
鈴木涼美さん
作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。
Q. 【vol.2】美容医療に手を出したいが、気になる箇所だらけで、どのようにお財布と折り合いをつけるべきか悩んでいるワタシ(30代女性/ハンドルネーム「おでんOL」)
年齢的にもそろそろ美容医療(注射を打ったり糸で引っ張ったり)に手を出したいのですが、一度始めたらやめられなくなりそうで悩んでいます。20代の頃とはちがい、気になる箇所だらけで、やろうと思えばどこまでもお金を使えてしまうなか、どのようにお財布と折り合いをつけながら老いと向き合い、美容医療にお金をかけていくべきでしょうか?
A. 計画性は持たないでいいかも。
先日、何年も前から肩にボトックスを打ちに通っている美容皮膚科の先生に、初めて肌にハリを出すためのハイフと水光注射を勧められて、え、そんなに老け込んだのか私は、と重く受け止めました。というのもその先生は私のキャバクラ時代のお客である産婦人科の名医が紹介してくれた、美容系のクリニックにしては珍しくあんまりいろいろな施術をしないほうが良いと言ってくれる良心的なお医者さんだったからです。三十歳くらいから通っているのでもう十年近いのですが、昔は待合室のメニュー表などを見て「こういうの気になる! これやったらきれいになれますか?」とかいろいろ聞いても、「まだまだ必要ないよ、それはもっと年齢が上の人がやるやつ」と良い意味で取り合ってくれなかっただけに、多分本当に必要だと思ったのだろう……と帰り道は暗い気分でした。今まで唯一勧められたのは鼻の近くのホクロをとる、という二千円くらいの治療だけだったのに。
「生きていくことはごく自然に傷むこと。でも、それが苦痛や後悔として積み上がる仕事が、年齢を重ねるほど苦しい」とは不倫中の女優を描いた島本理生さんの小説『憐憫』の中の言葉ですが、女優でなくともかつて持っていたものが年齢とともに削り取られていくような感覚は多くの大人女性が感じたことのある感覚ですよね。もちろん、積み重なっているものも新しく得るものもあるのでしょうが、二月に親しい友人が産んだまだ一歳に満たない小さな女の子の肌や身体と自分のそれらとを見比べると、いかに自分が傷んできたかを実感します。
現在ではちょっとした整形から美容医療などが比較的どこでも気軽かつ安価に受けられますが、私は特に何も不調を抱えていなかった二十代前半のほうが、今思えば無駄なほど美容にお金と時間をかけていました。とはいってもどれも中途半端で、SNSでよく見る、20キロ痩せて人生変わった、とか、200万円かけた顔のビフォアアフター、みたいな次元で見た目が変わったことはありません。今は美容院もネイルサロンも最低限しか行きませんが、当時は雑誌で見た眉毛サロンに行きたいとか、ホテルのスパでトリートメントを受けたいとか、台湾で美容鍼を受けたいとか、そういうちょっとした美容体験を繰り返していました。スパでボディメイクをした直後に海に行って死ぬほど煙草を吸いながら日焼けして海の家で飲んだくれる、というような元来意識低い系の生活をしていたので、プラスマイナスで言えばマイナスのことのほうがきっと多かったかもしれません。
あの頃の私に、「エステなんて行かないでいいし、高い化粧品も買わないでいいから日焼けと煙草をやめて勉強して運動してよく食べてよく寝ろ」と言いたいですが、人生ってわかっていても変えられないことのほうが多いので今も夏になると血が騒いでうっかり水着の跡をつけちゃうし、煙草もやめてないし、睡眠も不規則で短いままです。
要は二十歳前後というとまだ自分の形も大して把握しておらず、今よりちょっとイイ女になりたいという願望だけがあって自分に本来的に何が足りていないかよくわかっていないので、とりあえずいろいろかじって大人気分を味わい、昨日より一ミリほどイイ女になったという幻想を糧に生きていたわけです。効果としてはそもそもまだ傷んでいないのだから、別に何もなかったけれど、あの時、たとえばおしゃれな一軒家サロンで初めて足の甘皮ケアをした時や初めてフェイシャルマッサージを受けた時に得た、これで私もいっぱしの女という若さゆえの愚かで幸福な気分はプライスレスと言えばプライスレスでした。
