『鎌倉殿の13人』“壇ノ浦の戦い”振り返る 源氏勝利も...義経と頼朝の関係に亀裂

『鎌倉殿の13人』“壇ノ浦の戦い”振り返る 源氏勝利も...義経と頼朝の関係に亀裂

  • マイナビニュース
  • 更新日:2022/05/14
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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第18回「壇ノ浦で舞った男」(脚本:三谷幸喜 演出:吉田照幸)は、本能寺の変、桜田門外の変、池田屋事件……と並ぶ大河ドラマ最大の見せ場のひとつ壇ノ浦の戦いが描かれた。みんな大好きなエピソードである。でもこれら人気エピソードはどれも誰かしらが非業の最期を遂げる話なのだから、我ら視聴者は少し悪趣味かもしれない。

『鎌倉殿の13人』“壇ノ浦の戦い”放送回は「45分まるまる本編」 紀行は事前放送

壇ノ浦の戦いは義経(菅田将暉)の容赦ない攻撃によって源氏が圧倒的に優勢で覚悟した二位尼は安徳天皇と三種の神器の宝剣共々海に身を投げる。滅びるだけではなく、権力の象徴もろともで敵に一矢報いる態度がなかなかすごいが幼子が身を投げるのは哀し過ぎる。「やめろー」と叫んだ義経の気持ちが幼子の命を惜しむ気持ちであればいいけれど宝剣を惜しむ気持ちであったのだろうか。

第18回は紀行コーナーもなく本編のみで45分間放送するとあって、源平合戦、最大の見せ場をまるまる1話分かけてたっぷり描くかと思ったら、壇ノ浦は前半の23分ほどで終了。後半は人間ドラマになる。やっぱり大量殺戮シーンはいまのご時世、胸が痛いからこれくらいで良かったように思う。

SNSでは壇ノ浦のみならず屋島の戦いも観たかったとか、壇ノ浦を描くなら、潮の満ち引きを考慮に入れて戦略を考えた義経の頭脳明晰さももっと掘り下げてほしかったという声もあがっていた。『鎌倉殿』では梶原景時(中村獅童)と戦略について話す場面はあったものの、義経が民間人である漕ぎ手にも容赦なく矢を放つことで舟での戦いを有利にし、自身は“八艘飛び”して舟から舟に飛び渡って戦ったという派手な面に重きが置かれた。

壇ノ浦の戦いの知性的な面といったら、木下順二が脚本を書いた演劇『子午線の祀り』がある。1978年、『文藝』に発表、翌79年に上演して以来、何度も上演を重ねてきた戯曲は『平家物語』をモチーフに、天空と潮の満ち引きと人間の運命と関係性を重ね合わせた詩情と理論のあふれるもので、2021年に野村萬斎演出で上演されたときは、『鎌倉殿』で義円を演じた成河が義経を演じていた。成河の義経もカラダも頭もキレてとても魅力的だった。その義経と平知盛(野村萬斎)が己の(家の)存在をかけて戦いに赴くその緊張感といったらない。

『鎌倉殿』では知盛(岩男海史)よりも宗盛(小泉孝太郎)に焦点を絞っている。そして戦のダイナミズムは最小限に留め、平家を滅ぼしたことで燃え尽き症候群のようになってしまいかねない義経の心許なさが第18回の後半部分を占めた。それは兄弟を持つ者たちの物語である。

義時(小栗旬)、義経、宗盛、戦場に残った3人の共通点は兄弟と比較されたり影響されたりしながら生きている。兄・重盛も弟の知盛も彼より優秀だったとされるが、死を間際に達観している宗盛。優秀な兄に先立たれ、彼の生前の理想を実現しようとしている義時。兄を慕っているのに理解してもらえず平氏を討ったら不要に思われはじめている義経。

屍だらけの海岸で、戦に巻き込まれた義時の兄の死が無駄にならずに済んだぞと言う義経に「兄は平家に苦しめられる民のことを思っていました。果たして喜んでくれているのかどうか」と義時が返す。

「私は戦場でしか役に立たぬ」と虚しそうに海岸を去っていく義経の、人を殺すことにしか力を発揮できない哀しみ。弟の才能を兄・頼朝(大泉洋)はおそろしく感じている。殺すことしか考えられないとしたら次に狙われるのは自分ではないかと想像するのだ。

義経は生き残った宗盛を鎌倉に連れていく途中で彼の兄の話を聞く。兄・重盛とは心を開きあったことはなかったものの信じあっていたという宗盛。「それが兄弟というもの」と聞いた義経はたぶん頼朝を想う。そのあと、頼朝のシーンに切り替わる。

心を開きあったことはなかったが信じ合っていたというのはいったいどういう関係なのだろう。とても気になった。わざわざ本心を明かさなくても信頼で結ばれていたということだろうか。きっと義経は頼朝とそういうふうになりたかったのだろうと思うと切ない。

宗盛は頼朝と義経の関係をさらに悪化させる。親切心から義経に頼朝宛に手紙を書くが、それがもとでますます頼朝は義経に落胆する。まさかこれも平家の源氏への復讐ではないだろうか。宗盛はそこまで策士ではないとは思うのだがとにかく、『鎌倉殿』の登場人物は信用できないものだからすぐ疑ってしまう。

兄に全然信じてもらえていない義経は、宗盛によってさらに残念なことになったことも知らず、宗盛父子を死ぬ前に会わせる気遣いを見せた。また、腰越でかつて世話になった民衆たちに芋のお返しをする義理堅さも発揮する。戦以外にできることがないなんてことはない。違う環境にいれば彼の才気を違うことに生かせるかもしれない。だが家の跡取りはひとりでいい。景時は頼朝と義経、天に選ばれた者同士が並び立つはずはないと無情である。優れた者、強い者はひとりでいいという考え方の問題が浮かび上がる。

さて、義経はすることのない虚しさを静御前(石橋静河)との逢瀬で埋めているようだ。その様子をこっそり隠れてじとっと見ている正妻・里(三浦透子)。これって頼朝と政子(小池栄子)の生活を対岸でじとっと見ていた八重(新垣結衣)と同じパターンでは……。強い者はひとりでいいけれど女性(妻や恋人)は何人いてもいいって勝手だよなあと思う。八重は母になりすっかり心が安定して恵まれない子どもたちのために働いていて、なによりである。ちょびひげを描いて笑ってもらおうとする利他的な心の余裕が生まれていて素敵だった。

(C)NHK

木俣冬

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