「衝撃度は間違いなく中田翔が一番」。名将もホレた投手としての才能【2020年度人気記事】

「衝撃度は間違いなく中田翔が一番」。名将もホレた投手としての才能【2020年度人気記事】

  • Sportiva
  • 更新日:2021/05/03

2020年度下半期(20年10月〜21年3月)にて、スポルティーバで反響の大きかった人気記事を再公開します(2021年1月5日配信)。

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あの時もキミはすごかった〜日本ハム・中田翔編

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中田翔(大阪桐蔭→日本ハム)の甲子園デビューは2005年夏、1回戦の春日部共栄(埼玉)戦だった。2学年上の辻内崇伸(元巨人)、平田良介(中日)の怪物コンビが大きな注目を集めるなか、中田は5回途中からマウンドに上がると、140キロ台後半のストレートとキレのあるスライダーを武器に1失点、6奪三振の好投。

打っても、テレビ観戦していた中村順司氏(元PL学園監督)に「清原和博の高校1年時を思い出させた」という左中間へ特大の一発を放つなど、衝撃のデビューを飾った。"スーパー1年生"という言葉が定着したのも、この時の中田の活躍からと記憶する。

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高校時代、投手として最速151キロをマークしていた中田翔

これまで20年以上、アマチュアの取材を続けているが、最も取材をし、最も多く試合を見た選手が大阪桐蔭時代の中田だった。

初めて話を聞いたのは、甲子園デビューからしばらくした頃。最初はこちらの様子をうかがう感じだったが、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべこちらの質問に答えてくれた。

中田は中学時代、広島の硬式野球チーム・鯉城シニアに所属していた時から評判の選手で、シニアの全日本メンバーとして世界大会でも活躍。中学時代の話題を向けると、積極的に語ってきたのはバッティングよりもピッチングだった。

「ずっと松坂(大輔)投手が好きでやってきました。松坂さんのように変化球もストレートと同じような感覚で投げて打ち取れる投手になっていきたい。バッティングよりもピッチングが好きで、自信も持っています」

投打で評判の中学生だったが、「3年の時は試合で勝った記憶がないんです」とも言った。一時期部員が8人まで減り、全力でプレーするのが難しかったという。

「真っすぐを全力で投げたり、変化球を投げるとキャッチャーが捕れなかったり......。勝てないから試合で投げるのがあまり楽しくなくて、その頃は打つほうが楽しいと思うこともありました。でも、どっちが好きかと聞かれたら、やっぱり投げるほうです」

多くの強豪校が中田に興味を示したが、「レベルの高い大阪でやりたい」と大阪桐蔭への進学を決めた。

大阪桐蔭の西谷浩一監督が中田を初めて見たのは、中学2年の時だった。

「投げているところを見ましたが、中学生のなかに社会人がひとり混じっているような体つきにまず目を引かれて、次にスピードで驚かされました。そしてあらためて練習を見に行くと、バッティングもすごいということがわかって......これはとんでもない選手だと。これまでいろんな中学生選手を見てきましたが、衝撃度は間違いなく中田が一番です」

大阪桐蔭の同級生からも、入学時の中田についてこんな話を聞いたことがある。

「広島から140キロを投げるピッチャーが来るという噂は聞いていて、入部前の説明会の時に『アイツだ!』と。ただ、周りのヤツとも『140キロって言っても、1球出たくらいやろう』って。そしたらブルペンで投げると、キャッチャーの岡田(雅利/西武)がちゃんと捕れなくて。それを見て『マジの140キロや』となったんです。ほんと衝撃でした」

驚きはそこで終わらなかった。投球練習後、中田がティーバッティングに移った時だ。投手としての評判しか聞いていなかった同級生たちは、木製バットを軽々と扱い、次々とネットを突き刺すような打球を打ち込む中田のバッティングに圧倒された。

「『新外国人か!』っていうくらいの振りと打球。あの1日で僕らの代の4番とエースは決まりました」

マウンドに上がるとゆったりした始動から柔らかな腕の振り。変化球もしっかりコントロールできる指先の感覚。打席に立てばスケールを感じさせる懐の深さと圧倒的なスイングスピード。

