珍名踏切マニアがいく! パーマ屋がない「パーマ踏切」

珍名踏切マニアがいく! パーマ屋がない「パーマ踏切」

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  • 更新日:2017/09/16
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飯山線の立ケ花(たてがはな)駅。豊野から2駅目で、千曲川畔にある

踏切の名称に惹かれて何十年の、いわば「踏切名称マニア」である今尾恵介さんが、全国の珍名踏切を案内してくれる連載。今回は飯山線の「パーマ踏切」踏切を紹介します。

【その他の踏切写真と地図はこちら】

●千曲川をたどりつつパーマ踏切へ

長野駅から飯山線で約25分、千曲川に近い上今井駅の少し南側に「パーマ踏切」はある。近くに美容院があるのかと、ネットの地図で最大限に拡大してみたが載っておらず、真相は謎だ。取材の前にはあまりやりたくはないのだが、グーグルのストリートビューも盗み見たところ、それらしき店は見当たらない。やはり現地へ行ってみなければ……。

長野駅から乗ったキハ110系のディーゼルカーは、昔のような派手なエンジン音や石油臭を感じさせないスマートなもので、軽やかに走る。豊野駅を出て千曲川を右手に進むが、このあたりは川幅が狭く、深い色をした水の滔々たる流れはさすが日本一の長流の貫禄だ。せっかくなので、ひとつ手前の立ケ花駅から3キロほど歩いてアプローチすることにしよう。何ごとも「前奏曲」のようなものが必要である。

駅の周囲に人家は見られない。そもそも立ケ花という地名は対岸の中野市のもので、乗客の多くもそちら側から来るようだ。現在の国道117号の旧道とおぼしきセンターラインのない道路を線路に沿って歩く。右手に千曲川、前方には高社(こうしゃ・たかやしろ)山が聳えている。別名「高井富士」と呼ばれるように、高井郡(明治12年以降は上高井郡・下高井郡)を代表する独立峰だ。

●30年以上前に移転した美容院

リンゴ畑や森を過ぎ、上信越自動車道を跨いでしばらく進むと線路と千曲川が俯瞰できるが、道は徐々に低くなりレールとほぼ同じ高さになる。鳥居に「蚊田明神社」とある急な階段を見上げつつその先を右へ折れると、ようやくパーマ踏切にたどり着いた。他の踏切と同様に踏切名を表示する「パーマ」が妙におかしかった。

上今井のまとまった集落の南にあたる場所なので美容院があっても不思議はないのだが、周囲を見渡してもその気配はない。とりあえず踏切の写真だけでも撮ろうとしたが、保線の仕事をしているヘルメット姿の男性が陣取っているので、カメラを向けるのも気が引ける。正直に「珍しい踏切名を訪ね歩いている」と説明すると、物好きだねえという表情を浮かべながらも、「この線は珍しい踏切が多いよ、すぐ隣は鬼坂踏切だし」と実例を挙げて教えてくれた。こんな話をすると、まるで宇宙人を見るような怪訝な表情をする人もいるので、こういう反応は嬉しい。飯山線の保線にかかわって数十年だそうだが、彼が知る限りパーマ踏切の近くに美容院などは見かけないという。

踏切のすぐ北側のお宅に伺ってみる。1階部分がガレージのようなスペースなので、もしやここに美容院があったのかと思って、階段を上っていきなり訪ねてみた。60代後半とおぼしきおじさんが1人寝転んでテレビを見ている最中にお邪魔してしまったが、パーマ踏切の話をしたら、変な顔もせず実直に答えてくれた。さすが信州人である。

ざっと話をまとめれば、20年 ほど前までは、もと飯山の人が営んでいたパーマ屋さんが実際にあったという。それじゃあ閉店したのは平成に入ってからですかと問えば、「いや昭和だったから30年以上は前だったかなあ……」。20年前と思って調べてみると30年、40年前だったという経験は私にもある。時の流れはまさに矢の如しである。

地元に長い人らしく、そのパーマ屋さんが豊野(飯山線の起点)に引っ越して、あちらで美容院をやっているはず、と教えてくれた。やはり昔の地名や施設を語る生き証人・踏切の面目躍如である。

パーマ踏切の名の元となった美容院の場所も教えてもらったので、行ってみることにしよう。元パーマ屋さんへは踏切の道を千曲川の方へ少し下ったあたりで、今は別の家が建っている。しばらく佇んでいたが人の気配はない。おじさんの話の通り、築30年以上は経っているだろうかと値踏みしていると、近所の犬が吠える声。静かな昼下がりであるが、真夏の日差しが熱い。

●移転したパーマ屋さんにインタビュー

移転した先の豊野へ行って調べてみる時間的な余裕がなかったので、後で電話でもしてみようかとネットで調べてみたら、豊野の近辺に美容院は意外に多く、10軒ほどがヒットしたのでさすがに断念した。そのことを編集担当の大坂さんに話したら「調べてみましょうか。私、地元なので」と即答してくれたので、ありがたくお願いすることに。

あっという間に取材してきた彼女の話によれば、美容院は「ちどり美容室」で、そこの山浦さん姉妹に話をうかがったという。お姉さんが81歳、妹さんは80歳。もとは東京にお住まいだったが戦況が厳しくなって上今井に疎開。ほどなく東京の家が空襲で焼けてしまったため、終戦1、2年後に姉妹のお母さんがここでパーマ屋を始めることにしたという。お母さんはかつて目黒の雅叙園で着付けの仕事をしており、さらに「電気パーマ」の技術を習得して鬼に金棒である。戦時中は「贅沢は敵だ」「パーマネントは止めませう」などの標語に象徴されるように目の敵にされた業種だが、戦後の大転換で店は大人気になった。山奥の方から弁当持ちで来てくれるほどの大盛況だったという。

踏切は店ができる前からあったが、枕木を並べただけの簡単なものだったというから、正式な踏切でなかったのかもしれない。それでも客たちは「明神さんの踏切を渡って、川を渡ればパーマ屋」と教え合っていたらしい。明神さんとは、急な階段の蚊田明神社のことだろう。いつしか枕木には「パーマ」の文字が刻まれ、それが正式名称になったようだ。

店は繁盛していたが、目の前の小さな川が4回も氾濫して店に水が入ってきたので、川を拡張して改修することになった。それを機に豊野へ移転したのだという。それが昭和28(1953)~29年というから、63~64年は経ったことになる。教えてくれたおじさんに伝えたら、そんなに経ったかと絶句するだろうか。

この踏切は山浦さん家族にとって、大切な記念碑に違いない。

今尾恵介(いまお・けいすけ)

1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査

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