コロナ禍でタイの家庭に日本食の浸透が加速

コロナ禍でタイの家庭に日本食の浸透が加速

  • 日本食糧新聞電子版
  • 更新日:2020/11/21

「あのおいしい日本食レストランの食材は、こちらのお店で買うことができますよ!」今年6月末のことだ。タイ・バンコクを拠点とする著名なタイ人インフルエンサーが発した写真付きのSNS投稿。そこには、七福神の一人にも似たロゴマークでおなじみの、バンコクの日本食材卸販売「誠屋タイランド」の店舗の様子が映し出されていた。

日本食レストランの味を再現できる食材を販売

折からのコロナ禍で、タイでも外出禁止令が発令された時期があった。飲食店の店内飲食が禁じられ、市民は自宅での孤独な食事を余儀なくされた。そんな時、インフルエンサーの発した投稿にタイ人消費者は色めき立った。

大好きな日本食。でも、今は食べられない日本食。その食材が手軽に近くで買えると知って、客は店に殺到した。コロナ禍でも平年並みの売上げを維持していた誠屋だったが、7月は過去最高に。2005年に創業し、今年で満15周年を迎えた同店は、現在も好調を続けている。

誠屋店長の菅野力鳴さん(37)は、タイの一般家庭に浸透した日本食の力をまざまざと実感している。コロナ以前は飲食店やホテル向け卸と一般小売が半々程度だった売上げが、コロナに見舞われた後は店頭販売が伸び7割にも。出入国規制がかかり在住日本人の員数が増えたわけではないから、この増加分はタイ人消費者によるものであることは明らかだった。

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誠屋タイランドではコロナ禍でタイ人消費者が多く来店するようになった=タイ・バンコクで小堀晋一が9月24日写す

タイには現在、3000を超す日本食レストランがあるとされ(ジェトロ・バンコクなど調べ)、今も毎月のように新規出店が続いている。寿司、天ぷら、ウナギ、串カツ、居酒屋、さらには割烹まで。タイ人消費者の舌はすっかり日本食の味に慣れ親しんでいた。

そこに襲った新型コロナウイルス。だが、だからといって、直ちに食の好みが変わるわけではなかった。そんな時に発せられたのが冒頭のタイ人インフルエンサーによる投稿だった。日本食をたしなむようになっていたタイ人消費者は、アレンジを加えながら自宅でも日本料理を作り、味わうようになった。

タイ市場はその地の利から、海外からの食材調達がもともと多いことでも知られている。特に、間もなく人口最多となるインドや人口爆発が続くアフリカ。こうした国々から日本食材を買い求めに来る先の調達地がタイだった。

インドでは、企業がそのための買い出し休暇を従業員に与えるところもある。家族総出でバンコクを訪れ、小旅行も兼ねた食材買い出しを楽しむ姿が定着していた。

コロナ明けにはこうした需要も戻ってくると菅野さんは読んでいる。急速に広がったタイの一般家庭需要を加えると、現在の仕入れでは足りなくなる可能性が当然に高い。これまでとは異なる抜本的な対策が必要となる。

コンテナによる日本からの食材調達には通常2ヵ月間を要す。コロナ明けには何が求められ、どのような需要が発生するのか。そのための市場動向の読みを、菅野さんはすでに始めようとしている。

口コミで客を呼び込む

開業15周年を迎えたタイ・バンコクの日本食材卸販売「誠屋タイランド」は、ちょっと独特な風変わりな店だ。日本食レストランやホテルなどへの営業は原則としてしない。日本語フリーペーパーなどへの広告掲載もごくわずか。消費者が知る情報は客同士の口コミがほとんど。客を呼び込む「商品力」が、成長へと向けたけん引力だ。

2016年5月に入社した店長の菅野力鳴さんはスーツ姿で日々店に立つと、来店客の話し声に耳をそばだてる。何のことはない会話、ちょっとした一言に店舗運営のヒントが隠されているからだ。タイ人客が「アロイ(おいしい)」と口にしていれば、商品棚に足を運んでさっきまで客が手にしていた商品を確認する。こうした生きた消費者動向が、売れる商材群を形作っている。

「売れそうな商品を残し、売れないものを思い切って切るのが原則」という菅野さんだが、中には1年後にブームとなる商材も。「そこが悩ましい」とも打ち明けるが、相応するだけの奥深さや魅力も十分に感じているとも話す。

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誠屋タイランド店長の菅野力鳴さん(中)とスタッフのレックさん(左)、同マッドさん=タイ・バンコクで小堀晋一が9月24日写す

「食べるということは人間の暮らしの中で日々繰り返されること。毎日のことだからこそ食は面白い」

東京で生まれ、横浜で育った。語学学習が好きで、スペインでスペイン語を学んだ後に台湾に渡った。世界人口約75億人のうち中国語の話者は約15億人。5人に1人が中国語を話すのだから、スペイン語と英語を合わせれば「ほぼ全世界の人々と会話ができる」と考えた。

中国語をマスターした後は、華僑が多い国際都市シンガポールに居を移した。ちょうど10年前のこと。同地では飲食関連の会社に入り、マネジメントの仕事に就いた。在籍スタッフは案の定、シンガポリアンにベトナム人、中国人など国籍豊かだった。

職場では当初、文化、風習、習慣の違いなどにとまどった。店頭に置かれたチップボックスの意味から教えなくてはならなかった。だが、一方で日本食がシンガポールでも広く認知されていることも知った。出店ラッシュも続いていた。日本食の魅力にだんだんと引かれていった。

ちょうどそのころ、タイを出張で訪れる機会があった。前年の大洪水からの復興特需にあったタイだったが、日本食についてはまだまだ伸びしろがあると実感した。タイ独特ののんびりとした空気にもなじんだ。こうして再び渡航を決意。自身4ヵ国目となる海外暮らしが始まった。

食に的を絞って就職先を探した。ちょうど一般応募していたのが誠屋だった。それまでと同じ日本食材に関わる仕事。「すんなりと入って行けた」

タイで日本食が浸透するようになった今、菅野さんはタイをハブとした日本食材の広がりにも関心を持っている。現に周辺国では日本食レストランなどが徐々に出店を始めている。「タイで生産された工業部品などが周辺国に輸出されているように、日本食材の需要も増して行くに違いない」と読む。当分はタイで暮らしていくつもりでいる。(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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