安倍晋三元総理、周囲に語っていた政界引退後の“夢”

安倍晋三元総理、周囲に語っていた政界引退後の“夢”

  • 週刊女性PRIME
  • 更新日:2022/09/23
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安倍元総理

7月の参議院選挙の街頭演説中、安倍晋三元内閣総理大臣(享年67)が凶弾に倒れて3か月が過ぎた。9月27日には国葬が行われる。

【写真】凶弾に倒れる直前の安倍晋三元首相の演説姿

安倍晋三元首相の国葬の是非

「国葬にかかる全体の費用の概算について、政府は当初発表した約2億5000万円に加え、警備費や来日する要人の接遇費など14億円あまりがかかるとし、総額で約16億6000万円となる見通しを示しました。

新聞各紙が行った世論調査では国葬反対が大多数を占めるという事態のため、強行を決定した岸田政権に対するますますの支持率の低下は否めないでしょう」(テレビ局政治部記者)

反対する人々が挙げているおもな理由は「多額の費用を国費から捻出するということ」と、安倍元総理をはじめとする自民党議員たちの世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関わりだ。

しかし、評論家で徳島文理大学教授の八幡和郎さんは、安倍元総理を「21世紀の初頭の世界で、最高クラスの政治家で長生きしたらノーベル平和賞も確実だった」と断言。「安倍さんの葬儀は国葬に値する」と語る。

「対外的にも国葬を行うべきです。安倍さんは外交の名手でした。米国のオバマさんとトランプさんのいずれからも信頼され、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席とも良好だった。

海外では中露寄りだったインドと日欧米を結びつけたことが世界史的な功績だと評価されています」(八幡さん、以下同)

官僚出身であり、『歴代総理の通信簿』(PHP研究所)や『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)といった、総理を研究した書籍も多数執筆している八幡さんは、実際に安倍元総理を含め何人もの総理経験者や関係者の声をじかに聞いてきた。

「だからといって、私は安倍さんの政策のすべてを支持していたわけではありません。『歴代総理の通信簿』では、当時の第1次安倍内閣を酷評して、安倍さんに直接『たいへん勉強になりました』と苦々しげに言われたこともあるし、アベノミクスについてもマクロ経済政策偏重で全面的には賛成はしていません」

安倍元総理が亡くなる前には、本人に取材をして、安倍元総理の発言として書かない条件で突っ込んだ話を聞いたという。

「そのときの取材では、安倍さんの本音がふんだんに聞けました。亡くなってしまったこともあり、人となりを伝えるためにも開示したいと思います」(八幡さん)

総理という大役から降りた状態だったからこそ、今後の人生を見据えた話も語ったようだ。なお、八幡さんが見聞きした貴重な体験は、8月に発売された『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか』(ワニブックス)と名付けた評伝に組み込まれた。

八幡さんの目を通した「人間・安倍晋三」とは─。

反対派の声を意に介さなかった理由

「安倍さんは、本人に聞いても、ゴルフとか、映画やドラマ鑑賞は好きだったみたいですが、ものすごくお金をかけてまでした趣味はなかった。なお、若いころ、最初に好きになったアイドルはアグネス・チャンだそうです。

また、もともとお坊ちゃんですし、奥さんの昭恵さんも資産家の娘ですから、お金には困ったことがない。というより、お金に欲がない。生活も、庶民的とはいいませんが、父の晋太郎さんの自宅を小さなマンションに建て替えてそのひと部屋に住んでいた。

お酒もほとんど飲まないし、高級グルメにもそれほど興味はなく、気楽なお店で美味しいものを食べることを好んだ。ローマで連れていかれた場末の庶民的な店のピザを『あれは美味しかった』とずっと語っていたそうですよ。品がよくて朗らかな人でした」

とはいえ、『アベ政権をゆるさない』といった、個人名を掲げたうえでの反対派の声も多かったのが安倍政権だった。

SNSの炎上を理由に死を選ぶなどする人もいるように、その道を選んでもおかしくないくらいの状況もあった。それに対し、本人はどう思っていたのだろうか。

「何も思っていなかったわけではないでしょうが、特に悩んでいる様子はなかった。これも、『敵がいて当たり前』という、代々政治家の家に生まれたからでしょう。以前、橋下徹さんが安倍さんに『命が狙われて初めて政治家』と励まされたと言っていましたが、安倍さんのスタンスそのままだったわけです。

