「日本人」とは誰か?大坂なおみ選手についての雑な議論に欠けた視点

「日本人」とは誰か?大坂なおみ選手についての雑な議論に欠けた視点

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2018/09/16
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全米オープンテニスで「日本人として」初めて優勝した大坂なおみ選手。

大坂選手は日本人の母とハイチ系アメリカ人の父のもと、大阪市で生まれた。4歳の時に父の仕事でアメリカに移住。

現在、テニスプレイヤーとしての選手登録の国籍は日本で、日本における住所は北海道根室市の祖父の自宅に置かれている等、その他の彼女のプロフィールはさまざまなメディアからアクセスすることができる。

その大坂なおみ選手を巡って「日本人じゃない」「日本人に見えない」「二重国籍なら日本人とは言えない」という声がある。

一方で「謙虚さはさすが日本人」「心は大和撫子」といった、彼女の快挙が「日本人」であることに起因しているとする賞賛も行き交う。

どちらも彼女の勝利に「日本人」という軸でプラスマイナスの付加価値を加えているという点では、同じ問題を内在していると言えよう。

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〔PHOTO〕gettyimages

大坂なおみ選手は「日本人」

「見た目が日本人ぽくない」「日本語がカタコト」「父親がハイチ人」「幼児期からアメリカで暮らしている」等々……。

大坂選手が「日本人じゃない」ことの主な論拠として上げられているものは法律上はいずれも通用しない。たとえ「日本語がカタコト」でも彼女はまぎれもない、日本人だ。

「国家」の三要素は言うまでもなく「主権」「領土(領海)」「国民」だ。そのうちの国民の範囲を決めるのが「国籍」に関わる法律である。「国籍」とは民主主義国家においては主権者の範囲を決める最重要事項である。と同時に国民の権利能力形成を行い、担保するものでもある。

「日本人」である要件を簡単に分別すれば以下のようになる。

① 父母、もしくは父母のどちらかが日本人のケース
② 親が日本人かは不明。遺棄された未就学前の乳幼児のケース
③ 日本人ながら本籍地が不明である者が「就籍」許可を申請して認められたケース
④ 外国籍だったものが「帰化」を申請し、認められたケース

大坂選手の場合、母が日本人なので①をもって日本人となる。

二重国籍への批判

「母親が日本人だから大坂選手が日本人だ、ということはわかった。だが、二重国籍はどうだ?アメリカ人でもあるんだったら、『純粋な』日本人とは言えないだろう」

法的に全く問題がないと言っても、「二重国籍」を指摘して大坂選手が日本人であることに納得いかないという人の声も聞こえてくる。

たしかに大坂選手はアメリカ国籍も持つ、いわゆる「二重国籍」者だ。

アメリカには国籍選択の規定はなく、単独国籍であることを求めているのは日本だけだが、日本の国籍法の規定によれば、大坂選手は22歳の誕生日以前までに国籍選択をすればよい。

この10月に21歳の誕生日を迎える大坂選手は少なくともあと1年は「二重国籍」であってもなんら問題はない。となると、現在はアメリカ国籍を持っていたとしても、合法的に日本人である。

しかし、なぜ「二重国籍」であることでこうした批判が上がるのだろうか。

「国家に対する忠誠」を問題としているのだろうか?もしくは、単独国籍しかもたないものに比べて、「より広く機会を享受できるであろうことへ不公平感」なのだろうか?

国家が国民に対して「国籍」を付与するということは国家に対しての従順を要求するのと交換に、個人の要求に対し、便宜を図り、また対外的な危機から保護するという構造を提供するということだ。同時に租税や兵役等、国民の義務履行に対しての監視の意味ももちろんある。

「国民」は自国に自由に入国・在留することができる。就業や進学に対する許可も基本的にはいらない。海外への渡航等の便宜も含めて「二重三重に国籍を持つこと」は、そのメリットの幅を広げて享受できるという利点がある。

一方で「重国籍」であることで、複数の国家の監護権が衝突、外交保護権、参政権、兵役と言った国に対する権利と義務関係が複雑化する、というデメリットもあげられる。

外国の軍事的や役務に服することで、国に対する国民の忠実義務が抵触する事態が生じるおそれもあること。また単独国籍しか有しない多くの国民との間に機会不平等が生じること。

重国籍者はその属する各国で独自の氏名を登録することが可能なので、入国管理を阻害したり、重婚を防止したりできない。重国籍者の本国法として適応される法律がどれなのかわからず、混乱を生む可能性も指摘される。

ただ、居住や就労等の実質的なつながりの強い国を優先する「実効的国籍の原則」によってこうした弊害は解消されると考えられている。

問題は、大坂選手をはじめ二重国籍当事者の多くは自分の意図で重国籍となっているわけではないということだ。

出生地主義、血統主義、単独国籍、重国籍容認――。さまざまな主権国家が独自に決めた「国民」の範囲、生まれた場所、父母の国籍等に影響を受けながら、その状況を受容しなければならないのだ。

