永田監督の泥だらけのユニホーム姿だった。

【夏の甲子園 組み合わせ】

「ここ(春夏連続出場)までいくとは完全に思っていなかった。新しい発見ですね」。7月末、甲子園への切符をつかんだ直後、永田監督は選手の目覚ましい成長に驚いた。

1994年に母校の報徳学園(兵庫)で監督に就任した。春夏計18回の甲子園出場を果たし、2002年センバツで頂点に立った。U18(18歳以下)高校日本代表監督も務めた。

17年春に勇退し、次に選んだ新天地は縁がなかった静岡の日大三島だった。「日本代表の監督で野球の奥深さに気づき、また火がついた。一からチームを作っていくのが合っている」。20年春に就任した。

日大三島は1989年夏を最後に甲子園から遠ざかっていた。大会で上位に進めず、練習試合でも「なんでこんなに負けるかな」と悩んだほどだ。多くの選手が「甲子園」を現実的な目標と考えられないのも無理はなかった。

エースで中軸の松永陽登(はると、3年)は振り返る。「中学時代から目立った選手ではなかったので、そういう(本気で甲子園を目指す)つもりはなかったです」

選手の姿勢を変えたのが、永田監督だった。「個々の技術は決して高くない。でも、意識は変えられる」。甲子園を目指す選手が集まる報徳学園と比べて、「選手が監督に向かってくる気迫が足りない」と感じた。

だから、永田監督は自らのユニホームを泥だらけにした。ノックを受けてダイビングキャッチし、飛び込むようなスクイズの手本も見せた。「不細工だけど、おっさんでもできるんだぞ、というのを見せたかった」

選手の目の色が変わった。松永は「練習から気持ちが入るようになった」と振り返る。主将の加藤大登(3年)は「何度も甲子園を経験した、経験豊富な永田監督だからこそ信じてやってきた。練習から厳しい言葉をかけられるが、経験から伝えているので間違っていない」と信頼した。

2021年秋は東海大会で優勝し、今春のセンバツに38年ぶりに出場した。初戦で敗れたが、永田監督は「すべての面で全国レベルより劣っていた。もう一度鍛え直した」と練習を重ね、甲子園に帰ってきた。

身上の「全員野球」は報徳学園時代から変わらない。ベンチ外の選手も含めて、可能な限り全員が同じメニューをこなす練習が理想だ。新型コロナウイルスの影響で、就任直後から全体練習が2カ月以上できず、今も練習は分散して行う。それでも「私を信頼して、付いてきてくれた選手の頑張りに尽きる」。監督として春夏通算20回目の甲子園は、ひと味違う特別な舞台だ。【川村咲平】

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