「上っていくばかりじゃ面白くないでしょ、人生」 W杯落選、島暮らしで孤立も味わった久保竜彦の生き様

「上っていくばかりじゃ面白くないでしょ、人生」 W杯落選、島暮らしで孤立も味わった久保竜彦の生き様

  • THE ANSWER
  • 更新日:2023/09/19
No image

どんな挫折も受け入れ、あるがままに生きてきた久保竜彦の人生観とは【写真:荒川祐史】

「BEYOND」インタビュー後編 令和の今だから響くドラゴンの生き様

ドラゴンは今も変わらずドラゴンだった。サッカー元日本代表FW、久保竜彦。日本人離れした身体能力と強烈な左足を武器に得点を量産し、2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会を目指したジーコジャパンで日本サッカー界待望のストライカーとして嘱望されながら、度重なる怪我でコンディションが上がらず落選。39歳だった2015年限りで引退後は2018年から縁あって山口・光市の港町に移り住み、塩作りやコーヒー焙煎など自然と共生した地方暮らしをしている。「BEYOND(~を超えて)」をテーマに展開する「THE ANSWER」のインタビュー。後編は、令和の今に響く独自の人生観に迫った。自分と他人を比べても「それはええじゃろ」と語る言葉の裏にある信念、気持ち良い場所と人を求めて生きる理由とは――。(敬称略、取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

◇ ◇ ◇

横浜で実施した取材には、電車で来た。

「めんどい」という極めて明快な理由で、久保竜彦はスマホを持たない。ガラケー一筋。「みんな、(スマホで)何を見とんかなって思うけどね。なんかチカチカしとるのをやっとるね。ゲームがしたいんやろね」

では、自身は電車内でどうしているのか。「外、見とる。今日はオモロイことはなかったけど。鳥見たり、建物見たり。そんな感じよ」

常識の枠にハマらない。ドラゴンとは、こういう男である。

引退後の39歳から山口・光市にある室積で暮らしている。山と海に囲まれた漁師町で、連絡船で20分の距離にある小さな離島・牛島を行き来しながら、畑仕事や塩作り、コーヒー焙煎に精を出し、酒を好む。家にテレビはない。「サッカー観るより、釣りしとる方が楽しいけえ」

スーパーに行くことはほぼなく、食料は自分で作った野菜や釣った魚、そして、近所からのおすそ分け。

「自分でイカやタコも釣るし。山もあるし、しいたけとか山菜採りに行ったり、イノシシおるけえ、それを捌くこともあるよ。漁師の人が『エビ獲れたけど、いる?』って持ってきてくれたり。エビは足がはやい(傷みやすい)けんね。食い物も『これ食べんさい、あんた死にそうじゃないんか』って。全然、死にそうじゃないけど」

時代は令和。「リモートワーク」や「ワーケーション」という言葉が当たり前に。久保は図らずも地方暮らしを先行してきた。「(リモートワークは)うちで娘もやっとるわ」と言うが、ここから先がドラゴン流。

「家にはおるなと言うけどね、娘には。どっか出歩いて、そこら辺の公園でも、何か変えた方がいいよね。見る物、聞く音、匂いとかは絶対変えた方がいい。じゃないと、頭が動かんくなるけんね。(スマホを)チカチカ、ずーっとやっててね、こうなる(画面に集中する)けえ、この辺(周辺の視野)がなくなるんよ」

お金は「別に金があって(それだけで)オモロイことはないやろ」とミニマムな生活を好む。

多様性の時代。「自分らしさ」を尊重し、認め合う。その半面、他人と自分を比べ、幸せがぶれる人がいるのもまた事実。都会の競争社会で、タワーマンションの住人から嫉妬渦巻く中流層の悲哀を描いた「タワマン文学」も流行る。富や名声、給料や肩書き。そんな価値観とは対極にいるドラゴンの目には“今”がどう映るのか。

久保は「それはええじゃろ。何かを目指して、やりゃあね」と言った。

ドイツW杯落選で培った人生観「ずっと上っていくばかりじゃ面白くないでしょ」

「俺はサッカーが好きで、一番になりたかったし、優勝したかったし。一番注目される選手になりたかったし。金が欲しいとかじゃなかったけどね。俺が一番うめえ、俺が点取ったら勝つんやってのはあったから。何を目指してるかなんて人それぞれやし。それは突き進んでいくしかないんじゃないの。

そういうのを見て助けてくれる人もおるし。知らん顔もされるかもしれんけど、それはそれでね。こういう風になれって(誰かの指示を)聞くのも(本当の自分からすると)嘘だと思うし。(人生の選択は)それくらいのことやと思うし、別に比べるのが好きだったら、比べて頑張ればいいわけやんか」