また、昭恵さんの動向もいろいろと問題視されましたが、まったく気にしていなかった。というより、妻をたしなめるという発想じたいがないのです。それは安倍さんのご両親の影響ですね。

岸信介元総理の娘であり、行動力も人脈も気概もある母の洋子さんを、父の晋太郎さんはあるがままに見守るという家庭だったからです」

そういう家庭に育ったからこそ、外交の手腕が身についたのでは、と八幡さんは推測する。

「私が通産省からパリに国費留学していた時期のことです。その頃、大臣夫人だった洋子さんの案内をしたら、晋太郎さんの秘書官をしていた当時28歳の安倍さんがお礼を言いに来てくれたのですが、自由闊達なお母さんのいい息子さんという印象だった(笑)。

しかし、その後総理になった安倍さんは、海外に行ったら当時の首相なり大統領なりの地盤に行ってパレードするようにされていました。そんな気配りなどは、洋子さんの薫陶の結果だと思います。『相手が何をいちばんしてほしがっているかを考え、それを思いっ切り実行してきた』と言っていました」

そんな、育ちがよいゆえの大胆さで、外交や世論対策で成果を挙げたのが、よくも悪くも人々の心に波風を立て、攻撃も招いたのだろう。

『ふぞろいの林檎たち』に共感していた

「安倍さんが仲のよかった有名人に、俳優の中井貴一さんや、タレントの松岡修造さんがいました。中井さんは2世俳優で、成蹊大学の後輩。松岡さんは、安倍さんの祖父である岸信介さんが事務次官として仕えた実業家で商工大臣も務めた小林一三さんのひ孫です。

名門出身で朗らかなことで気が合ったのでしょう。彼らのような気のおけない人と、仕事の話を抜きにして食事をすることがストレス解消法だったそうです」

そのいっぽう、こんな面もあった。

「反対に、ゴルフや会食で頼みごとをする人は苦手だったと、よく知る人は口をそろえて言います。

中井さんと仲よくなったのは、安倍さんが大ファンだったドラマ『ふぞろいの林檎たち』('83年・TBS系)の主演を中井さんがしていたこともあったからだといいます。

『ふぞろい〜』といえば、ぱっとしない大学に通っていた学生たちを中心とした群像劇です。登場人物たちが抱いていたさまざまなコンプレックスを、脚本家の山田太一さんが丁寧に描いた名作ですけれども、安倍さんは彼らの言動に大いに共感していたそうです。安倍さんが共感したコンプレックスはどこだったのか、聞いてみたかったですね」

父の晋太郎氏が政治家として志半ばで病死したからか、「政治家をいつ辞めてもいい」とも語っていたという安倍元総理。くしくもその父と同じ67歳で、この世を去ることになった。

八幡さんには、「いつか映画を撮りたい。ストーリーの構想はあるんです。(製作の過程など)まったくやり方はわからないのですけれど、それを考えるだけで楽しくなれるんですよね」といった話をしたという。

「親しいジャーナリストにも、『政界を完全に引退したら、昭恵の案内で旅行をして映画でも撮りたい』ともらしていた」(八幡さん)とも。

支持派、反対派と、見解が真っ二つであったものの、その一挙手一投足がいつでも話題の中心となっていた安倍元総理。

八幡さんはこう想像する。

「製作した映画の内容は、政治家の苦悩や駆け引きなどではなく、まったく別ジャンルの、ほのぼのとしたものになっていたのではないかと思いますね」

教えてくれたのは…

八幡和郎さん評論家、歴史作家、徳島文理大学教授。1951年、滋賀県大津市出身。東京大学法学部を経て1975年通商産業省入省。入省後官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。1997年退官。2004年より徳島文理大学大学院教授。著書多数。

取材・文/木原みぎわ

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