「かわいそうな人と思われたくなかった」40過ぎて初めての挫折...西川史子50歳が明かす“結婚生活と離婚”

「かわいそうな人と思われたくなかった」40過ぎて初めての挫折...西川史子50歳が明かす“結婚生活と離婚”

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/05/02

「やっぱり私は医者なんだ」西川史子50歳が振り返る「年収4000万」への思い、タレント業を減らした“舞台裏”から続く

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「かつての自分はハリネズミみたいだった」と語る医師・タレントの西川史子さん。「ゲップやおならもしなかった」という結婚生活と離婚を経て、「40を過ぎて初めて『挫折』を経験したんです」と率直な思いを明かします。自分自身に対して今では「牙が抜けている」と思うようになったという西川さん。結婚や出産、仕事やプライベートに対する考え方はどのように変わっていったのか、お話を伺いました。(全3回の2回目/#3に続く)

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西川史子さん

◆ ◆ ◆

離婚して辛い立場にいる人の気持ちが分かるようになった

――ご自身のことを今では「牙が抜けている」と。きっかけは何だったのでしょうか。

西川史子さん(以下、西川) 離婚したことが大きいと思います。すごく傷ついたので、それでようやく辛い立場にいる人の気持ちが分かるようになりました。それこそ昔は「フラれる方が悪い!」という考え方をしていました。失敗や挫折を恐れていたんでしょうね。常に恋愛では計算して動いていましたし、女友達にも弱みを見せることはなかったんです。

結婚している間は24時間営業みたいな感じだった

――結婚生活中、夫の前でだらしない姿を晒すようなこともなかったのでしょうか。

西川 絶対、まったくなかったですね。

――でも、仕事から帰ってきたら疲れてませんか……?

西川 そこからが勝負でしたよね。結婚している間は24時間営業みたいな感じで、夫といるとゲップやおならも引っ込みました。妻とはそういうものだと、勝手に思い込んでいたんです。

――理想の結婚や夫婦像があったんですね。

西川 毎朝早く起きて化粧をしてから夫を起こし、夜は毎日一緒に夕飯を食べる。常に一歩下がって夫を立て、生活費をたっぷりいただいて年に2回は海外旅行に行きたい……と思っていましたが、気づくと私が彼の3歩前を歩いているし、19時半の夕飯に夫が間に合わないと激怒してしまう。別にいいじゃないですか、忙しければ外食でも別々に食べる日があっても。でも当時はそれが許せなかったんですね。

「夫婦とはこうあるべき」を相手に押しつけた

――改めて振り返ってみて、西川先生にとって結婚生活とはどんなものでしたか。

西川 あの時は本当に何も分かってなくて申し訳なかったと、今は思います。夢を抱いて、そこがゴールだと思って結婚して、「夫婦とはこうあるべき」を相手に押しつけた。「医師」としての自分も「タレント」としての自分もうまくいったから、ならば「妻」も完璧にやりたい、やってみせると思っていました。

あんなに安らげない堅苦しい結婚生活、逆によく3年ももったと思います。ただそこには一番いい状態の私を見てほしい、もっと愛されたいという気持ちもあったんです。「おいしい」って言ってほしくて料理本を数十冊買い、「まずい」と言われた時の保険、その保険の保険と大量のおかずを作るので、夕食後はへとへとになっていました。でも、そんなことをしたって愛されるわけではないんですよね。

ひとつの道しか選べないんだから、比べても仕方ない

――結婚・出産とキャリアの両立で悩む人も多いですが、西川先生はその両立をどのように考えていましたか。

西川 20~30代は完全に仕事が優先でした。38歳で結婚したのは、子どもが欲しいと思ったから。自分の遺伝子を残したい、本能的に「今結婚しなきゃ」と感じたタイミングでした。でも結局途中から夫と仲が悪くなって子づくりどころじゃなくなってしまったから、自然の流れで子どもを持たずに終わったという感じです。