そんな話を聞いて、ふと思い出した言葉がある。

昨年11月、カタールW杯の代表メンバー発表に合わせ、久保を取材した。当落線上で涙を呑んだ2006年ドイツW杯。その夜、1年半やめていた酒を浴びるほど飲み、テレビの取材に応じた母が涙する姿を初めて見て、「もう、かあちゃんを泣かすようなことしたらあかんな」と思ったという。

そして、自らと同じく落選したメンバーへの想いを問うと「落ちりゃ、それも面白いと思う。だって、ずっと上っていくばかりじゃ面白くないでしょ、人生」と言った。

「落ちたら落ちたで、どういう気持ちになるか、その時に周りに誰がいてくれるか、なかなか見られんから。あとはまた上がればいい。浮き沈みがある方が楽しいでしょ。なかなか落ちることってないもんね、人生で。だって、自分の力では落ちれんもん。それを経験できるのも面白いんじゃないですか」

栄光も、困難も、挫折すらも。あるがままを受け入れ、置かれた環境を楽しむ。この人生観が久保の根底にあるように感じた。

こう記していると、今の久保は地方で悠々自適なスローライフに見えるが、苦労もあった。インタビューを終えた夜に設けた一席で日本酒を煽りながら言った。

「実際、(塩作りをしている)島は孤立無援やったよ。嫁はすぐ友達作って半年くらいで(周囲と)仲良くしとったけど、俺は3年かかった」。根っからの人見知り。181センチある無口な大男が人口50人の島にやってくる。「元日本代表」の肩書きなど何の意味もない。居酒屋で一人、酒を煽る日々だった。

久保は打ち解けるまでに時間がかかるが、その分、ともに生きる人を大切にする。

サンフレッチェを辞めたのは「人が変わって、気に入らんかったけえ」。マリノスを選んだのも交渉の席に「嫁さんを呼べ」と言い、クラブの関係者なし、夫婦2人と監督1人で腹を割ってくれた岡田武史監督に漢気を感じたから。そして、マリノスを去ろうと思ったのも、その岡田監督と心酔した先輩・奥大介がいなくなるから。

「気持ち良くいられるところを、ずっと探してるんかな。気持ち良いと感じる人の基準? そんなんはないけど、嘘つかんかったり、これと決めたらやることだったり」

そうして長い時間をかけながら、室積や牛島で居場所も作った。

「包丁がズタボロになったら(近所の知り合いに)研いでもらって、めっちゃ切れるようになって。刺身で食って。そんな感じでしよったら、むっちゃ捌くのがうまいおばちゃんと友達になって『魚、持ってこんね』とか言ってくれて。最近は『おばちゃんも食ってね』みたいな感じでお返ししたり、それでまたなんか作ってくれたり」

「サッカーはやろうと思ったら、そこら辺でできるし。別にそれでええやん」

実は、久保の生活は今、転機にある。それは、父として。

12歳で日本一を経験したこともあるテニスプレーヤーの次女・杏夏がこの春、高校を卒業。米国に拠点を移すか、春から妻と娘が暮らす横浜に移って相談を続け、その間、地方でのサッカーイベントに顔を出し、過ごしてきた。

小さい頃から暖房は使わず、「寒い」と言えば、「そこら辺、走って来ればあったまるやろ。それか相撲で」という流儀で育てた。家にテレビがないのも、受験勉強に集中させるため「(配線を)ブチッとやった」から。

「娘がまだバシッとなってないけえ。それをちゃんとなるように。自分でするのが普通なんやけど……手助けじゃないけど、そういう感じで。室積でやりたいことあるけえ。長くおらんかったら忘れられるしね。今度、帰っていろいろ話さんといけんね」

そう頭を悩ませる姿は、父としての人間味も感じさせる。

まもなく50歳も見えてくる。これからについて話を向けると「やっぱ、あれよね」と切り出した。

「好きな場所に自分で家作って、(塩作りの)窯とか、いろいろやったりね。そういうところで生きていきたいけど、子供もおるし、なかなかね。でも、自分が好きなことを目指しておかないと、そういう人との繋がりもできんくなるしね。本当に自分がやりたいことやれりゃいいけどね。やりたいけどね」

サッカー界で「俺が一番うめえ」を証明するために戦い続けた男が、最高に気持ち良くいられる場所と人を探す第二の人生。

最後に聞いた。

サッカーに未練はないんですか?

「サッカーはどこでもできるけんね、やろうと思ったら。そこら辺でできるし、子どもらも遊んでるし、別にそれでええやん」

常識の枠を超え、久保竜彦は今を生きている。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

THE ANSWER編集部・神原 英彰

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加