「パパみたいにならないでね」という母親のグチが子どもをダメにする

「パパみたいにならないでね」という母親のグチが子どもをダメにする

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/08/12
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幼稚園に通う息子が問題児に?

その晩、夫は珍しく早く帰宅した。ケイコさんは、どうやって息子の話を切り出そうかと考えていた。

ユウトが4歳になって、やっと幼稚園生活も軌道に乗ったと思っていたのに、今日の夕方お迎えに行ったとき、担任の先生から「少しお話があります」と言われたのだ。

出産するまで幼児教育関係の団体に勤めていたケイコさんは、育児や子どもの教育にはそれなりの知識があると自負していた。

不安になったが、できるだけにこやかな顔つきを心がけているケイコさんに向かって、先生はこう言った。

「ユウトくん、じつはお友達に軽いけがをさせてしまったんですよ」

柔らかな口調だったが、明らかにユウトに対して批判的な内容を聞いて、ケイコさんは驚くと同時にショックを受けてしまった。

「ああ、そうですか……ほんとうにすみません。できればそのお友達の名前を教えていただけるでしょうか。ちゃんとお詫びをしたいと思いますので」

ひたすら頭を下げているケイコさんに向かって先生はさらにこういった。

「最近、ご家族に何かあったんでしょうか。ちょっと落ち着きがないし、お友達との関係もうまくいってないみたいなんですね」

追い打ちをかけるような担任の言葉を聞きながら、ケイコさんは冷静さを失い、頭の中が真っ白になってしまった。落ち着きがなく、友達とうまくいかない……つまり、園では問題児になっているということだろうか。

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おやつまで手作りにして、水泳教室も開始したし、いずれ小学校を受験するための準備だってぬかりなくやってきたのに。ママ友との関係だって、自分で言うのもなんだけど、それほど困っているわけじゃない。行事のたびに私は中心的な存在になっている。

なのに、いったいどうしてだろう。「ご家族に何かあったんでしょうか」というのはいったいどういうことなんだろう。その言葉を反芻しながら、心の中で不安の塊がだんだん大きくなってくるのを感じた。

でも、担任に家庭のことにまで首を突っ込んで来る権利などあるだろうか。何よりこの話がママ友に伝わっていくことが怖い。

「先生、ご心配おかけします。特に何も変わったことなどありませんから、ユウトがもっとのんびりできるように、今度の週末、山の家にでも連れて行きます」

ケイコさんは、ゆっくりした口調で伝え、深々と頭を下げた。

帰る道すがら、ユウトがけがをさせたお友達にどうお詫びをすればいいかを考えながら、ケイコさんはだんだん担任に腹が立ってくるのを覚えた。

幼稚園の指導や教育の問題なのに、それを家族の問題にすり替えているのではないだろうか。自分たちの幼稚園教諭としての至らなさを親のせいにするなんて責任逃れではないだろうか。

この夫とやっていくしかない……

夫が入浴を終えるのを待って、ケイコさんは担任への批判も込めて言われたことを報告した。

夫はいつものように缶ビールを開けて、テレビのニュースを見ながらスマホをいじっている。いちおううなずいているものの、相槌を打つわけではない。ケイコさんの顔を見るわけでもない。

ケイコさんはそんな夫の姿に慣れているはずだった。体調が悪いときも特に気を使ってくれるわけではない。

休みの日の買い物には付き合ってくれるが、いつも車の中でゲームをしながら待っている。ユウトと遊んでくれるときも、いっしょにゲームをするだけで、ときには口惜しがってユウトとケンカになってしまう。

「ちゃんと話、聞いてよね。スマホやめて私の顔を見てくれる」

ケイコさんが声を荒げると、
「ごめんごめん、そんな感情的になることじゃないだろ」
「たいしたことないじゃん、よくあることだよ。俺なんてママにいつも苦労かけてたし」
と言う。

その言葉を聞いて、ケイコさんは怒るよりも体じゅうの力が抜ける気がした。

ユウトはケイコさんのことを「ママ」ではなく「おかあさん」と呼ぶ。ユウトが生まれた今でも夫が姑のことをママと呼んでいるせいで、家族のあいだでママというのは姑のことを指すようになっているからだ。