こうした現状を見てもなおも「大坂なおみは日本人ではない」となると、その人は法治国家日本の国民であることを自ら否定しているとも取れる。

もちろん、主権者である国民は、自らの国の法律を変えることができるので、今後法改正を目指して行動を起こすことはできる。

しかし、現在で何ら法の担保もない「日本人たる基準」を一方的に押し付け、誰かを名指しし「日本人じゃない」という権利はない。

特にそれが個人的なアイデンティティーに関わることであれば人権侵害にもあたり、なおのこと慎重にならなければならないのだと思う。

ただ、こうした言動をする人々が国籍法の条項や、国籍選択の時期等を知らないとも思えない。

となると、ある意味意図的にこうした言動を繰り返すことで、自分にとってなじみのないものが、自分の領域である「日本」に入ることを怖れているようにも見える。

何らかの「威嚇」としての効果、もしくは「日本を守る」といった類のヒロイズムを与えてくれるのだろうか。

すでにある二重国籍の特例

「国籍」の枠組みを議論することは、主権者たる「国民」の範囲を決めることでもある。

また「重国籍」への対応は他国との外交上の関係や安全保障にもつながる政治的に広がりのある課題だからこそ、この問題は国会議員こそ積極的に発言し、議論していくべきだ。立法府しか法改正はできないので、なおのことである。

しかし、そうした議論はなかなか聞かれない。

なぜか。改正で益を得る日本人が外国に居住する場合も多く、対象者が可視化され難く、取り組んでも「票」に直結しないからである。

今回の大坂選手の国籍に関する国会議員の発言は少ない。その中で、日本維新の会の足立康史衆議院議員がTwitterで以下のような発言をしている。

「ノーベル賞、オリンピック等で快挙を成し遂げた日本国民には、二重国籍の特例を認めたらどうかな」

大坂なおみ選手の快挙を機に二重国籍制度改正の議論を https://t.co/daPwq4eGrm

ノーベル賞、オリンピック等で快挙を成し遂げた日本国民には、二重国籍の特例を認めたらどうかな。
こういうこと言うと、またツイッターのフォロアー激減しそうだけど、日本国民の皆さんはどう考えますか。
— 足立康史 (@adachiyasushi)
2018年9月10日
from Twitter

一見「トンデモ案」のようだが、実は日本国籍を取得する帰化の要件の中に上記と近い規定はすでにある。

「国籍法第九条 日本に特別の功労のある外国人については、法務大臣は、第五条第一項の規定にかかわらず、国会の承認を得て、その帰化を許可することができる」

これはいわゆる「大帰化」と呼ばれるもので、普通帰化や特別帰化の要件を満たさないものの、日本に特別の功労のある外国人に対して国会の承認を得て日本国籍を認めるといったものだ。

「大帰化」の特徴は、本人の意志の有無によらず、国会が一方的に付与するというところだ。つまり場合によっては当事者が望んでいないのに日本国籍が付与されるのだ。だからこそ、本来持っている国籍を離脱する義務はない。つまり堂々と「二重国籍を謳歌できる」ということなのだ。

これが「大帰化」を称して「法的効力を持つ名誉市民権」と言う由縁なのだが、1950年、現行の国籍法施行以降で認められた例はない。

ちなみに2012年、フィギュアスケートのペアのケースで、日本女性選手のパートナーがカナダ国籍だったために双方が同国籍でなければオリンピックに出ることができないという問題が持ち上がり、スポーツ議員連盟(麻生太郎会長)総会で議論され、日本スケート連盟会長の橋本聖子参議院議員がこの「大帰化」を適用できないかと主張したものの、反対意見が多く、不発に終わっている。

私自身はいかにも恣意的に運用されそうな「特例」に反対だし、差別を作るようなこの規定が法律として残っていることに疑問を持つ。

だからこそこれまで一度も実行されて来なかったのだろうが、帰化や二重国籍の「特例」を作るよりも、現在行なわれている事実上の運用に沿って二重国籍を容認する改正をすればよいと思う。

さまざま懸念されるところに対してどう答えられる中身にするか、まさに「政治的技術」が求めているのである。

二重国籍を容認してきた日本

ことほど左様に、例外とはいえ二重国籍を認める法律がある等、実は首尾一貫しておらず、日本における「国籍」「戸籍」に関する法整備や運用は構造的な欠陥を抱えていることは以前から指摘をされてきた。

2年前に起こった蓮舫参議院議員のいわゆる「二重国籍問題」はその一端を露にし、重要な問題提起の機会でもあったが、政局がらみに矮小化して語られてしまったことは返す返す残念だ。

