情報も国土も外国に買われまくる日本が今すべきこと

情報も国土も外国に買われまくる日本が今すべきこと

  • JBpress
  • 更新日:2021/04/08
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(朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)

個人情報漏れのニュースが止まりません。

本稿を執筆している4月5日朝のニュースによれば、Facebookの5億人以上の個人情報がインターネットで閲覧可能な状態になっていたとのことです。報道によれば、過去に流出した情報が再度閲覧可能な状態になっていただけのようですが、どこか寝覚めの悪さを感じざるを得ません。

また、先月には、LINE利用者の個人情報(LINE Payの取引情報などの企業情報を含む)が中国の関連企業から閲覧可能な状態にあったことが発覚し、国を挙げての大騒動となりました。中国では、法律上、国民や企業が国家の諜報活動に協力する義務があります。具体的な漏洩は確認されていないといいますが、仮に実際に中国政府に漏れていたとして「はい、そうでした」と先方が言うわけもなく、背筋が寒くなる状態にあったことは確かです。

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3月23日、LINE利用者の個人情報が業務委託先である中国の関連企業から閲覧できる状態だった問題に関して記者会見に臨んだ出澤剛LINE代表取締役社長CEO(写真:Motoo Naka/アフロ)

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プラットフォーム企業による個人情報収集、もはや個人では対抗しようがない

言うまでもありませんが、現代は「情報の時代」だと言われています。特に、個人情報などの各種データは、業界筋では、かつての石油にもたとえられるほど貴重な資源となっています。20世紀初頭には、主に燃料としての価値が見込まれていた石油も、その後、精製されてのガソリンや軽油などの主に燃料としての用途のみならず、ナフサから様々に加工され、プラスチック製品からゴムや衣料など、現代生活に欠かせない資源となりました。当初の想像を超える展開です。

同じように、「現代の原油」ともいうべき各種データも、今はマーケティングの道具としての活用がメインですが、今後どのように「精製・加工」されて発展して行くのか想像がつきません。いわゆる「フィルターバブル」などといった象徴的な言葉が世上飛び交っていますが、すでにわれわれはかなりのレベルで「見たい情報」を把握され、情報をコントロールされているとも言えるのです。スマホ・PCなどのデバイスを通じた情報によって、今や企業側に「売りつける商品・サービス」どころか「人格」そのものを作られてしまっているという側面すらあります。これは一種の「洗脳」と言えなくもありません。であれば、ますます統制が精緻化する中で、企業が個人からお金を吸い上げることがどんどん容易になって行くと言えます。

石油資源を巡って国際社会が紛争・戦争を繰り返してきた歴史はここで強調するまでもない事実です。同様に、やや極端かも知れませんが、今後、「データ資源」を巡って国際紛争が起こることも考えられます。そのような貴重な「(データ)資源」獲得に関して、少なくとも水面下では、「米中の覇権争い」という形ですでに激しい争いが繰り広げられています。ところがその状況に対して、私も含めた日本人は、現代社会を普通に生きている過程で、正直に言えば個人レベルでは全く対処のしようがない状況にも見えます。

LINEやFacebookは本当に安全なのか

例えば私自身のことを言えば、経産省在職中から現在まで、LINEについて、報道ベースではあり真相は不明ですが、同社の韓国政府へのバックドア疑惑などが良く取り沙汰されていたこともあり、多少の不便はあるが、自衛も兼ねてLINEは利用したことがありません。

一方でLINEは、今や日本人の情報インフラを形成している感もあり、実際に個人的に色々なチャンスを逃していると実感することもあり(例えば本来は入れるLINEのグループに入っておらず、主体的に関わりたいと感じている当該サークルから結果として疎外されています)、早晩、使わざるを得ないような直感があります。

最近、日本のヤフー株式会社(Zホールディングス)と経営統合したLINE株式会社ですが(統合会社のZホールディングスやその親会社のAホールディングス、さらにその親会社の韓国NAVER社やソフトバンクの資本関係はかなり複雑なので詳述は避けますが)、上までたどれば日韓の対等合併であると言えます。あくまで仮定の話ですが、仮に韓国政府と何らか繋がっている可能性がある同社の韓国人幹部・スタッフがいるとしたら、彼らが完全に利用者の個人情報を見ないように防ぐ手立てはないでしょう。