ケイコさんのマンションは夫の実家から徒歩5分の位置にある。夫の両親がケイコさんたちを近くに住まわせるために購入してくれたものだ。

夫は実父の経営する会社の専務であり、同族経営特有のゆるい仕事に携わりながら、同年代の男性よりはるかに高額な給与を得ている。

その恩恵を受けていることにはケイコさんも感謝しているのだが、息子に対してこれから先、どんな父親の姿を見せるつもりなのだろう、そう考えるとイライラや疑問ばかりが強まってしまう。

育児の方針に関しても、最後は「ママに聞いてみるよ」と逃げる。そのことを責めると逆ギレされたことが何度もあったので、今ではあきらめて触れないようにしている。

姑はまだ若々しく、ミニスカートを履いて、ゴルフ三昧になるにはもったいない年齢にもかかわらず、週の半分は車でゴルフに出かけている。

ユウトの育児に対しては、「専門的な知識だけじゃやっていけないんじゃない」などとそれとなく嫌味を言ってくる。

「ハヤトはほんとに素直な子だったわ」とユウトに言い聞かせるのが常だったので、ユウトは父親をパパと呼ばずに「ハヤト」と呼び捨てにするようになってしまった。

いつのまにか、姑が来宅したあとは、ケイコさんを激しい頭痛が襲うようになった。

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担任の言う「家族環境の問題点」を挙げ始めれば、もう限りがない。ケイコさんが努力して変えることができる部分など、ほんのわずかしかないのではないか。

夫は今の会社を辞めないだろう、そのままいけば後継者になるだろう。夫の両親は丈夫なので、ずっと長生きするに違いない。そうすれば夫は「ママ」に依存したままに違いない。ユウトにとって父親はあの夫であり、ことあるごとに「ママが……」「ママに……」と言い続ける姿を見本に育っていくのだ。

ときどき、ケイコさんはすべてを投げ出して家を出たくなる。離婚して、新しい人生を歩みたくなる。

でも、ユウトの姿を見ると、やはりあの夫といっしょにやっていくしかないのかと思う。とはいえ、夫の背後に数珠のようにつながっている一族のことを思うと深いため息が出るのも事実だった。そんなときは、ユウトだけが救いに思えた。

「ユウトは、おとうさんみたいにならないでね」「ユウトだけはおかあさんのこと、わかってくれるよね」、そう言って少し涙ぐむと、ケイコさんの目をみつめて、ユウトは真剣に「だいじょうぶだよ」とこたえてくれるのだった。

母親の孤独と「母子密着」

ケイコさんのような夫婦関係の女性は少なくないでしょう。その多くは、夫に不満を抱えながらも、さまざまな理由からあきらめたり我慢したりしているのが現状です。

経済力や子どもの年齢などの問題もあるでしょうが、「事態がよくなるようにまだまだ努力の余地があるはずだ」という気持ちもどこかにあるからでしょう。日常生活の忙しさにまぎれて、なかなか事態を突き詰めて考える時間がないことも影響しています。

こうして、言葉にならない不満や疑問、時には怒りといったものが少しずつ沈殿していきます。大切なことは、これらが時間とともに忘れられるわけではないということです。

記憶の世界に堆積しつづけて、何らかの拍子に、一気に思い出されるということが起きるのです。

そして、ユウトくんは、いったいどのような父親像を抱いて育つのでしょうか。子どもが抱く父親像はどのように形成されるのか、考えてみましょう。

同性の親が、子どもにとってもっとも大きなモデルになることは言うまでもありません。息子にとって父親が、こうなりたいと望むような肯定的モデルであることは望ましいですが、そのとおりにいかない場合もあります。そんなときは、叔父や祖父、ときには近所に住む親しい知人がモデルになることもあります。

ところが近年、親族との付き合いや近隣との交際の機会が減少することで父親以外のモデルの不在が生まれています。そうなると、どんな父親であるかということがきわめて重要になり、見方によっては一種のリスクの高まりともいえるでしょう。

