文系学部「廃止」騒動、文科省の真意は何だったのか 文科省の苛立ちと焦り:進まない大学の「機能別分化」(3)

文系学部「廃止」騒動、文科省の真意は何だったのか 文科省の苛立ちと焦り:進まない大学の「機能別分化」(3)

  • JBpress
  • 更新日:2016/10/21
No image

大学制度はどうなっていくのか。(写真はイメージ)

ここまでの連載「日本の大学は多いのか少ないのか、対立する2つの見解」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47933)、「大学はアカデミックな教育の場でなくてもかまわない?」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47950)では、「日本の大学数は、多いのか少ないのか」「大学進学率は、高すぎるのかどうか」という問いを導きの糸として、国際比較の観点も踏まえながら、日本の大学制度の特異な発展の形を明らかにしてきた。

その結論は、大学の数や進学率自体が問題なのではなく、入学者のほとんどが18歳人口に偏り、提供する教育内容の過半がアカデミック志向のものに傾斜している大学のあり方にこそ問題があり、そうした形態としての大学は、過剰気味と言わざるをえないのかもしれないというものであった。

こうした問題点は、すでに教育政策の側も認識していることであり、この打開策として文科省が打ち出したのが、本稿のテーマである大学の「機能別分化」である。

中教審の答申「我が国の高等教育の将来像」(2005年)が示した7つの機能を再掲しておく。

要するに、777校にまで膨れあがった大学制度を構成する各大学は、アカデミック志向の古典的大学像にのみ固執するのではなく、それぞれの分に応じて、①~⑦に示されたような役割を果たして、棲み分けていくべきなのである、と。

処方箋は明快である。しかし、政策の提起から10年以上が経つが、これがなかなか進まない。いや、一向に進まないと言ってもよい。それは、なぜなのか。――さて、ここからが本稿のテーマである。

タテ軸の階層化、ヨコ軸の機能別分化

誤解のないように、あらかじめ1つだけ断っておきたい。読者の中には、次のような疑問を持つ方がいるかもしれないからだ。つまり、「機能別分化などという用語を持ち出さなくても、日本の大学は、もうとっくの昔から十分に種別化しているのではないか」と。

ここでの「種別化」の意味を、序列的な階層化と捉えるならば、まさにその通りであろう。社会通念として(本当は、予備校等の教育産業が流布させたという側面が強いかもしれないが)、日本の各大学には、すでに序列的な意味でのランクが付与されている。それをグルーピングしたものとして、例えば「旧帝大」「地方国立大」といった分類、東京圏の私大であれば、「早慶上智」「MARCH」といった分類の仕方まで存在している。しかし、これらは、突き詰めてしまえば、偏差値序列をもとにしたタテ軸の階層化であって、大学が果たしている役割(機能)の分化とは言いがたい。

機能別分化とは、純粋な理念型として理解すれば、タテ軸ではなくヨコ軸の分化を指す概念である。つまり、異なる機能を担っている大学は、大学としてはまったく同等の存在として扱われるが、果たしている役割が異なるということを示すための概念である。

とはいえ、すぐにお気づきになると思うが、仮に「世界レベルの研究・教育を提供している大学」と、「地域の生涯学習拠点としての役割を果たしている大学」を2つ並べた時、与えられた固有の役割を遂行しているという点において、両者に優劣を付けることはできないが、しかし、社会的威信においては、事実上、前者が上に評価されるということも確かであろう。その限りでは、機能別分化は、完全なヨコ軸だけでは成立せず、社会的現実としてはタテ軸の階層化を随伴しつつ成立する。しかし、日本中のすべての大学がアカデミック志向の研究型大学を目指すといった事態とは相容れない。

そうした意味で、大学の一元的秩序を崩して、多様な機能の分化へと促すのが、機能別分化という構想の着地点であると理解しておいた方がよい。

文科省の苛立ちと焦り

以上の意味での大学の「機能別分化」が、なかなか進んでいない。もちろん、機能別分化の進捗度合いを測るような便利な指標は存在しないので、厳密な根拠を示せと言われると、実は困るのだが、間接的な証拠でよければ示すことができる。それは、この問題に関しては、文科省がかなり業を煮やしているのである。

社会的にも話題を呼んだので、ご記憶の方も多いかもしれないが、2015年6月、文科省は「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(通知)」を出した。その内容は、国立大学の文系学部に対して、その廃止や転換の検討を求めるものであった。「通知」から、正確に引用すると、以下のようになる(下線は、引用者)。