もちろん、幹部・スタッフが買収等されるリスクはメンバーの国籍を問わずにあり得る話ではありますので、幹部やスタッフが日本人だとしても完全にリスクフリーとはならないわけですが、一般に、重要な情報インフラであればあるほど、海外勢は必死になって、民族や家族の伝手をたどって(血縁や地縁を駆使して)何とか急所に近づいて探りにくるのが常道です。外国資本・外国人に支配されていればいるほど、より、その国家的・社会的リスクは高まるのです。そんな中、特にLINE株式会社は、日本企業の仮面は被りつつ、資本関係はもちろんのこと、実質的に韓国人(特に表面上No2の慎ジュンホ氏が事実上の社長であるとの声も聞かれます)が支配してきたとも言われています。

今回の騒動でも、お詫びの会見に登場したのは3人とも出澤剛社長をはじめ日本人幹部であり、同社のホームページに主要役員として出てくる約半数の韓国人たち(12名中6名。それぞれ、表面上の序列としては、2・4・5・6・7・12番目の表示と中枢を占めています)は、悪く解釈すれば、「表に出て来てのお詫びを日本人幹部に押し付けて裏に隠れた」と見えなくもありません。仮に、日本社会の反発を慮っての「作戦」だとすると、より悪質との感も拭い得ません。

自国製プラットフォームを持たない怖さ

話が少し逸れましたが、まあ、まだ私は今や一民間人だから良いのですが、正直、少なくない政治家や官僚が、結構重要なやり取りをLINE上でしていることを横目で何度も見て来たことと併せて考えると、この事故(事件?)にはかなりの危機感を覚えています。いまだ日本の中枢を占めている高齢の政治家はスマホやSNSを使いこなしていないため、結果として重要情報の漏洩リスクから遮断されているとも言えますが、今後はそうは行かないでしょう。現代の20代以下の日本の若者には、LINEを使っていない者はほとんどいないような状態です。

すでに、素人から見ると何とも不思議な形で、著名人や政治家などの要人のSNSでのやり取り(特に異性関係)がメディアに漏れて失脚するケースが散見されます。もしかすると今後は、例えば有望な若手政治家が国益のために中枢で活躍しはじめた途端、過去の妙なプライベート情報が漏洩し、売り上げアップしか考えない国賊的雑誌に売り渡され、表面化して炎上して、当該政治家が失脚しないとも限りません。こんなことは諜報の専門家でなくとも、相手国を陥れる上で容易に思いつく作戦です。

話を元に戻しましょう。上記のような警戒感もあって事実上の「国民的情報インフラ」とも言うべきLINEを利用していない私が、何とか現代日本で生活できているのは、主にFacebookのメッセンジャー機能で連絡調整を代替しつつ知人との連絡を取り合っているからです。そのFacebookからも冒頭に述べたとおり情報漏洩が起きており、真相は分かりませんが、少なくとも可能性としては、米国政府にも情報が抜かれていることを覚悟しなければならないとすると、これはもう個人情報が海外に渡るのを防ぐことが出来ません。

さらにデバイスがApple製のiPhoneだったり、使っているメールや検索ソフトがGoogleだったり、主な物品購入サイトがAmazonだったりすると、上記のFacebookと同様に、各社のスタンスに程度の差こそあれ、情報漏洩や米国政府によるデータ獲得リスクからは免れ得ないと思われます。そうなってくると、それはもう、生活の中で、韓国や中国にデータが漏れるか、アメリカに漏れるかの差であり、そうした究極の選択の中で、私はFacebookをある意味、「仕方なく」選んでいるわけです。

私はかつて経産省在職中、ペルーのフジモリ大統領来日に関する調整をしたことがありました。ちょうど2000年に差し掛かる頃でしたが、ペルーのナショナル・フラッグ・キャリア(自国の航空会社)の「アエロ・ペルー」という航空会社が運航停止になってしまった直後のことでした。他国の航空会社を使わざるを得なくなったフジモリ氏が、ファーストクラス搭乗その他に関して利用予定のチリの航空会社の融通が利かないことを嘆いていたことを耳にしました。搭乗中の通信その他、様々なリスクなども勘案して、やはり自国の航空会社はあった方が良いことを痛感しているとのことでしたが、当時の私はJALとANAを擁している日本としては考えられない悩みだと「他人事」のように感じたことを思い出します。

