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「バ畜」――。そんな言葉を耳にしたことがあるだろうか。これは、自分の意思なく会社に飼いならされているような会社員を“会社の家畜”として揶揄、あるいは自嘲する「社畜」という言葉のアルバイト版。“バイト三昧”の状態を自虐的に指すそんな「バ畜」という言葉が、今ネット上で注目されている。
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10月18日に朝日新聞出版のニュースサイト『AERAdot.』、11月9日には日テレ系ニュースサイト『NEWS NNN』が共に人手不足の実態と絡めながら、アルバイトに精を出す学生たちの生態を紹介。とりわけ後者の記事は「若者に広がる『バ畜』学業支障も」として注目を集めた。
記事内では、週に7日バイトをする学生や、2つバイトを掛け持ちし、週6日働いている学生を紹介。「友達と遊ぶ約束とかをバイトを優先しなければならない」との声もあり、ネット上では“過重労働を強いるのは社会問題”、“しんどいのなら辞めればいい”などと議論になっているのである。
あたかも最近のワードのようだが、ネット上のトレンドに詳しいITライターは「言葉自体は20年前からあった」と指摘する。
「一つの目安として、そのワードがどれだけGoogle検索されたかで人気動向を示すツール『Googleトレンド』で“バ畜”を見てみます。すると、データを最大遡ることができる2004年にはすでに“バ畜”という言葉を使っている人たちがいて、一部で話題になっていたことがわかる。X(旧ツイッター)でも、今から10年ほど前の11年~13年に、
《年末年始はバ畜しようかな》
《GWバ畜も確定した》
《課題終わってないのにバイトに行くバ畜》
など、カジュアルに“バ畜”という言葉が使われている様子が残っています」(前同)
■雇用側が「バ畜」を育てている裏事情
学業そっちのけでバイト三昧の学生は、今に始まったものでもない。とはいえ、ここに来て「人手不足で学生バイトに労働が集中する」という文脈で注目されることには、複雑に絡み合う雇用側、バイト側の事情がありそうだ。
まずは雇用側。都内の居酒屋で、10年近く採用面接をする立場のスタッフ(30代男性)はこう語る。
「すぐに辞めてしまったり、当日休みたいと言ってくる子が明らかに以前より増えました。もちろんアルバイトなので無理強いはできないが、こちらもシフトを組んでいるので、欠員が生じるのは困る。結局、空いてしまったシフトを他のバイトの子に相談することになる。
決してバイトに無理な働き方をさせたいわけではなく、同じバイトでもすぐ辞めるケースが多いから、少数の使える子にシフトが集まる側面はあるかもしれない。それを“バ畜”と言われてしまうとしたら申し訳ない。もちろん強制はしないように、頼み方には気をつけているつもりですが……」
労働問題に詳しい千葉商科大学准教授・常見陽平氏は、「特に飲食業界の人手不足は深刻」としたうえで、雇用側、バイト側それぞれの問題点を指摘する。
「雇用する側の問題として、特に飲食業界はアルバイトありきのビジネスモデルを作ってしまった。一方で、労働者側は“売り手市場”で、かつ自分の身を守る意識が高くなっているため、少しでも条件が良いところがあれば当然そちらに流れます。結果的に、業界全体として恒常的に人材を募集する羽目に陥っている。
ただし、今は労働者側がハラスメントに敏感な時代。店がブラックだと思われると人が集まらず、ビジネスが回らなくなります。そこで雇用側はアルバイトを大切にする“チヤホヤスキル”を上げているところ。バイトを使い捨てるというよりは、優しく接して囲い込んだ方がいい。結果的にバイトを飼いならす、まさに“バ畜”を育てているのです」
■「バ畜」生活をする学生の事情
次に労働者側だが、“バ畜”をする学生には3つの理由がありそうだ。前出の常見氏は「物価高騰」「就活対策」、そして「居場所作り」だと指摘する。
「週に何時間もアルバイトをする学生は、確かに昔からいました。ただ現代は、学費や生活費など、物価がどんどん高騰しているのに親の収入が必ずしも上がっているわけでもなく、仕送りだけでは生活が厳しい学生が増えている実情は無視できません。遊ぶお金のためというよりは、もう少し逼迫した切実さがある。
今はアプリを活用して数時間単位レベルのスポットでバイトを探すことも可能になり、詰め込もうと思えばいくらでも詰め込める環境であることも“限界バ畜”に突き進む要因かもしれません。
そして、アルバイト経験は就職活動での定番アピールポイントでもあります」
3つ目の「居場所」とは、“承認欲求”の表れでもありそうだ。
「家にも大学にも居場所がない学生にとって、アルバイトの現場は自分の存在が承認される場なんですね。“バ畜”と自虐的に言いつつ、その実は居場所があることを確認している心理があると思います」(前同)
では、なぜわざわざ学生だちは「バ畜」という自虐的な言葉を使うのか。
「自分自身を奮い立たせるような側面もあるでしょう。ただ大前提として、“社畜”という言葉を知らないとそういう言葉も出てこない。つまり、少なくとも労働に対する社会的責任を認識しているということでもありますよね。ともすれば暗い話になりがちな労働市場の中で、少しでも明るく生き抜こうとする知恵が生んだ言葉とも言えると思います」(同)
労働は人生の一部。若者としても明るく生きていくために、自虐的な言葉をあえて使っているというわけか。
常見陽平
リクルート、バンダイ、ベンチャー企業、フリーランス活動を経て2015年より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年より准教授。専攻は労働社会学。大学生の就職活動、労使関係、労働問題を中心に、執筆・講演など幅広く活動中。
ピンズバNEWS編集部