この通知の反響は大きく、日本学術会議からも反論(幹事会声明「これからの大学のあり方―特に教員養成・人文社会科学系のあり方―に関する議論に寄せて」)が提出されるなどの騒ぎとなったため、文科省は火消しに急いだという経緯がある。結果として、「廃止」を求めたのは、教員養成系の「ゼロ免課程」(教員免許の取得を目的としない課程)のみであって、「文系学部の廃止」のように受け止められたのは誤解である、という言い訳でお茶を濁すことになった。

もともとの真意は定かではないが、国立大学がなかなか改革へと動かないことへの文科省の苛立ちを、ここに読み取ることは可能であろう。

財政誘導による国立大学の機能別分化?

同じ時期、文科省は翌年度(2016年度)から、国立大学の運営交付金の一部を競争的資金とし、大学ごとに重点的に配分するシステムを導入した。各大学には、①「卓越した教育研究」タイプ、②「専門分野の優れた教育研究」タイプ、③「地域貢献」タイプのうちから1つを選ばせ、それぞれのタイプ内で、各大学の戦略や取り組み状況を評価して、運営交付金の増減を決定するという仕組みである。

実際、2016年度の運営交付金の状況をまとめると、以下である。

No image

拡大画像表示

単年度の結果としては、それほどではないとしても、こうした重点的配分が毎年同じように繰り返されていくわけである。大学側からすれば、対応を誤れば、相当な痛手ともなろう。とすれば、各大学が取りうる戦略は、自らが選んだ(選ばされた?)タイプ内で、自校の特色化・卓越化に邁進していくこと以外にはない。

機能別分化を促進する政策としては、効果が上がるのかもしれないが、しかし、相当に強引であることも確かである。先の「通知」がムチによる施策だとすれば、こちらは、アメとムチを取り合わせた、言ってしまえば、各大学の首を真綿で締めるような政策であると言えようか。

私立大学への促進策

文科省からすれば、お膝元の国立大学でさえこうした状況なのである。当然、私立大学が機能別分化に向けて、自主的・積極的に動いているということにはならない。だからこそ、私立大学を含めて念頭においた施策としては、この間、GP(グッドプラクティス)事業やSGU(スーパーグローバル大学)事業等の補助金政策が積極的に展開されてきたとも言える。それは、競争的資金の配分と引き換えに、各大学の教育の特色化を促し、結果として、それらの機能別分化を促そうというわけである。

そして、実は、さらなる荒業も仕掛けられている。端的にそれは、今年(2016年)5月の中教審答申「個人の能力と可能性を開花させ、全員参加による課題解決社会を実現するための教育の多様化と質保証の在り方について」に明示されている「専門職業大学」(仮称)の創設という構想である。

戦後の大学史において、それまでは暫定的に認められていた短期大学が、制度として恒久化されたのは、1964年のことである。それ以降、大学制度は一度も改変されることなく続いてきたが、もし専門職業大学の新設が実現すれば、大学制度としては実に55年ぶりの改変となる。それほどの制度再編をしてでも、政策サイドが実現しようとするものは、いったい何なのか。どう考えても、既存の大学制度を揺り動かしたいということであろう。

専門職業大学には、現在の専門学校や大学の一部が転換していくことが想定されており、その目指す姿は、産業界のニーズに応じた即戦力的な人材育成の場としての大学である。それはまた、大学の機能別分化の1つの形(機能)として、他大学の改革への動きを加速させる起爆剤にもなるだろうという目論見なのであろう。

機能別分化は、なぜ進まないのか?

文科省がこれほど焦り、強引な政策手法に訴えてこざるをえないという事情は、裏を返せば、大学の自主性に任せていては、機能別分化はなかなか進まない、実際にも進んでこなかったという現実を浮き彫りにしている。

それは、なぜなのか。次回、詳しく論じてみたい。

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

コラム総合カテゴリの人気記事

グノシーで話題の記事を読もう!
秋葉原の「オタク向け美容室」で推しポケモンの髪型にしてもらった
女として見れねぇ......! 「幼児体型な女性」の特徴6つ
「この老夫婦、40年前の姿が想像できたら神だと思う...」孫が見たら仰天しそうな写真
「2時間飲み放題」で酒が出てこない、返金要求できる? マツコは店に配慮「大変よ」
【気持ち分かる?】みんなの「小っせーけど、どうしてもイライラしてしまうこと」30連発
  • このエントリーをはてなブックマークに追加