さらば「伏見工」、校名消えても魂永遠に...ラスト花園叶わず泣き虫先生が最後の涙

さらば「伏見工」、校名消えても魂永遠に...ラスト花園叶わず泣き虫先生が最後の涙

  • SANSPO.COM
  • 更新日:2017/11/13

全国高校ラグビー京都大会決勝(12日、伏見工・京都工学院14-22京都成章、宝が池球技場)4度の全国制覇を誇る「伏見工・京都工学院」は京都成章に14-22で敗れ、「伏見工」の校名で戦う最後のシーズンで花園切符をつかむことはできなかった。名門の歴史に一つのピリオドが打たれると、スタンドから見守った山口良治総監督(74)は「最後だと思うとさみしい」と目を赤くした。

ノーサイドの瞬間、「伏見工」の戦いが終わった。選手たちが涙、拍手を送るスタンドも涙。4209人を飲み込んだスタンドから見守った山口総監督の目にも、熱いものが込み上げていた。

「(反撃は)Too Late(遅すぎる)。でも、最後まで多くの皆さんにあきらめない、ネバーギブアップの敢闘精神を見せてくれた。最後だと思うとさみしい」

今春の総体府予選決勝で0-41と大敗した京都成章相手に7-0で前半を折り返したものの、後半は3トライを奪われてロスタイムに突入。左サイドでパスを受けたWTB藤井健太郎(3年)が一気に抜け出して意地のトライを決めたが、及ばなかった。

スタンドではOBで元日本代表の大八木淳史氏(56)も背番号「5」の伝統のジャージーをまとって観戦。「時代でしょうね」。総監督も「歴史の流れですから」と声を重ねた。「伏見工」の名前が消える理由は少子化による学校統合。昨年4月に洛陽工と統合し、京都工学院となった。伏見工に籍を残すのは現3年生が最後だった。

日本代表FLで名キッカーの肩書を引っ提げて1975年に監督に就任。待っていたのは荒れ果てたグラウンドと「山口? 誰や」という生徒の反応。大阪の高校から練習試合の申し込みがあった。全員の切符を買って駅で待った。しかし誰も来なかった。前代未聞のボイコットだった。転機は京都・花園高との一戦。0-112で敗れ「悔しいです」「勝ちたいです」。選手は泣いた。先生も泣いた。そこから奇跡は始まった。

翌年に花園高に勝った。そして80年度大会では平尾誠二氏を擁して、全国大会優勝。91年には脳腫瘍の大手術を受けた。監督就任後、さまざまな思い出とともに、40年以上が過ぎた。かつての熱血先生は今は杖が手放せない。昨年10月には平尾氏が53歳の若さで死去。「順番が違う」と号泣すると同時に「平尾の分まで、もう少し頑張ってみる」と語っていた。

「昔は負ける悔しさもなければ、見に来てくれる人も少なかった。それが、多くの人にラグビーのすばらしさを発信してこられた。伏見工の伝統は受け継いでくれると思う。感動してもらえるいいラグビーをしてほしい」

観客に感動を与える-それがフシコーの真骨頂。それだけは貫けた。名前こそ消えるが、ジャージーのデザインは変わらない。どんな時代になっても思いはひとつ。信は力なり! 2015年度大会を最後に花園から遠ざかる。生駒おろしが吹きすさぶ聖地が、復活を待っている。 (須藤佳裕)

伏見工業高校ラグビー部

1959(昭和34)年創部。75年に山口良治氏(現総監督)が監督に就任し、79年度の全国高校大会に初出場を果たすと、翌年度には、元日本代表監督の平尾誠二(昨年10月死去)らを擁して初めて全国制覇を達成した。山口氏による熱血指導により、わずか数年で全国に名をはせた過程は大きな反響を呼び、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなった。これまで全国大会に20回出場し、4度の全国制覇、2度の準優勝を果たすなど輝かしい成績を残してきた。

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目を真っ赤にし、最後の「伏見工」を見届けた山口総監督。後ろは大八木氏(撮影・寺口純平)

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