文学などの創作やフィクションの世界にモデルを求められるようになるのは、小学校3年生以降だろうと言われています。

そうか、やっぱり「父親不在」が問題なのかと思われるでしょうが、今回はあまりにありふれたこの言葉をとりあげるわけではありません。

ケイコさんは、夫や「ママ」と呼ばれている姑のことを、どのようにユウトくんに伝えているでしょう。

誰にも言えない、沈殿するしかないような日々の負の感情や思いを、いろいろなことがまだ理解できないはずのユウトくんに、だからこそ安心して伝えているのではないでしょうか。

何もわからない、いわばイノセントな存在である子どもだからこそ、多くの親(特に母親)は恨みやグチといった、聞くに堪えない内容を吐露するのです。

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母から寝物語のように聞かされた内容は、子どもに大きな影響を与えます。母の言葉が世界そのものですから、それを信じるしかないのです。

母の言葉が相対化され、それ以外の現実があることがわかるのは小学校3年生を過ぎたころです。母の言葉が子どもの世界を作り上げるとすれば、父親のようになってはいけないと言われた男の子は、同性の親をモデルにすることを母から禁じられることになります。

それは同時に、「ユウトだけはわかってくれるよね」という、息子に対してケアの与え手や理解者役割を期待していることを意味します。息子はこうして「母親を守らなければ」と思うようになるのです。

それは義務感だけではなく、自分だけが母を理解し守っているのだという「選ばれた陶酔感」をもたらしますので、多くの子どもたちは、それを頼りに、それを唯一の親からの愛情や承認の証しとして生きるのです。

多くの孤立した母親たちは、自分に全面的な信頼感を寄せるイノセントな子どもによって救われます。

夫が理解してくれなくても、姑からどのように責められようとも、目の前の子どもだけは自分を信じている。こうして子どもは母親にとっての、もっとも忠実で裏切ることのない存在に仕立てられていくのです。

母親が不幸であればあるほど、その必要性は増すでしょう。知らぬ間に「救済者」「無批判な聞き手」の役割を与えられた子どもたちは、母から必要とされる存在として選ばれた陶酔感が、母からの愛情だと信じて成長するのです。

これを外側から見ると、「母子密着」だととらえられるでしょう。このレッテルを貼る前に、子どもにその責任はないということをわかってもらいたいと思います。密着をつくり出すのは親なのです。

「イクメン」は増えたけれど……

では、母親を中心とした、子どもがあたかも臣下であるような関係は、父親が育児に参加すれば防げるのでしょうか。

「イクメン」とは、「ワークライフバランス」のような、男性も仕事をするだけではなく育児に参加しようという政府の提唱から誕生し、全国的に広がった言葉です。地方自治体の男女共同参画センターでは「イクメン講座」などが開かれた時期もありました。

育児休暇を取る男性を増やそうという主張、休日には子どもと遊ぼうといったキャンペーンも展開されていますが、現実はそれからは程遠いことは周知のとおりです。

しかし街を歩けば、抱っこ紐で子ども連れている父親たちにはいっぱい出会いますし、父親がベビーカーを押したりする姿や、明らかに育児をひとりで担当している男性の姿も珍しくありません。これらは、私たちが育児をしていた1970~80年代には見られなかったものです。

イクメンが増えるのはたしかにいいことでしょう。それに、どこか気恥ずかしい気配を残していた男性の育児を、むしろかっこいいのではないかとファッショナブルに転じさせることができたのも意味がありました。

女性誌の一部では、都心の広大な公園でパパが子供と遊んでいる光景がグラビアを飾り、たいてい、傍らではモデルのようにスラリとしたママが足を組んでベンチでそれを眺めています。

もちろん、子どもに目もくれずに自分だけゴルフに行くパパより、子どもといっしょに公園に行って遊んでくれるパパのほうがいいに決まっています。育休をとれるパパはそれほど多くないでしょうが、育児に明け暮れる毎日の大変さを経験することは、宇宙旅行よりも大きな経験になるはずです。