しかし、今や日本は、データに関しては、当時のペルーと同じ悩みを抱えるに至ってしまったと覚悟するしかないようです。

GAFAによる世界の支配

ここまで、SNSのプラットフォームを押さえることですべての情報を押さえられる巨大IT企業の強さ、逆に言えば、そうした企業を抱えていない国家の課題について述べてきました。その悲哀は今や、自国民の貴重なデータが勝手に利活用され、結果として国富が吸い取られていること、あるいは重要情報が意図的に漏らされてしまうことのリスクにとどまらず、関連のサービスや、社会の規範まで握られてしまうという状況にまで発展しています。

先日、日本のあるアプリ開発企業の方と意見交換していた際、こんなことを言われました。

「朝比奈さん、今や、何か開発する際に怖いのは、日本の当局以上にAppleですよ。特にPCではなく主にスマホを介してサービスを提供しているゲームの開発業者などは、Appleに止められたら『商売あがったり』です。日本社会の基準に照らして問題がない暴力や性の表現でも、彼らが『問題あり』と判断してサービス提供を止められてしまったら、全く抵抗できません。今や社会規範を実質的に作っているのは、日本政府や日本社会以上にAppleになりつつあります」

人気ゲーム「フォートナイト」を提供する英エピック社が、Appleがアプリ開発者に突き付けている同社の決済システム利用義務や30%の手数料を不当だとして戦っているニュース、あるいは政治行政の世界では特に有名なトランプ前大統領のアカウントをTwitter社が問題ありとして凍結してしまったニュースなどは仄聞して知っていました。大統領の影響力ですら、一企業が情報プラットフォームから遮断してしまうことで削ぐことができると世界に知らしめたのは確かです。ただ、しかし、ここまで様々な産業のサービスのあり方が、わが国のそれも含め、GAFAに代表されるプラットフォーマーと呼ばれるデジタル関連企業にガッチリと握られていることは、正しく理解できていませんでした。物凄い影響力です。

今や、社会規範のルール化についても、これまでの例えば立法府や行政府を中心とした審議や投票による明文化プロセスより、これらプラットフォーマーによる契約での縛りの方がより大きな意味を持ちつつあります。自戒を込めて言えば、世の中の「仕組み」を作り、動かしているのは政治行政だと本能的に感じてしまっていたという、ある種の思い上がりや誤解を反省するしかありません。

本来は、「データ漏洩を防ぐ」などと言うレベルを超えて、国家的には、いかにデータそのもの、あるいはその基盤となるプラットフォーマー企業を押さえるかということが大事なわけですが、日本の政治も行政も、そしてグローバルに奮闘する大企業も、こうした問題意識くらいは何となく持ってはいても、正直、ほとんど有効な手が打てておらず、主には手をこまねいて国富が減退するのを黙ってみているしかないのが実態と言えます。

かつて、例えば17~18世紀は「砂糖の戦略的国際商品化の時代」でした。正徳の治と呼ばれる時代に、江戸幕府の実質的に宰相とも言える立場で政治を担った新井白石は「毎年海外南地より砂糖の渡り来たり候事おひたゝしく候。もとより下直の物に候へとも、わが国の貨をその代として渡し候事も、年を積み候へはおひたゝしく、ついには六十余州通行の貨を滅し候事に候」と書き残しています。要するに、重要資源を海外勢に押さえられ、財貨が流出してしまうことを「日本中の通貨がなくなってしまう」と大げさとも言うべき言説で警戒しています。ある意味、事態を正しく恐れていたと言えます。

こうした危機感をもつ為政者を基本的には連綿と持つことのできた我が国は、その後の長い歴史の流れは割愛しますが、最終的には台湾を領有することなどにより、戦略商品たる砂糖を完全に抑え、むしろ輸出することに成功しました。

当時の砂糖が現代の「データ」だと考えると、ついには「六十余州通行のデータ」が流出してしまうのは容易です。果たして今からでも日本に「勝ち筋」はあるのでしょうか。私ならずとも、多くの日本人が危機感を感じるだけでなく、対応を考えなければならない課題です。

外国勢の土地取得や企業買収についての危機感~幕末維新時との比較~

以上、主にデータやプラットフォーマー企業に関する国際的な状況を眺めつつ、日本の危機に関して書いて来ました。いまさら告白するまでもありませんが、私自身、インターネットの世界で起こっている現実について専門的に知悉しているわけではありません。また一般的な意味でも、先述のとおり、現在はいわば個人情報(≒石油)でいえば黎明期であり、「これから原油がポリエステルに変わって行く時代」と示唆したとおり、現時点では、まだ、このデータやプラットフォーマーを巡る動きの展開については、正確には先が見通しにくい状況です。したがって、真の意味で正しい危機感が持てるかについては、私も日本社会も正直、覚束ないところがあります。過度に恐れているのかも知れませんし、恐れ足りないのかも知れません。

