【舛添直言】ペロシ訪台というリアリズムなき道徳外交、ただ緊張を高めただけ

【舛添直言】ペロシ訪台というリアリズムなき道徳外交、ただ緊張を高めただけ

  • JBpress
  • 更新日:2022/08/08
No image

8月2日、台湾を訪問し蔡英文総統と会談した米下院議長のペロシ氏 (提供:Taiwan Presidential Office/AP/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

8月2日深夜、アメリカ下院のペロシ議長一行が台湾に到着、翌3日は蔡英文総統と会談し、「台湾と世界の民主主義を守っていくアメリカの決意は揺るがない」と述べた。これに対して、中国は猛反発し、台湾周辺で軍事演習を行ったり、台湾産の食品などの輸入を禁止したりするなど対抗策を講じ、一気に緊張が高まっている。

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

「ペロシ訪台」は習近平への援護射撃

冷静に考えれば、この訪台は何のためで、どんな成果をもたらしたのか、よくわからない。米中関係を悪化させて、世界に新たな紛争の種を蒔いただけならば、評価には値しないし、自分の選挙のための人気取りならば酷評に値する。政治家の行動は、結果責任である。

ペロシが、民主主義の台湾が武力侵攻の標的とならないようにすべきである、と主張するのは正論である。また、台湾と中国を、それぞれ民主主義と専制主義の代表と位置づけ、「民主主義と専制主義の戦い」という旗を高く掲げるのも自由である。しかし、今回の訪台がその戦いにとって好ましい結果につながるかどうかは疑問である。おそらくアメリカにとっても、台湾にとっても、そして日本にとっても意味のない訪台であった。

むしろ喜んでいるのは中国の習近平主席であろう。アメリカの脅威を宣伝する材料を獲得し、アメリカとの覇権競争に邁進している自分の正しさを中国国民に再認識させることができるからである。秋の党大会で、3期目も続投することを確実にするための援護射撃をもらったようなものである。

中国は軍拡に精を出してきたとはいえ、まだアメリカを凌ぐ軍事力を保有するまでには至っていない。平穏な環境で党大会を迎えたい習近平が、アメリカと軍事衝突を起こすような冒険をするはずはない。

1995年6月、台湾の李登輝総統が母校コーネル大学の同窓会に出席するために訪米したことに反発した中国は、台湾周辺でミサイル発射や軍事演習を繰り返し行ったことがある。しかし、1996年3月、クリントン大統領は、空母ニミッツ、インディペンデンスを中心とする2つの空母打撃軍を台湾周辺に派遣し、中国を封じ込めた(第三次台湾海峡危機)。

中国としては、この年の3月23日に実施される初の総統直接選挙(それ以前は国民大会による選出)での李登輝当選を阻止するために台湾の有権者を脅す意図があったが、それは逆効果となり、李登輝は54%の得票で史上初の民選総統に当選したのである。

このときの屈辱から、中国は軍拡に励み、今や「遼寧」、「山東」という2隻の航空母艦を保有するに至った。遼寧はウクライナから購入した中古の空母を改造したものであるが、「山東」は国産1号である。さらに現在は、国産2隻目となる「福建」も建造中である。海軍のみならず、空軍、陸軍も近代化されている。

今回の演習は、過去25年間に中国が他国から侮られないような軍事力を保持したことを示すものになるだろう。それは、中国国民を満足させるはずだ。習近平としてみれば、ペロシ訪台反対をバイデン大統領に事前に伝えたにもかかわらず、訪台が強行されてしまった。習近平は面子(めんつ)にかけても、強硬姿勢をとらざるをえないのである。

バイデン大統領は、5月23日、日米首脳会談後の記者会見で、「台湾防衛のために軍事的に関与する用意がある」という不用意な発言をしたが、ホワイトハウスは慌てて「アメリカの政策は変わっていない」と弁明する羽目になった。バイデンの不適切な言葉遣いが今後も続けば、米中関係の緊張はさらに高まることになる。

民主主義という「錦の御旗」

アメリカは「一つの中国」という政策を堅持しており、台湾を独立国として認めていないし、台湾問題は内政問題であるという点でも中国と一致している。ただ、武力による統一には反対するということである。

さらに、それに加えて「民主主義や人権を守る」という主張が背景にある。ペロシが言うように、世界を民主主義陣営と専制主義陣営に二分し、アメリカは前者と連帯するということだ。宣教使が自分の信ずる宗教を世界中に伝導することを使命としているように、アメリカは、民主主義の伝道師たれということである。「キリスト教の国」アメリカでは、党派を超えてこのミッションへの思い入れが強い。

しかし、そのミッションはいつも成功しているわけではない。太平洋戦争で敗北し、アメリカの占領下に入った日本は、戦後民主主義国家として再生したが、これは稀に見る成功例であって、世界を見渡せばむしろ失敗例のほうが多い。

たとえば中東においては、アフガニスタンを見れば分かるように、20年間も介入しながら民主主義を定着させることができず、結局はタリバンの恐怖政治に逆戻りさせてしまった。アメリカがサダム・フセイン政権を武力で打倒したイラクでも、民主主義が定着したとは言いがたい状況である。