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〔PHOTO〕gettyimages

「二重国籍」は法令通りに国籍選択をする過酷さや、手続きの煩雑さ、戸籍記載といった問題を示す。

一方で、日本は国としてその努力義務を課しながらも国籍選択の時期を越えても手続きをせず、現に「重国籍の日本人」として生きている人々がいることを把握している。

が、それについては「暗黙の了解」として触れず、放置することで実質「二重国籍」を緩やかに認めてきた。

制度ができて以来、「二重国籍」であることが発覚、日本国籍を剥奪された人はひとりもいないことからも、事実上「二重国籍」を容認していたことがわかる。

だからこそ、逆にこの問題は正面からの議論や実態と乖離した法を整備するまでは至らず、今日まで来たのである。

多文化を背景に活躍する日本人たち

日本には大坂選手以外にも陸上のサニブラウン・アブデル・ハキーム選手(父がガーナ人・母が日本人)、柔道のベイカー茉秋(ましゅう)選手(父がアメリカ人・母が日本人)等々スポーツ界を見るだけでも父と母の国籍が違い、その中で活躍をしている選手たちが続々と頭角を現している。

スポーツ界だけではない。

例えばノーベル賞受賞者をみると、元は日本国籍を持っていたものの受賞当時は外国籍となっていた人々もいる。

物理学賞の南部陽一郎氏、中村修二氏は日本国籍を離脱し米国籍を取得、文学賞のカズオ・イシグロは英国に帰化している。

偉業を成し遂げた世代の人々でも活動の幅を広げようとしたとき、国籍選択の問題とぶちあたってきたのだ。

国際的に活躍するスポーツ選手や、研究者たちも国籍等の問題に直面しているであろうことを思うと、いよいよ「日本人とは誰か」を真剣に議論すべき時がやってきているのだと思う。

「謙虚」と「我慢」は日本の美徳か

一方で、大坂選手の振る舞いに、過剰なまでに「日本人」を重ねてみる向きがあることにも違和感を覚える。

トロフィーセレモニーで、セレーナ・ウイリアムズに対して、「Thank you」とちょこっと頭を下げた大坂選手について「深々とお辞儀をした」「日本人の魂だ」「さすが大和撫子」といった書き込みを見る度に、大坂選手の今後が心配になる。

少しでも「日本人らしくない」言動をすれば、賞賛の声はあっという間にバッショングに変わるだろう。

大坂選手のテニスの真髄が「我慢」となると、「『我慢』は日本の文化」と言い出す。少なくともそれを教えたコーチと父はいずれもドイツ人でありハイチ出身のアメリカ人だというのに。

「良きものは全て日本に起因する」とするには無理がありすぎる。

また「謙虚な姿はまさに日本人」とのコメントもあちこちでたくさん見たが、ことさら日本を褒める行為には「謙虚さ」は感じられないし、「我慢」のあとも見られない。

なるほど、「大坂なおみは日本人じゃない」と書く人も「大坂なおみはさすが日本人」と書く人も、どちらも自分が思う「あるべき日本人」を実践できていないのかもしれない。

だからこその焦燥。「日本人の軸」とは一体なんなのか。こうして予定不調和な事例が入ってこないと確認できないほどに、揺らぎを抱えているのである。

そこには、今も「イエ」社会と「ムラ」社会という感覚が薄らと透けて見える。

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「私は私だと思っている」

9月13日、テニストーナメント出場のために日本に帰国した大坂なおみ選手は記者会見に臨んだ。

「日本のテニスや日本人観を変える存在という声もあるが?」との質問には、「私は自分のアイデンティティーは深く考えず、私は私だと思っている。育てられた通りになってきている」と答えている。

「テニスに関しては、あまりというか、ほとんど日本のスタイルらしくないと思っています」とも。

彼女はダブル、トリプルといった固定化された、ステレオタイプのアイデンティティーといったものからも解き放たれているように見える。

「日本の子どもたちにメッセージを」と言われると、「私を目標にしないでください。それまで責任が取れないです」といつものユーモアで答えたが、こうした受け答えの端々にも、次にやってくるだろう時代の流れを見ることができる。

大坂なおみ選手は日本人だ。そして、アメリカ人だ。

ただ、それがどうした、である。
多文化の背景を持つ彼女は、ひとつの国に留まらず、人生を謳歌する自由を持つ。

雑音にも揺るがず、自分を保つ強さは日本人のみならず、世界中の人を勇気づけたし、これからも鼓舞してくれることだと思う。

今回鮮明になったのは、「謙虚」も「我慢」も多様な文化の中でより強く育まれるということだ。軽やかに答えるに至るまでは、さまざまな葛藤があったことも想像に難くない。

人種、男女他、どの国にいてもいまだ克服されることなく続いている差別等に向き合わなければならない現実も含めて、大坂なおみ選手の出現は、日本社会に新たな刺激と問いかけ、学びをもたらしたのである。

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