ただ、リアリティを持って先が見通しにくいデータの帰趨以外の部分ならずとも、すなわち、よりタンジブルな明確なものに関しても、日本人は最近、全体的に原初的な警戒感や危機感に乏しいと思わざるを得ません。例えば、「日本の土地は中国勢に買われても、中国の土地は買うことが出来ない」という基本的なアンフェアな状況についても、「海外から投資してもらうことは良いことだ」という、ある意味でナイーブな極端な言説だけが重視されてきた感があります。

土地に関しては、特に、各地域での外国勢による基地周辺の土地の買い占めなどで危機感が高まり、ようやく先月、いわゆる「重要土地等調査法案」が閣議決定されました。注視区域についての土地所有の調査や、特別注視区域についての取引の事前届け出制が導入される見込みですが、正直、公明党からの反発などで、当初案からは緩まった印象もあります。

また、昨今、三洋電機の白物家電事業(ハイアール)や、東芝のテレビ事業(ハイセンス)などから、キラリと光る技術を有する中小企業に至るまで、中国勢による日本企業の買い漁りが話題になっていますが、逆はあまり聞きません。技術流出の危機感の高まりもあってようやく、昨年、改正された外為法や関連政省令・告示が施行されましたが、どれほどの歯止めになるでしょうか。

本来、最近は、むしろ例えばIT技術に先行する中国企業の買収を日本企業が考えても良い局面ですが、ほとんど耳にすることはありません。有名な深圳地区でのスタートアップ投資にしても、米国のベンチャーキャピタル(VC)が深圳の中国のスタートアップ企業に投資している例は枚挙にいとまがありませんが、日本のVCがそういう展開をしているという事例は寡聞にして殆ど聞いたことがありません。

この点に関しては、中国側が共産党政府の下でガッチリ守っているという体制の問題もさることながら、かつての日本人や日本政府から見たら嘆かわしく思うようなマインドセットの差が如実に出てしまっている感じがします(要は、日本人や日本企業の多くが待っているだけで攻めて行かない)。中国のみならず、対米国でも、インドや東南アジア諸国に対しても、受け身だからです。いずれにしても、「投資してもらうことは良いことだ」という、どこかの途上国が貧困を脱するために切望するようなレベル感だけで物事を判断するのは危険だと感じます。アンバランスな状況を前に、奮起しなければならない状況ではないでしょうか。

以上、ここまで、情報(個人データなど)の貴重な「資源」獲得競争に加え、その実質的支配をする企業や開発者の取りあい、はたまた、より直接的で見えやすい土地の取りあいや先端技術の取得合戦に関し、長々と述べてきましたが、結論的には、日本人も日本企業も日本政府も、少なくとも国際的な感覚からは危機感が薄いと思わざるを得ません。いかに危機を早く察知して、迅速に対応・行動するかは、国家や組織が基本的に取るべき姿勢です。昔は全て良かったというつもりはありませんが、かつての日本は明らかに今とは違っていました。

今から150~200年ほど前の日本人は、外国勢が日本近海に近寄ってきているという状況や(1792年や1804年のラクスマンやレザノフといったロシア船の来航)、長崎でちょっとした乱暴狼藉を働く(1808年の英国船のフェートン号事件など。オランダ商館員を人質に水や食料を要求)といった事態に、危機感を抱き、異国船打ち払い令を出したり、逆にアヘン戦争での清国敗北の報への恐怖から、薪水給与令を出したりした。極め付きは、必ずと言って良いほどに皆が学ぶペリー来航とそれを引き金とした最小限の開国ですが、幕閣は、悩みながらも、海外勢を正しく恐れ、攻め取られることを警戒しつつ、ある程度の抵抗もするなど、ギリギリの外交を繰り広げていたと言えます。

ちょうど昨日(4月4日)放映されたNHK大河ドラマ『青天を衝け』では、渋沢栄一やその仲間(当時、武州の農民)レベルの民衆ですら、尊王攘夷の思想に影響されて決起することが示唆されていましたが、海外勢による日本への進出・租借地などの取得を、国を挙げてかなり警戒していたことは間違いありません。

