「イスラム教徒になったのかよ?」 福島第一原発潜入取材に向けた”猛烈ダイエット”の記録

「イスラム教徒になったのかよ?」 福島第一原発潜入取材に向けた”猛烈ダイエット”の記録

  • 文春オンライン
  • 更新日:2020/10/18

30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、福島第一原発(1F)の潜入取材に向けて、虎の門病院で自己造血幹細胞の摂取と冷凍保存をして、放射線被ばくの症状に備えるのだった。『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の2回目/後編に続く)

【写真】造血幹細胞薬剤、原発作業員用・保険請求付加の文字が見える

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(著者提供)

◆◆◆

作業ができない体

心情的には谷口に共感しながらも、はっきりした確証がもてないまま、血液検査が始まった。担当医となった山本久史医師はやせこけた頰の細身で、谷口とは正反対の意味で不健康そうだった。

山本は採血や各種診断の結果を見て唸った。

「血圧が高すぎです。これはもう高血圧です。これまで薬を飲んだりしていましたか? あと、俗にいう悪玉コレステロールの値も、尿酸値も高い」

自覚はあった。この年の2月から、東京・御茶ノ水にある東京医科歯科大で歯の治療をしており、担当になった研修医から「この血圧では歯を治すより内科に行くべきです。このままでは使えない麻酔もある」と指摘されていたのだ。

山本が続ける。

「原発作業員のことは分かりませんが、要治療のレベルです」

「だったら治療したいです。でも、会社からはなにも言われていません」

改めて会社に確認したが、健康診断は不要だと言われた。健康診断を受けるよう私が求められたのは、造血幹細胞を採取し終わり、勤務まであと2週間を切った頃だ。

「タバコは吸いますか?」

「毎日3箱くらいです」

「お酒は?」

「基本、下戸なんで晩酌はしませんが、月に一、二度、浴びるほど飲みます。記憶ないです」

「睡眠時間どのくらい?」

声が小さい山本は、耳を近づけないと聞こえないほど消え入りそうな小声で訊いてくる。噓をついても意味がないので正直に答えた。

「たいてい朝寝て昼起きます。取材がある日は徹夜です」

「……鈴木さん、この体では作業ができないかもしれませんよ」

山本は神経質そうな表情で頭を抱える。眉間のしわが深くなり、ため息が漏れる。

「大丈夫です。鍛えます。運動します。ダイエットもやります」

血圧を下げるためアムロジンという薬が処方され、毎朝2錠ずつ服用するよう言われた。その日から食事制限と運動を始めた。徹夜だろうと朝8時には起床し、毎日2、3時間の散歩をして、調子がよければ軽く走る。雨の日は室内で腕立てや腹筋を1時間ほどして汗をかき、朝食はレーズンパン1個と牛乳、昼食は大盛りを避け好きなものを食べ、夕方以降はなにも口にしない。タバコは一日1箱まで。酒はやめた。

「イスラム教徒になったのかよ?」

友人にからかわれた。

「いやさ、俺、原発行くんだ」

「なに? 原発って福島か? 取材許可下りねぇだろ」

「そう。だから就職した。一応、勤務は1カ月後だけど、はっきり決まってない」

「馬鹿じゃねぇの、正気か? お前は暴力団だけやってりゃ食えるじゃん」

「最初は暴力団取材だったんだよ。成り行きでこうなったっていうか……気分転換もしたかったし」

「お前はよくても家族が心配すんだろ?」

最後の問いかけには、後々までイライラさせられた。その後も様々な人―その多くは同業者たちから、同じ質問を繰り返しされたからだ。1Fの報道をみれば、あまりに愚問であり腹が立つ。当時、新聞、テレビ、週刊誌などすべてのメディアが連日のように1Fの状況を報道していた。意図的に不安を煽(あお)っているものや、努めて冷静なスタンスをとっているものまで様々あったが、共通するのはこれが未曾有の原発事故であり、楽観的ではいられない、ということだ。

取材される側の気持ちを察するいい機会と割り切ればラッキーだったかもしれない。もちろん、その後、多くの作業員に話を訊かせてもらったが、自身の経験から「ご家族が心配してませんか?」と馬鹿げた質問をせずに済んだ。この質問は作業員の神経を逆撫(さかな)でする。そんなことはわかりきった上で、1F入りを決めたのだ。私の心情は少しずつ当事者のそれに近づいていった。マスコミ報道に当事者として一喜一憂した。

