
Japaaan読者の皆さんこんにちは、ライターのほおの紅です。今回は、今と酷似したパンデミックが実は100年前に日本にも波及していたというお話です。
その病気の名は、スペインかぜ。いわゆるインフルエンザのA型です。今のコロナと同様に、当時猛威を振るった感染症でした。第一次世界大戦末期の1918年3月にアメリカで発生し、出征した兵士によってたった5ヶ月で日本を含む世界中に蔓延しました。
やっぱりマスクしてる!
感染拡大の情報がもたらされた当初の日本の対応を見てみましょう。
今みたいにテレビやスマホが普及していないので、当時の呼びかけはポスターが主でした。そのキャッチコピーは、「マスクをかけぬ命知らず!」とか「うがいせよ!朝な夕なに」とか。今と言ってる事変わらないじゃん!

『流行性感冒』(内務省衛生局1922年)国立国会図書館デジタルコレクションより
他にも「人の多いところには行かない」などソーシャルディスタンス的な内容も呼びかけてはいたのですが、それでもやっぱり今と同じように感染は拡大してしまったのです。
当時の記録によると日本国内のスペインかぜの患者数は約2350万人。死者は1918年8月から1920年10月の2年間で約39万人。新聞が伝える当時の状況は悲惨なもので、都市部での火葬が間に合わず、死体を地方に輸送したため、輸送先の駅に死体が積み重なる事態。
与謝野晶子が政府を批判
なぜ拡大を防げなかったかは、与謝野晶子氏の当時の文章を以下に抜粋します。
「政府はなぜいち早くこの危険を防止する為に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同様の事を子どもたちに注意しているのです。社会的施設に統一と徹底との欠けているために、国民はどんなに多くの避らるべき、禍を避けずにいるかしれません。」
(「感冒の床(とこ)から」「横浜貿易新報」大正7年(1918)11月10日)
・・・・・・なんか、今と一緒だと思いませんか?要するに政府が混乱していたんです。
歴史を侮るなかれ
人間って喉元過ぎればやっぱり忘れちゃうものです。そりゃあ100年に一度のパンデミックに対して、私たち国民はいちいち準備しておくというわけにはいきません。まさか100年に一度に備えて家にマスクを大量に備蓄するスペースも余裕もありませんから。
しかし、国や政府はこのスペインかぜの学びから、100年の間にある程度準備をしておく事はできたんじゃないかなと思うのです。スペインかぜの記録を見れば、「中国武漢から情報が入った超早期のタイミング」や「第2波、第3波に備える余裕のあったタイミング」でできた政策は他にもあった気がします。
政府が国民と同じように動揺していては、国がぐらぐらになってしまいますよね。歴史ってただの過去の記録じゃなくて、実は私たちの未来そのものかもしれない。
スペインかぜの記録と今回のコロナ旋風は、歴史を侮るなかれという大きな教訓になった気がします。
トップ画像:Wikipediaより(着色筆者)
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