私の長所だと思っていたことが崩れた瞬間、私は対人恐怖になりました

私の長所だと思っていたことが崩れた瞬間、私は対人恐怖になりました

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2020/11/20
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私は中高と、それはまぁすくすくと元気に明るく、そして誰とでもたくさんの人と話せるそんな自負するくらい、充実した生活を送っていました。福祉に貢献できる人になりたいと、夢高々に希望を持って、私は今の大学に入学しました。

そこで待ち受けていたのは、興味のあるたくさんの魅力的な授業と私の人格の全否定でした。

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自分の長所だと思っていたことが、実は「マイノリティ」だった

福祉を学べる大学は、私にとってとてもとても面白くて、勉強してきてよかったと思えるくらい福祉の勉強にのめり込みました。

その一方、福祉の大学に通う学生は、“優しい”印象の本当にいい子が多かったです。私のような“元気100%”みたいな子は、どちらかというと少なく、私は初め自分と似たような友達と仲良くなるようにしていました。それは、すごく楽しくて「大学の友達もいいな」なんて考えていました。しかし、私自身が福祉の勉強や部活動にのめり込むにつれ、私の方からその友達を離れてしまいました。

そのあとは、孤独の始まりでした。大学では決まったグループがあり、そこを抜けた私は、グループに所属しない人になっていました。部活動の友達以外、友達がいないのです。数少ない友達は、みんな優しい友達なのです。もちろん、その友達もほんとに大好きです。

でも、授業のグループワークや部活動の飲み会で、気付くのです。“優しい”が前面にでる子といると「いつも私ばかり話してない?」「いつのまにか進行役してない?」と。

確かに、昔からなにかと“長”がつくものになる事が多くて、でも、それはいいことだと思っていました。しかし、福祉の学びを進めていく中で、他の人の話を聞くこと受け入れること、大人しい、意見を言いづらい子からの意見を聞くことの大切さみたいなものを刷り込まれたような気がします。

そんなこんなで“明るくて活発でよく話す私”は、マイノリティなことに気付きました。そして、授業を受ける中で気付くのです。あっ、私ってADHD(多動性症候群)じゃん。大学に入るまで長所だと思っていた、リーダーシップや誰とでも仲良くなれるところ、積極性はガラガラと音を立てて崩れて行きました。

「どうして優しい子みたいになれないのだろう」と自己否定の連続

私の長所は、私にとって“衝動性を我慢できないただのでしゃばり”になってしまったのです。そこからは、飲み会でも盛り上げ役だったのが、急にしんどくなって、飲み会から帰ってくると1人病むこともしばしばありました。グループワークでも、誰も話始めないその静かな雰囲気に、私が口火を切っていいのだろうか、どうしてみんな話さないの? と悩むうちに「あぁ、また私進行役してる。最悪」と自分を責めていました。敢えて発言しないことを、何百回も繰り返したと思います。

自分でいうのもなんですが、頭が多動症というのは、頭がよく働くことでもあります。だから、人一倍意見も多いのですね。特に、その意見にこだわりを持ってるわけでもないのですが、衝動性もあるので言ってしまうのです。

ただ、ADHDの一番嫌な所は、空気は読めるし、良し悪しは分かった上で、我慢できないという所です。だから、後で後悔する生き物なのです。どうしてあの子みたいに、物静かでいられなかったんだろう。どうしてあの子みたいに、聞き上手になれないのだろう。毎日、1人反省会の連続です。はじめてのマイノリティという経験は、自己否定の連続でした。

うまくできない事は、自分の自信もなくしていきます。自分の人格全てが否定された気分で、“優しい”友達と関わるたびに「私こんなクズで生きてる価値ない」と思うようになります。「優しい」はずの友達が、多くは語らないが故に「なに考えてるか分からなくて怖い」という気持ちに変わります。

周りからすれば、私の方がハキハキ話して仕切ってるように見える状況でも、私は相手の機嫌を取るのに必死でした。顔色を伺って自分らしくあれないのです。“優しい”友達に怯える私の出来上がりです。

中高生の時に私が仲良くしていた友達は、よくも悪くも裏表のない人ばかりでした。「きしょい」「腹立つ」と、思ったことはなんでも口に出して言うし、私話しすぎ? と思う暇もないくらい、話を遮って話し合う、共感し合うの連続でした。「きしょい」「腹立つ」を言わない“優しい”子は、代わりに“悲しみ”を使います。元々人の悲しみや怒りに、敏感で影響されやすい私は、いつも私自身が加害者な気がするのです。

でも、その子たちの中も私は傷つかないと思っているのか、きついことを言う子だっています。その中の1人の子に、冗談ぽく「私っていつもよく話しちゃうし、ADHDなんやろなー」って言ったら「うんうん。そうやなぁ」と、返ってきたりして。冗談があまりない空気感での“優しい”子の発言は、全て正しい事に思えて、ADHDを受容しきれなかった私は自分が欠陥品だと思い、家に帰ってきてワンワン泣いたのを思い出します。そんな“優しい”子が放つ言葉を、全部全部まともに「そっか」と傷ついていました。

私のマイノリティは、長所を支えているのに恐れていたんだ…

次第に人が大好きで活発だった私は、人との関わりが怖くて仕方なくなりました。友達ってどうやって関わるのか分からなくなったし、友達と遊んでても楽しいって心から思えないのです。でも、そんな自己嫌悪や病みの期間を2年ほど彷徨って気付きます。

治せないのに我慢して、自分の事を否定し続けていたのは、“優しい”友達ではなく、紛れもなく“私自身”なんです。なんでもできる自分でありたい、理想像を上に掲げた私なのです。“優しい”友達が大好きだから、余計にその“優しい”友達のようになりたいと思っていたのだと思います。そう思うとなんだか、怖いものも怖くなくなってきてADHDの特性は、私の長所を支えているのに私が恐れていたんだなと気付きました。

“優しい”友達との付き合い方は、今でも模索中です。でも、ADHDで傷つきやすいという私でも、関わり方はあると思います。もう大学も卒業ですが、自分らしく関わること、自分らしく関われる人を選ぶことも大切な気がします。それは、友達との関わり方を変える事というより、自己嫌悪に陥ってしまう、自分自身どの向き合い方を変えるといった方がしっくりくるのかもしれません。

これからも“優しい”私になれなかった、私との向き合い方を模索していきたいです。

はーちゃん

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