1年夏から「松坂二世」「清原二世」と称された選手を見たことがなかった。少し時代が違っていれば"二刀流"の超大物として、ドラフト戦線でも大きな話題になっていたことだろう。

そんな中田だが、1年秋はエースとして近畿大会へ進むも、初戦の北大津(滋賀)戦で13回を完投してのサヨナラ負け。翌年のセンバツ出場を逃した。

2年春の大阪大会5回戦では、「高校時代のベストピッチ」と中田自身も振り返るピッチングで上宮太子を完封。自己最速の151キロを記録したが、この一戦で右ひじに痛みが走り、以降、投手としては苦しむこととなる。

2年夏も4番として甲子園出場を果たしたが登板はなく、秋はマウンドに上がったものの本来の投球にはほど遠かった。

一方で打者としてはホームランを量産。周囲は中田を打者として見る向きが強くなっていった。しかし、本人の思いは変わらずマウンドにあった。2年秋の大会が終わった時のインタビューではこう答えている。

──  今でもピッチャーのほうが好き?

「はい、ピッチャーがいいです。この先もできるならピッチャーをやっていきたいです」

── 2年の春以降、バッティングの練習時間も増えて、興味が強くなってきたことは?

「打つことも好きですけど、投げて、打つのが自分のスタイルですし、打つことよりも投げることが先にあるんです。だからピッチャーをやって、そして打ちたい」

3年春となり、ヒジの状態も安定し、センバツでは2試合に先発。球速よりもキレを重視し、ストレートとスライダーを軸に18イニングを投げて2失点。西谷監督が常々、「投手としてのセンスは打者としてのセンスより格段に上」と話していた能力をいかんなく発揮。この甲子園での好投で、中田のマウンドへの思いはさらに高まった。

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そして迎えた最後の夏。コンディションはほぼ戻り、大阪大会では準決勝までの6試合(25回2/3)を投げて1失点、36奪三振。重さを増したストレートと鋭く曲がるスライダー、さらに打者を翻弄するパーム。まったく打たれる気配がなく、普通に見ればドラフト1位級のボールに思えたが、その時点でスカウトの目は「打者・中田」で固まっていた。

学年が上がるにつれて体型が大きく変わり、ボリュームアップ。打者として迫力が増す一方で、投手としての柔らかさは消えていった。

金光大阪との決勝戦は先発登板するも、バント処理の際に股関節を痛めて5回途中で降板。バッティングでも3度得点圏に走者を置いた場面で打席に立つもいずれも凡退。試合も1点差で敗れ、中田は号泣。高校野球生活の終わりはマウンドとの別れでもあった。

西谷監督は、今も中田の話になると、しみじみした口調でこう語る。

「2年春の故障がなかったらどうなっていたか。プロの世界でピッチャーとして勝負していたらどんな感じになっていたのか。僕のなかにはずっと投手としての中田がいたので、もし順調にいっていたら......と今でも思うことがあります」

以前、中田に大谷翔平の二刀流をテーマに取材したことがあった。そのなかで、高校時代にヒジを故障することなく、球団も容認してくれれば、プロで二刀流に挑戦する可能性はあったかと尋ねた。すると、中田はこう即答した。

「自分の場合は、高校2年でヒジを痛めるまで、正直そこまでバッティングに興味がなかったんです。だから、故障していなかったとしても、二刀流の可能性は低かったと思います」

そしてこう続けた。

「故障していなかったら、二刀流じゃなくてピッチャー一本でやっていたと思います。もともとピッチャーでプロに入って、一流になりたいと思っていましたから。それに二刀流なんて、体がめちゃくちゃしんどい。練習も人の倍やって、結果も出さないといけないし。だから翔平はすごい」

中学から評判の投手として騒がれ、高校2年春には151キロをマーク。変化球も一級品で、間違いなく世代トップクラスの投手だった。順調に成長していれば、憧れの松坂のあとを追って、海の向こうで投げていたかもしれない。

だがそうはならず、プロ入り後は打者として技術を磨き、3度の打点王(2014年、2016年、2020年)を獲得するなど、球界を代表するバッターへと成長した。

大谷翔平の才能にも驚かされたが、高校時代の中田の衝撃は今でも忘れることができない。それだけに一度だけでもいいから「投手・中田」をプロで見たかった。

谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

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