原発と注射

5月14日、原発事業に新規参入してきた不二代(ふじしろ)建設(いわき市)で働く60歳の作業員が、電動ノコギリの搬送作業で死亡した。死亡事故の直後、先に谷口プロジェクトの日程が決まった。学術会議の見解にも「処置直後に被曝したら白血病になるかもしれない」とあったので早く行う分には問題なかった。主治医の山本は縦長に2つ並んだコンピュータの画面に映し出された血液検査の結果を診断し、血圧をはかって目を見張った。

「下が90、上が120……うん、血圧は大丈夫みたいだね。……これなら鈴木さんの年齢にしたら正常値と思うけん、まだちょっと高いけど、どしたの?」

長年、ともに臨床を行ってきたせいで、鹿児島生まれの谷口の方言が山本に移っていた。

「とくにはなにも……大飯ぐらいをやめて、運動して、あとは規則正しい生活を送っただけです」

「これなら問題ないね。じゃあ予定通りに」

5月24日から1週間、沖縄で暴力団取材を行い、30日の深夜便で帰京した。沖縄旭琉会のある総長は「作業員たちと飲んでくれ」と、海底で熟成させたフジツボだらけの瓶に詰まった特製泡盛をくれた。海に沈めておくことで波の揺れが熟成を早め、地上の5倍のスピードでまろやかになる、と説明された。実際の味は分からない。取材で世話になった協力会社に渡してしまったからだ。前述した元後藤組組長・後藤忠政からも「作業員に差し入れてくれ」とプレミア価格で取引される森伊蔵を2本もらっていた。これもまた協力会社の社員に渡したので、どんな味だったのか不明である。

5月31日の午後1時、虎の門病院に出かけて血液検査を行い、山本の指示の下で1回目のG-CSF皮下注射が行われた。血管という、いわば血液の通り道に薬液を流し込む静脈注射と違い、皮下注射は筋肉組織に針を刺すので、経験上、けっこう痛い。処置室に通され、誰に話すでもなく愚痴をこぼした。

「皮下注射痛いんでしょ? ああ、嫌だなぁ。これ、3回も4回もやるんでしょ。局所麻酔とかないんですかねぇ。痛いの嫌いなんだよなぁ、俺」

忙しく動き回っている女性看護師の一人に笑われた。

「痛いの好きな人なんていませんよ。それに鈴木さん……うちの病院の患者さんたち、もっと大変な治療をがんばってうけてるんです。子供だって皮下注射くらいで泣き言なんて言わない。原発行くんでしょ? そんなことで大丈夫なんですか?」

「原発と注射、それはそれ、これはこれです。嫌なもんは嫌なんです。あーあ、痛いんだろうなぁ」

筋骨隆々のマッチョマン看護師

ベテランの女性看護師が目の前に置かれた金属トレーにG-CSFのアンプル2本を置いた。

「大丈夫、一番上手な人間がやりますから」

グダグダとみっともない泣き言をいう私をたしなめるような口調だった。

〈優しそうな人だし、経験豊富そうだし、この人なら大丈夫だろう〉

安心して腕をまくると、処置室に筋骨隆々のマッチョマン看護師が入ってきた。白衣は着ているが、どうみても格闘家のたたずまいだ。

「……すいません、あなたが看護師さん、ですか? 注射してくれる人?」

「はい」

マッチョマンはそれだけ言って、淡々と準備を始める。

「じゃあ確認のため、まず名前を教えて下さい」

「ちょ、ちょっと待って下さい。俺、暴れたりしません。大丈夫です。あなたじゃなくともいけます。だから……」

マッチョマン看護師は私を無視し、手際よくG-CSFを注射器に装塡した。

「じゃあいきますね。力を抜いて、おとなしくして下さい」

腕の付け根がちくりとして、皮膚の下に液剤が入ってくるのがわかった。痛くない。まったく。専門的なことは分からぬが、注射器を押すスピードは絶妙だった。

「地獄への入口」だった福島第一原発 尿意に襲われた初出勤の顛末へ続く

(鈴木 智彦/文春文庫)

鈴木 智彦

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