横綱・白鵬は何を目指し、何を私達に伝えるのか

横綱・白鵬は何を目指し、何を私達に伝えるのか

  • アゴラ
  • 更新日:2021/07/21

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・40歳)です。

復活優勝

令和3年の大相撲7月場所は、横綱・白鵬が全勝優勝と復活を遂げた場所となりました。千秋楽最後の大一番は照ノ富士との全勝対決。仕切り前から両雄の緊迫が伝わる内容でしたが、最後は白鵬が勝利でした。右四つがっぷりで白鵬を崩したかった照ノ富士でしたが、張り手などの仕掛けから右差しの先手は白鵬でした。そこからは、白鵬が相手の得意の体制にさせずに揺さぶりを重ねての最後は小手投げの勝利でした。

今場所だけでなく、昨今の白鵬はその取口などから、角界識者から注文がついているのは百も承知です。今回も、年6場所の大相撲で6場所連続休場明け、しかも3月には右膝手術も行って満身創痍の36歳です。各界入門が20年前の頃です。横綱・白鵬なりに「身体の限界」と相談しながら1日1日を過ごしている、その勝利への執念に対して「横綱としての流儀」「横綱としての品格」議論が付いて回るのは世の常であります。「横綱とはこういうものだ」と誰もが語ってきました。その時代、時代を映し出しているのも横綱だと考えています。今、混迷の時代に、とにかく我武者羅に、勝ち抜く生き抜く姿に批判が多く出るのは、私は分かります。北の富士勝昭さんは、その最先端でご意見番として怒り続けています。

北の富士さんの苦言

それでも、北の富士さんも、私も20年間にわたって白鵬を見てきた中での思いがあります。

例えば、中日スポーツで北の富士さんは、

何よりも全勝優勝にかける執念は恐ろしいほどであった。昔はやった言葉に「ほとんど病気」というのを覚えていますわ。白鵬がまさにそれです。どんなに非難されようが、勝つだけが相撲ではないと言われ続けて久しいが、直す気は全くないだろう。若い時は、尊敬する双葉山関や大鵬関に「少しでも近づこう」「ああなりたい」と思った時もあったと思う。しかし、今はすべての記録を破る事しかない。誰の忠告も通じないだろう。(【北の富士コラム】誰の忠告も通じない白鵬、それが生き方だから仕方がない しかし、これだけは言っておこう)

この後には本文では「引き際」のたいミングも示唆されての愛情もあるかと見ています。こういう事は白鵬や大相撲界の先を見ての北の富士さんにしか出来ない忠言ではないでしょうか。元横綱であり、自身も横綱を育て上げた北の富士さんにしか出来ないと思います。

一方で、これから記すのは私はいつまでも白鵬は白鵬として土俵に上がり続けて欲しいという《一ファン》の戯言かもしれません。大横綱・双葉山のように「木鶏」を実現すべきと考えているのだろうと私は見たい気持ちがあります。2010年に大分県の双葉山生家を訪ねた際に「生まれた家に来ることは小結時代から思っていた。」と語った姿は私の脳裏に焼き尽くされています。この時は双葉山の持つ69連勝に迫る連勝中、九州場所目前のタイミングでした。結果は、江戸の大横綱・谷風の63連勝で並んだところで稀勢の里に敗れ64連勝を達成出来なかった時に「これが負けか」と呟いたのが白鵬。70連勝出来なかった時に「イマダモクケイ二オヨバズ」と安岡正篤師に打電した双葉山の姿が被って見えた記憶が私には鮮明にあります。

そして、翌年2011年は東日本大震災でした。この年の5月は技量審査場所でしたが、その後に被災地を慰問し横綱土俵入りをした姿に「横綱は神である」と私が物心つく前から、両国の地で自然と教えられてきた考えが確信した瞬間でもありました。地鎮の意味、と邪気を払う意味を持ち大地を踏みかためる横綱の神事が土俵入りの意義がそのまま表されたと思っています。

14年目の横綱

横綱・朝青龍との「青白時代」に、土俵上で睨み合う、中々立ち会いが合わない固唾を飲んで見守る一番を見続けてきた私にとって、照ノ富士との全勝対決は、久々に白鵬の「勝利への熱」を真っ直ぐな気持ちで感じたところです。貴乃花、朝青龍、白鵬と彩ったのは一昔前です。最近の相撲ブームでファンになられた方には全く想像つかない世界だと思っています。北の富士さんが指摘されるように「体力の限界」は近づいています。白鵬が横綱になったのは2007年です。もう横綱14年目。朝青龍の引退が2010年です。それから各界を背負ってきた使命感との向き合いも11年目に突入です。

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長い白鵬関・追っかけの中で唯一の一枚

5年前、綱取りを目指す稀勢の里の一番を経て白鵬は言いました。「勝つなら勝ってみろ。それで横綱になってみろという感じだった。強い人は大関になる。宿命のある人が横綱になる。」この思いを感じながら、朝青龍を追いかけ、そして、横綱として14年間もそう思い続けきたのでしょう。心技体揃ってはいますが、どれも極限状態。年6場所コンプリート出来ないもどかしさは本人が一番感じていることだろうと思います。

一相撲ファンとして

どんなに批判の声が上がっても自身の道を突き進む。これが今の横綱・白鵬の生き様なのかもしれません。私は相撲評論家でコメントを求められる事もかつてはありましたが、小学生の頃から相撲を見続けた「相撲オタク」です。大相撲ダイジェストをやりたくテレビ朝日のアナウンサー試験を受けたのです。私にとって、国技館はパワースポットであり、番付関係なく力士という存在は特別です。様々な不祥事案件では、冷静に判断しながら、テレビ局にいながらも、各番組の過剰報道に真実を訴え、良いものは良い、悪いものは悪いと指摘してきました。その時代、時代を共に歩ませて頂いた相撲界にとって、今は辛抱の時です。

「後の先」を実践し続ける

それ故に、白鵬が十四日目の正代戦で見せた俵背の仕切り。仕切り線から目いっぱい遠ざかり、両足が俵にかかりそうな位置で仕切りに入って会場はざわつきました。これが普通なら奇襲作戦に出たという見方になるし、現にコメントを求められた藤島審判長も困惑気味だったが、正代の実力を恐れて奇襲に出たとは考えにくい。白鵬フリークなら誰もが知る白鵬美学に「後の先」という考え方がある。簡単に言うと、相手を先に動かして後から合わせて勝利を勝ち取流。どんな勝負事でも大切だと言われる「先手必勝」を覆す「後手の美学」が白鵬にはある。だから、あの立ち会いも、確かに怪我が気になるのかもしれないが「後の先」から考え抜かれた俵背だったのかなと想像してしまうのです。

とにかく色々な意見があって然るべきです。ガッツポーズも否定が多いのは事実です。ただ、私は相撲界が盛り上がってない時を支え続けた白鵬に、時代時代で役目が変わっていたのだろうと考えています。今、北の富士さんが指摘するように、引き際も彼の頭によぎっているのかもしれません。私は力士であれば、誰であれ敬意を表し応援していきます。白鵬という横綱が何を思い、何故ゆえに批判をされても振る舞いを変えないのか、白鵬が語った時に歴史を検証するしかないのかもしれません。

川松 真一朗

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