産まない人生もあれば、産めない人生もあって、産む人生もある。どれが幸せかなんて分からないけど、どれでもいいじゃんって今は思います。だって絶対にどれかひとつの道しか選べないんですから、他と比べても仕方がないですよね。50歳になって、本当に気持ちが楽になりました。私は「仕事といったら仕事、結婚といったら結婚」という過激な性格なので、子どもがいたら子どもに一直線……という感じで大変なことになっていただろうとは思います。ただ今は2匹の犬(ココとしのぶ)に4つの瞳でずっと見られていて、それはそれで苦しいんですけども(笑)。

「かわいそうな人」と思われたくなかった

――離婚後、一時は入院されるほど心身にダメージを負ったそうですね。

西川 42歳で離婚して、直後にマンションを買ったりトイプードルを飼い始めたりしました。周りに「かわいそうな人」と思われたくなかったんです。でも、180万円で買った「ヘブンリーベッド」で悪夢ばかり見るし、テレビ番組の生放送前に吐き気が止まらなくて、一時期はお尻の下にエチケット袋を忍ばせてオンエアに臨むような状態でした。

犬(初代ココ)が原因不明の病気で突然死してしまい、そのことも体調を崩す大きなきっかけだったと思います。周りに気付かれないようにと思っていましたけど、きっとみんなわかっていたでしょうね。頭皮には赤や黄色のまずい湿疹ができて、最終的に急性胃腸炎で入院したのが44歳です。病院のベッドで、「ああ、これで本当に私はかわいそうな人になってしまった」と思いました。

40を過ぎて初めて「挫折」を経験

――その感覚は、人生で初めてのことだったのでしょうか。

西川 それまでの私は、「目標」「成功」「気合い」「努力」みたいなフレーズが好きで、いつも何かに向かって前進しなくちゃいけない、そんな強迫観念がありました。でも病気をして無理ができなくなって初めて、自分自身がすごく傷ついていたことに気付いたんですよね。40を過ぎて初めて、思うようにいかない現実もある、という「挫折」を経験したんです。それは医者としてもすごくよかったことで、大変な人の気持ちに寄り添うことがどういうことなのか、ようやく理解できました。

それからは離婚や不倫のニュースを見ても、「お互いいろいろあったんだろうな」と思えるようになりました。前は「絶対にこいつが悪い!」とかやってたんです。白黒つけなきゃ気が済まない性格でしたけど、今は「どっちもグレーね」です。

女の子と胸襟を開いて話す時間が楽しい

――周囲に素を出せるようになりましたか。

西川 弱みを見せたところで何も取られるわけじゃなし、むしろ分かり合えたりするのに……若いときはそれができなかった。特に女は全員敵だと思ってて、合コンのメンバーが揃えばいいくらいの存在でした。女同士でパジャマパーティとかディズニーランドとか、「なんて生産性のないことをするんだろう」と本気で思っていましたから。旅行だって女の子と行くなんて考えたこともなかったです。誰が荷物持ってくれるの? みたいなね。でも争ったり比べたりする必要がないとわかった今は、女の子と胸襟を開いて話す時間が楽しいです。

――お友達や若手芸人さんらを家に招いて「西川会」を開催されているんですよね。

西川 前はよくやってたんですけど、(双子のお笑いコンビの)ザ・たっちが家のじゅうたんに醤油をこぼしたんです。それから彼らを出禁にして、だいぶ会が滞ってしまいました。

――ザ・たっちのせいで西川会が崩壊したということですか。

西川 そうです。どっちが醤油をこぼしたかはいまだにわからないんですけども(笑)。

――実は以前、ホテルオークラで西川先生を何度かお見かけしたことがあります。ゴージャスな毛皮を着た方が早足で歩いていると思ったら、西川先生でした。

西川 その時はきっと気を張っていたんですよ。オン/オフでいえば、オークラのロビーは絶対にオンでしたから。披露宴をやった場所でもあるので、スタッフの人にも知り合いが多くて、絶対にすっぴんでは歩けない、気の抜けない場所でした。でも今は改装してしまったので、そうなるともう関係ないやって感じです。今は、かなり足遅いですよ(笑)。

写真=鈴木七絵/文藝春秋

「実は心配性で自分に自信がなかった」芸能活動20年・西川史子が振り返る「毒舌キャラ」誕生の“原点”へ続く

(小泉 なつみ/文藝春秋 digital)

小泉 なつみ

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