現代で言えば、例えば香港を横目にみて、「アヘン戦争で香港がイギリス領になったが、一寒村にすぎない同地が独立は保ちつつも貧しいままでいるのと、植民地にはなるものの経済的に物凄く繁栄して豊かになるのと、香港の人々にとってどちらが良いであろうか」という大議論が生じても不思議はないわけですが、「とにかく外国勢は入れない」という過激な攘夷思想が国を覆っていました。貿易面での健全な開国論は多少ありましたが、「排外」ということについては、国民的には、ほぼ議論の余地がなかったと考えてよいでしょう。

こうした「熱病」のような尊王攘夷の世論は、後世から見れば、大いにバランスを欠いていることは確かです。所詮、当時の欧米勢とまともに戦って勝つ可能性は低く、実際にその後の歴史の経緯を見れば、元々は「今の幕府では攘夷はできない」と真の尊王攘夷の実現を掲げて決起し維新を起こした勢力が、何とその後明治政府を成立させた後、自ら洋装をして開国してしまうという皮肉な結果に陥ることになります。かなり極端な間違った議論と、それに基づく命がけの実際の行動を多くの「志士」たちが展開していたことは間違いありません。

しかし、こうした過敏とも言える海外勢への対抗意識や警戒感が、維新後の富国強兵や殖産興業の原動力になっていたこともまた事実です。つまるところ、異なるものを受け入れるという受容性と異なるものを警戒するバランスが、社会としての健全な成長を促すというのが歴史の教訓だとも感じます。その点、現代は、あまりに警戒が薄れてしまっているのではないでしょうか。逆の意味でバランスが悪いと思わざるを得ないのです。

今われわれにできること

「先憂後楽」という言葉があります。君子たるもの、人より先に世の中を憂いて、楽しむときは人より後に楽しむという、「後楽園」の元になった言葉です。仮に上記の私の言説が正しいとして、今の日本の状態を早めに憂えたとして、われわれに何ができるでしょうか。もはやGAFAや中国勢に立ち向かえない以上、「せいぜい情報を取られないようにするため、彼らのサービスはあまり使いません」というごくささやかな抵抗しかできないのでしょうか。

私が10年前に立ち上げ、現在11期生を募集している青山社中リーダー塾(https://aoyamashachu.com/leader/)では、こうした「答えのない問い」について、果敢に挑戦する者の育成を目指しています。思えば、これまでの戦後の日本の教育では、「正解」があってそれを確実に理解して提示できる教育ばかりが行われてきました。本来「学問」(=問いを学ぶ)をするべきなのに、答えのある「勉強」を中心にしてしまったのです。

こうした答えがない問いに果敢に挑み、実際に行動する者を私は「始動者」と呼んでいます。そして、私がハーバード大行政大学院(ケネディスクール)などで、まさにハーバードが看板に掲げて注力して教育している「リーダーシップ論」を学んだ結論としては、リーダーとは「始動者」にほかならず、「指導者」は私の認識では「誤訳」です。指で他者を導くのは真のリーダーではありません。自ら道を切り拓いて進む者こそがリーダーの原義なのです。

かつて、自動車産業でも家電産業でも、絶望的に欧米から遅れをとっていた日本ですが、井深大、本田宗一郎、豊田喜一郎、松下幸之助といった「リーダー」たちは、諦めることなく、果敢に挑戦して「世界を獲りに」行きました。幕末維新の志士たちは、初めて見る欧米諸国の文明に文字通り圧倒されながらも、「欧米に対する我が国の遅れは40年に過ぎない」(『欧米回覧実記』:久米邦武)と、本来は絶望的な遅れに感じる差をむしろ「追いつけるもの」として認識して、実際に追いつきました。それに比べれば、現在のわれわれが置かれている状況は、はるかに恵まれてはいないでしょうか。

最近は、リーダー塾生たちからも若き起業家たちが多数出て来ており、フィンテックやMaaS、リビングテックといった分野で頑張り始めていますが、奮起を期待しています。

個人として、あるいは集団として、国や社会を意識して始動する集まりを意識していますが、現在は、見方によっては、幕末や戦後の動乱期とも似て来ています。危機感の高まりの中で、例えば、幕末には、松下村塾、適塾、致遠館などの多くの私塾や藩校が生まれ、社会を作る原動力となりました。多くの真のリーダーが、正しい危機の認識の中で生まれてくることを願っています。

朝比奈 一郎

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