でも、それだけでは不十分ではないでしょうか。

イクメンが引き起こす「育児の覇権争い」

もともと育児のほとんどを担っている母親と父親との関係がどうなのか、父親の育児参加に対して母親がどう感じているか、が大きな要素となるからです。

ときどき気まぐれに、「イクメンだよ」と言って育児にかかわられても、母親としては迷惑かもしれません。たまに手伝うくらいで大きな顔をしないでよ、と反発する母親もいるかもしれません。

イクメンといえども、妻(母親)に対して威圧的だったり、子どもをめぐって妻をバカにしたりという態度と無関係ではありません。「育児の覇権争い」(父と母が、どちらが正しいかを競い、たがいに批判しあう)が起きてしまうとしたら逆効果でしょう。

母親と父親の関係が、否定し批判し合う関係ではなく、尊重し合っているかどうかという視点を抜きにしてイクメンを持ち上げることは、いくつかの危険性をはらんでいます。

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もっとも多いと考えられるのは、いま述べた「育児の覇権争い」です。母と父(妻と夫)のあいだに競い合いが生まれる危険性です。

「今までこうやってきたのに、口を出さないで」
「休みの日だけ勝手に子どもをいじっても、どうせ最後は私がやらなきゃならないんでしょ」

こう言ってかえって妻のほうがイライラしてしまったら逆効果ではないでしょうか。中には「やっぱ、パパのほうがいいんだよね」と子どもに語りかけ、妻をむっとさせる夫もいるでしょう。

そんな様子を察知してすかさず、「ママってこわいよね~」と子どもを取り込み、「ママよりパパのほうが好きだよね~」とダメ押しをするのです。そんな夫の態度は、果たして育児の助けになっているのでしょうか。妻はますます不機嫌になり、子どもにもあたりかねません。

このように、育児をめぐって父と母が対立し、互いに子どもを取り込もうとすることは、子どもにとっては決してうれしいことではありません。

自分をめぐってパパとママが言い争いをしているのですから、ひとこと「うん、パパのいうとおりだよ」とでも言おうものなら、母親は自分を裏切り者という目で見るでしょう。もちろん、逆も起こります。

子どもたちの多くは、そんな空気をいち早く読み、ひたすら沈黙し、どちらにもつかない態度を示すしかないのです。両親の平和がそのまま自分の平和につながるのですから、そうするしかありません。

このように、イクメンがそのまま両親(夫婦)間の平和につながらないということは、自覚されるべきでしょう。

子どもは「仲間はずれ」でもいい

子どもの視点に立てば、主たる育児者をもういっぽうの親は尊重し支えなければならないということが見えてきます。

両親ともに働いていても、やっぱり母親が中心の育児であれば、父親はその補助・支援者の役割に徹するべきだということです。

時間もないのに、イクメンだからと主導権を握ろうとすれば、それは子どものためにはならないでしょう。むしろ自分の力を示すためのものになってしまいます。

極論すれば、母親にとっては、口も手も出さずに無関心なままでいてくれたほうがいいということにもなりかねません。時間と労力を使いながら、あくまで妻の方針を尊重すること、これがイクメンの正しい姿でしょう。

どうしても目に余る妻の育児態度があるとしても、それは子どもの前で指摘しないで、二人だけのときにやんわりと妻が傷つかない言葉を使って説明し、説得するべきでしょう。

ケイコさんの例は、母と子と父が、二対一になっていました。夫婦の不和の多くは、「母子」対「父」という二対一の構図を生み出します。

イクメンの例では、子どもをめぐる覇権争いでしたが、これも二対一(母子対父、または父子対母)であることに変わりありません。

大切なことは、父と母が二になるべきで、子どもは一でいいということです。子どもが仲間はずれになったと感じたとしても、母と父が二人でチームを組んでいるほうが、前述の二対一よりもはるかに望ましいといえます。

月並みな結論めいていますが、夫婦が仲がいいこと、二人が連携をとって主たる育児者を尊重する態度を示すこと。

これがいわゆる「母子密着」といわれる状態、それがもたらすさまざまなリスクを避けるために必要なことだと思っています。

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