中華民国期の軍人、孫殿英の徳政碑を発見 河北省滄州市

中華民国期の軍人、孫殿英の徳政碑を発見 河北省滄州市

  • 新華社通信
  • 更新日:2022/11/25
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中華民国期の軍人、孫殿英の徳政碑を発見 河北省滄州市

22日、孫殿英徳政碑の上半分部分。(滄州=新華社記者/王民)

【新華社滄州11月25日】中国河北省滄州市青県の文化財部門はこのほど、人和鎮村を流れる大運河の浚渫(しゅんせつ)現場で、青石製の残碑(壊れた石碑)を発見した。暫定的な考証により、残碑は1927年に中華民国時代の軍人の1人、孫殿英(そん・でんえい)のために建てられた德政碑(住民が役人の善政を称えた碑)と判明した。

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中華民国期の軍人、孫殿英の徳政碑を発見 河北省滄州市

22日、青県文物保護所で残碑を調べる職員。(滄州=新華社記者/王民)

残碑は上半分のみで幅70センチ、厚さ22センチ、高さ67~81センチ。正面には「甘棠(棠は一部欠損)」の2文字が大きく刻まれ、背面の碑文の冒頭には「陸軍中将将軍府将軍直魯連軍第十四軍軍長兼陸軍第三十五師師長孫公徳政碑」と刻まれていた。

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17日、孫殿英德政碑の残存部背面に記された碑文の拓本。(滄州=新華社配信)

背面の碑文の続きには、民国16(1927)年に青県の馬廠、帰官屯、陸官屯、孫官屯などの村の村民が資金を集めて孫殿英の碑を建てたこと、孫殿英が馬廠兵営に駐屯していた時には広く植樹を進め、商取引を活性化させ、地元の人々にたびたび良い事を行ったことなどが書かれていた。

孫殿英は、中国近現代史上の著名な軍人として知られる。「青県誌」の記載によると、孫殿英は直魯連軍第十四軍軍長兼陸軍第三十五師師長として青県の馬廠兵営に駐屯したことがあり、後に大名鎮守使を務めた。青県博物館の戴樹燕(たい・じゅえん)副館長によると、孫殿英徳政碑は当初、青県人和鎮の城門の外に建てられたが、七七事変(盧溝橋事件、1937年)後に行方が分からなくなっていた。残碑は滄州地域の中華民国期の歴史を研究する上で重要な価値を持つとされ、現在は青県文物保護所で保存されている。(記者/王民)

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