さてそんな二十歳そこそこの頃から二十年近くたち、あれをやっておいてよかったな、と思う美容や買っておいてよかったなと思う化粧品など一つもありません。脱毛は多くの人が割と後悔せずに経験している美容の一つだと思いますが、私はもともと毛が極端に細くて薄いためレーザー脱毛には向かず、今も細かい毛は生えてくるし、免税店に寄るたびに大量に買っていた化粧品は当然一つも残っていないし、そもそも毎年新しいエステの機械や新しい化粧品の成分が流行する中で、あの時代にあれをやっていた人は救われる、というようなことは起こらない。その頃からずっとハトムギ化粧水とヘチマコロンしか使っていない友人のほうが肌はきれいだし、ピンヒールばかり履いてタコだらけの私の足と比べて、おしゃれより運動派でずっとスニーカーを履いていた友人の足は白くてシミも傷もありません。
当然、二十代の頃とは違い、今の私は良心的な美容皮膚科医が見かねるほど肌が疲れているのだろうから、美容に多少の時間やお金をかけることは無駄ではないんでしょう。ただ、全く必要でない頃にさんざんいろいろやってきたことで、そういうことへの興味が良くも悪くも減退している私は、同年代の友人たちにあれこれ勧められてもかなり渋い反応しかしなくなりました。もともと女子たちが元気な消費主体としてなんとなくイイ女になるための資本主義の魔法を試すことは好きなので、友人たちがどんなに怪しげな美容法を試していたり、ものすごく高額をかけたりしていても別にそれが無駄とは思いません。しかし自分の腰は余程のことでないと重くて上がりません。
余程、とはこの場合、やっていて楽しいとか気持ちいいとかそういうことです。たとえば私はピアスや刺青が好きだったせいか、肌になんかを刺すのは全然苦痛ではなくむしろ好きなのでビタミン注射や肩凝り注射は、半分は刺すのが気持ちいいからという理由でたまに受けます。化粧品は長く同じものを使うとか運命のものを探すという考えは一切なく、買い物を楽しめる範囲で旅行の時などたまに大量に買ってそれを消費する日々です。匂いがいいとか広告が素敵だとかそんな理由で選びます。ピーリングやハイフなど、定期的に受ければきっと肌艶などがよくなると聞いても、そんなに楽しくなさそうというか、やっている気持ちのよさより効果や将来的な負担減を謳うものにはあまり食指が動きません。その代わり、リンパマッサージや温泉は好きだし、スリランカまで行ってスパでアーユルヴェーダを受けるみたいなことは今もします。
どんなに苦痛な美容法でも、十日で葉月里緒奈の顔になれるとか、篠原涼子のようなさばけたイイ女になれるとかならいくらでもしますが、たぶん資本主義社会がくれるのはそんなものすごい魔法ではなく、ちょっとよくなった気がする程度の小さな幻です。その小さな幻が今の自分にとって大きな幸福になる場合はいくらでもしたらよいけど、三年後のお肌のために、とか、若い時に比べてシミが目立つから消さなきゃ、とか計画や義務を感じる必要はないと私は思います。旅行は目的地よりも、その道行きこそが魅力と思っているのですが、美容もビフォアアフターの目的よりも、最中の幸福を大切にしたい。あとはせいぜい、美容に詳しい友人やその業界の人に聞いて信頼できる医者を一人見つけ、その人が絶対におすすめということだけする、とかでも現実的だと思います。私はまだ良心的な美容皮膚科医に答えを伝えていませんが。
生きていくことが自然と傷むことであることが自明で、若い時に比べれば傷や弛みがあることは当たり前、とはいえ、年を重ねたおばあちゃんの手こそ美しい的な論理で荒々しい現代の東京を生きる現役アラフォー世代は納得しません。年を重ねるのは喜びです、小さな傷や弛みも色気に、みたいなことを言ってた美人女優がいましたが、ただでさえ多くの人は美人女優ほど美人じゃないので、傷や弛みなんてないほうが良い。しかし、特に一部男性に根強い若さ信仰も手伝って、若さと張り合っているととても疲れる上に、気づくと整形お化けみたいな怖い美魔女になっていた、なんてこともありそうで、うーん、それも私の求めてることじゃない、というのが多数の本音のような気がします。美容に気合を入れるよりは、若い子が買えない高級スーツを着たり若い子が行けない高級鮨屋に通ったりして、「お嬢ちゃんたちにはまだ早いよ」と言えるような、何様な大人女性にギアチェンジしたほうが自尊心は守られるのでは、と思う今日この頃です。
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●鈴木さんからのメッセージ
私は結婚もしていないし子供もいないし仕事も不安定で、地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
鈴木涼美