「アウティングされても仕方がないと思っていた」...一橋事件判決から1年。「命」を守るために必要なこと

「アウティングされても仕方がないと思っていた」...一橋事件判決から1年。「命」を守るために必要なこと

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/11/25
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店長がお店の客にまで暴露してしまい、飲食店情報サイトの口コミ欄に、自分のフルネームとレズビアンであることが書かれ、恐怖で地元を離れざるを得なくなったーー。

これは筆者が取材をする中で実際に聞いたアウティング被害の事例のひとつだ。

本人の性のあり方を同意なく第三者に暴露する行為、アウティング。2015年、一橋大学大学院のロースクールに通う大学院生が、ゲイであることをアウティングされ、校舎から転落死してしまった。この「一橋大学アウティング事件」をめぐる裁判の控訴審判決から、今日で1年。

大学側の責任は問われなかったが、東京高裁はアウティングを「人格権ないしプライバシー権などを著しく侵害する許されない行為」だと判断した。

一連の事件や裁判は、地方自治体や国レベルのアウティング規制の動きにつながり、自治体の性的マイノリティに関する啓発パンフレットなどには、「アウティングは絶対にしてはいけない」という文言も並ぶようになった。

アウティングが命の危険につながるほど重要な問題だということは、もっと知られる必要がある。一方で、どこか「アウティングはダメ」でとどまって良いのかという疑問も抱く。そこにはもっと複雑な実態や線引きがあるのではないか。そもそも、なぜ命の問題につながってしまうのかという面に目が向けられるべきではーー。

一橋事件から6年。2020年6月にはパワハラ防止法が施行され、アウティングもパワハラに含まれることになった。企業等に防止対策が義務付けられ、来年4月からは中小企業でも義務化される。

改めて「アウティング」という問題について多くの人に考えてもらうために、柏書房より『あいつゲイだって - アウティングはなぜ問題なのか?』を11月29日に出版する。

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[PHOTO]iStock

複雑で曖昧な実態

採用面接でトランスジェンダーだと伝え、入社後はカミングアウトの範囲を慎重に考えたいと伝えたが、いつの間にか社内中に広められてしまった。

学校で友人にカミングアウトしたらアウティングされ、教員から「同性愛が他の生徒にうつる」と言われた。

一橋事件以外にも、アウティングをめぐるさまざまな被害が、今でも起きている。性的マイノリティ当事者のうち、約25%がアウティング被害を経験しているという調査がある。

調査を行った日高教授は「実際にはご自身が知らないところでも言われてしまっている可能性がある」と語るように、本人が知らされていないだけで、実は勝手に暴露されているというケースを含めるともっと多いのではないかと考える。

一方で、マジョリティの側の意識を見てみると、厚労省の委託調査によれば、性的マイノリティの知人がいないシスジェンダー・異性愛者のうち「アウティング」という言葉も意味も知っている人はたった6.7%だった。

アウティングは必ずしも悪意をもって暴露するというケースだけでない。むしろ「良かれと思って」「本人のためを思って」「別にたいしたことないと思って」勝手に伝えられてしまう例も少なくない。それが場合によっては命の危険につながってしまうことがある。

こうした現状のなかで、アウティングは「絶対にしてはいけない」と、その危険性を伝えることは被害を防ぐ上で非常に重要だ。

同時に、「絶対ダメ」でとどまらず、複雑で曖昧な「アウティング」の実態に目を向ける必要もあるだろう。

例えば、教育現場で自死念慮が高い当事者の子どもへの対応など、緊急性が高い場合にチームで情報を共有する必要があるといったケースや、当事者間の性暴力被害を相談する際に、アウティングへの懸念から、被害者が相談を躊躇するという実態もある。

他方で、そもそもアウティングされても、特に何か不利益を被ることはなかった、むしろ人間関係の輪が広がったというケースさえある。

このように、アウティングをめぐる現実は多様だ。ただ、一つ言えることは、そこには明らかに「リスク」があるということだ。

「いじめは絶対ダメ」というけれど、実際には「いじり」と「いじめ」の間はグレーゾーンがあるように、アウティングにもその被害は本当に「たいしたことない」場合もあれば、文字通り「命」の問題にするっとつながってしまうことがある。

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[PHOTO]iStock

アウティングは仕方がないと思っていた

筆者が「アウティング」という言葉を知ったのは学生時代。性的マイノリティ当事者の集うサークルで、アウティングについての注意喚起がされていたのがきっかけだった。

飲み会は必ず個室。大学構内でランチ会を開く際は、借りた教室の扉に掲示するサークル名を偽った。一緒に写真を撮ってSNSにアップするかどうかも、それぞれへの確認を徹底していた。学外で会う当事者の友人とはハンドルネームで呼び合い、長い付き合いの友人であっても、お互い本名は知らないことも珍しくなかった。