そしてこの中東の事例を見れば分かるが、アメリカ自身、いつも民主主義という「錦の御旗」を振りかざしているわけではないのだ。シーア派とスンニ派の宗派対立などは民主主義とは無縁のものだし、アメリカも石油と地域のパワーバランスのほうを優先させているのである。

民主主義や人権より「石油」を優先したバイデン

バイデン大統領は、7月13〜16日にイスラエルとサウジアラビアを訪問したが、サウジアラビアへの訪問は、原油増産を依頼することが最大の目的であった。アメリカでもガソリン価格が高騰し、政権の支持率に響いているので、その対策なのである。

バイデンが会談したサウジアラビアのムハンマド皇太子は、ジャマル・カショギ記者の殺害を指示したとされる人物で、バイデンも批判していた。その相手に石油増産を打診しにいったわけだが、結局、確約を獲得できなかったこともあって、ムハンマドとの会談はアメリカでは否定的な評価しか得られていない。

バイデン自身が、民主主義や人権よりも石油を選んだのである。

民主主義はナショナリズムに勝てない

バイデンのサウジ訪問に見られるように、「民主主義では飯は食えぬ」というのが現実であり、人権を声高に叫んでも、石油が天から降ってくるわけではない。そして、民主主義はまたナショナリズムにも勝てない。

今回のペロシ訪台も、中国国民のナショナリズムを刺激しただけである。中国人の発想の中には、「民主主義vs専制主義」などという図式は存在せず、あるのは「アメリカが中国の内政に干渉している」という怒りのみである。「ペロシは中華民族の統一を妨げる“愚かな女”」というイメージのみが増幅されていく。そして、中国人は、増強された軍事力の展開によってペロシが象徴する「愚かなアメリカ」を牽制することに快哉を叫ぶのである。

民主主義の「錦の御旗」が奏功しないのは、ロシアでも同じである。アメリカは、プーチン大統領によるウクライナ侵攻を、武力による国際秩序の変更だとして非難し、「専制主義が民主主義を武力で抑圧している」と批判する。もちろんこの訴えは、西欧や日本のような民主主義国家では容易に共鳴するが、ロシア人の心に響くかと言えば疑問である。

ベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦が解体して、広大な領土を失ったロシア人は、失われた領土を回復する努力を続けるプーチンを支持する。まさに、ロシア・ナショナリズムであり、民主主義かどうかといった主義主張とは関係ないのである。

主義主張に拘泥することが戦争につながったのが第二次世界大戦である。イギリスは、1917年に革命に成功したボリシェヴィキ政権を毛嫌いし、共産主義の蔓延を防ぐことに全力をあげる。1938年に、当時の英首相チェンバレンが、チェコスロバキアを犠牲にしてヒトラーの領土要求を認めた(ミュンヘンの宥和)のは、共産主義という主義主張に対してナチスが防壁になってくれるという期待からである。

そのボリシェヴィキ政権にしても、共産主義革命を世界中に広めようとするレーニンの方針を、後継者のスターリンがまず自国の革命政権を安定させることを優先させる「一国社会主義」路線に変えたのも、世界革命という主義主張ではソ連という国が立ちゆかないことを理解したからである。ナショナリズムを優先させたのである。

スターリンとプーチン

そして、ドイツとロシア(ソ連)のナショナリズムが主義主張をかなぐり捨てた頂点は、1939年8月の独ソ不可侵条約の締結である。ヒトラーもスターリンも、お互いに主義主張では敵と考える国と手を結んだのである。二人の独裁者は、戦争を前にして、二正面作戦を避けるという国益、ナショナリズムを主義主張よりも優先させた。

当時の日本の平沼騏一郎内閣は、全く予想しない展開に、「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので」といういわゆる「複雑怪奇声明」を発して総辞職してしまうのである。ナショナリズムが主義主張に勝ることを理解しなかった失態である。

時代が変わって21世紀、ロシアは、2014年3月に、周到な準備の上で、住民投票によってクリミアを併合する。

プーチンは、2022年2月24日にウクライナに侵攻するが、その直前の2月21日、ウクライナ東部にあるルガンスクとドネツクを独立国家として承認した。これは、クリミア併合と同じプロセスを追求するためである。

1910年代後半から20年代前半のロシアでは、革命と内戦で領土が失われたが、この「歴史的不思議を正す」ために、スターリンは領土回復を目指した。ロシア・ナショナリズムである。

スターリンは、ドイツと組んで1939年にポーランドを分割する。ポーランドの支配下にあった西部ベラルーシと西部ウクライナに軍を侵攻させたとき、スターリンはベラルーシ人とウクライナ人を解放するためだと豪語した。1921年にポーランドがロシアから奪った地域だからである。

No image

『ムッソリーニの正体--ヒトラーが師と仰いだ男』(舛添要一著、小学館新書)

プーチンもまた、ウクライナ東部のドンバス地方に住むロシア人を解放するためだと、ウクライナ侵攻を正当化している。2人の論理は酷似している。

これを見れば分かるように、プーチンがスターリンを高く評価するのには理由があるのである。ロシアを理解するためには、ロシア・ナショナリズムを軽視すべきではない。

民主主義や人権を守ろうとする信念は素晴らしい。しかし、それを具体的に政治行動として実のあるものにするのは容易ではないのである。ビジネスやナショナリズムとの競合を常に念頭に置かねばならない。

舛添 要一

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加