こうした“対策”が自然と取られていたのは、やはり「暴露のリスク」を、筆者も含め多くの当事者が肌で感じていたからだろう。

一方で、筆者自身、アウティングは「起きても仕方がないもの」だとも思っていた。カミングアウトするということは、どこかしらで情報が広がってしまっても仕方がないものだろう、と。

カミングアウトして、受け入れて“もらっている”のだからしょうがないーー。自分自身も、シスジェンダーの男女二元論かつ異性愛を前提とした社会で差別や偏見を内面化し、“異質”な自分の性的指向が暴露されても仕方がないことだと感じていたのだ。

だから、一橋事件の報道を見て血の気が引いた。他人事と思えない衝撃を受けた。アウティングは、起きても「仕方がない」のではなく、社会から「仕方がない」と思わされていたこと。文字通り「命」に関わるほど危険であることや、社会にこの問題を提起する必要性を改めて実感した。

なぜアウティングが命の問題に繋がる場合があるのか。それは、社会に根強く残る性的マイノリティに関する差別や偏見によって、深刻ないじめやハラスメントを受けたり、就活で内定を切られたり、家を追い出されたり、不当な扱いを受ける可能性があるからだ。

そもそも差別や偏見がなくなれば、アウティングされたところで何も問題はおきない。アウティングを規制する必要もない。そういう意味で、自治体のアウティング禁止条例などは「過渡的」であるべきと言えるだろう。

よく「わざわざLGBTQという言葉でくくらなくても良い社会にすべきだ」という声を聞く。アウティングも同様に、「アウティングという言葉すらいらない社会になればいい」と。確かにそう思う。

しかし、こうした理想を語るとき、いま目の前で起きている苛烈な被害の実態を覆い隠してしまっていないか、なぜ“わざわざ”「LGBTQ」や「アウティング」という言葉が必要とされたのかを矮小化してしまわないか注意したいとも思う。

カミングアウトされたくないという声

アウティングの規制に対して、その反動として上がる声の中に、「だったらカミングアウトして欲しくない、秘密を勝手に共有されたくない」というものがある。

そもそも、性的マイノリティが「いないもの」とされ、当事者の側は、自身の重要なアイデンティティに関する情報をコントロールし続けなければならない現状。シスジェンダーの男女かつ異性愛が「正常・普通」で、性的マイノリティは「異常・特殊」とされ、当事者は差別や偏見による具体的な不利益を受けてしまう社会の構造。こうした現状の「責任」の所在は、やはりマジョリティの側にあると言える。

カミングアウトやアウティングを、“単なる”秘密の共有や暴露と捉え、「一方的に共有されたくない」とする態度は、つまりこの「責任」の所在を不可視化してしまう。

一方で、「アウティングをしたら何か罰を受けるのか」という不安を感じる背景には、単純な情報の不足もあるだろう。

例えば自治体のアウティングを禁止する条例などでは、アウティングをしてしまった場合に何か刑事罰のようなものが課されるわけではない。ただし、場合によっては自治体の苦情処理の仕組みによってあっせんが行われる事例などもある。

そもそも性のあり方に限らず、他者のプライバシーを暴露することが問題であること、責任を負う可能性があることは、多くの人がすでに承知していることだろう。

また、アウティングの危険性を認識しているからこそ、カミングアウトを受けた側の人が悩むというケースもある。アウティングの規制が、そうした相談を妨げるものであってはならないし、むしろ個人情報に注意しながら、カミングアウトを受けた側もどう相談できるかという体制の整備も重要になる。そうした点についても本書で検討した。

理想を忘れず現実的な対応を

いま、この瞬間も多くの性的マイノリティの当事者が、「運命の分岐点」の前に立ち続けている。なかには特に不利益が発生しなかったり、うまく切り抜けられたりする場合もあるだろう。一方で、命の危険につながってしまっているかもしれない。

誰もがシスジェンダーの男性か女性、そして異性愛者であることが前提とされ、その枠からこぼれ落ちる人たちが「いないこと」にされ続ける。こうした社会を生きる上で、性的マイノリティは常に「暴露」の危険がつきまとう。

性のあり方という、自分を構成する要素の一つにすぎないかもしれないけれど、同時に、自分にとって重要なアイデンティティの一つでもある情報を、それを伝えることで受けるかもしれない不利益を、当事者は「管理」し続けなければいけない。

本書では、まず「命」という点に軸足を置き、安全を守るためアウティングという問題について検討した。この問題の重大性、危険性をもっと広く伝え、”過渡的”に規制しなければ、いま起きている深刻な被害を防ぐことはできない。一方で「アウティングは絶対ダメ」でとどまらず、複雑で曖昧なアウティングの実態や線引き、根本の問題に目を向けなければいけない。

理想を掲げつつ、今起きている問題に具体的にどう対処できるか。アウティングによってこれ以上「命」が失われることのないよう、この本が活用されることを願う。

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