やっぱり合わないチームからはさっさと出て行った方がいい──そう思わせるジョアン・フェリックスとジョアン・カンセロの最高のパフォーマンスだった。フェリックスは1ゴール+股の間をスルーさせる“1アシスト”、カンセロは1ゴールでベティス戦の大勝5-0に貢献した。
「石の上にも三年」という良い言葉がある。冷たくてお尻が痛い石の上にも三年座っていると温かくなって座り心地が良くなってくるものである。

私も部下もいた元社会人として「三年とは言わないが二年はいろ」とアドバイスしていた。まずは我慢して適応する努力した方が良い。特に学生時代とのギャップが大き過ぎてショックを受けがちな新社会人に対してはそう声を大にしたい。なので、「石の上にも三年」は7割方は正しい、と思う。
しかし、我慢しても努力しても駄目な時はさっさと環境を変えた方が手っ取り早いケースもある。
フェリックスはアトレティコ・マドリーでシメオネ監督と衝突した。出場機会がないと怒ってビブスを投げたりした。上司への尊敬を欠く行為である。
カンセロもマンチェスター・シティでグアルディオラ監督と衝突した。バスを降りて直接ベンチに向かい、ロッカールームでのミーティングをパスしたらしい。集団の規律に反した行為である。
ともにボスの怒りを買い、和解の余地はゼロだった。その証拠にフェリックスはチェルシーに、カンセロはバイエルンにレンタルに出されていた。もう顔を見たくない、空気が悪くなるからベンチにも置いておきたくないとグループの長ならそう考えるのが当然だ。残留はないと踏んで移籍市場が閉まる直前に安く買い叩いた、バルセロナの補強戦略の勝利である。
旧チームでの振る舞いを見て、“フェリックスとカンセロはトラブルメイカーだ”と言いたくなるが、必ずしもそうではない。新天地での素晴らしい活躍を見て、“シメオネとグアルディオラの見る目がなかった”と言いたくなるが、必ずしもそうではない。単に相性が悪かったのだ、と私は思う。
人間として合わなかったのと、監督の戦術と選手としての特徴が合わなかった。フェリックスとシメオネは両方合わなかった。たぶん、グアルディオラとカンセロは人間としてだけ合わなかった。
相性が悪い、というのはすべての人間関係同様、サッカーにもある。努力すれば好転するかもしれないが、努力をする気にならない上司や部下というのはいる。「石の上に三年」というのが地獄の無駄な三年になる関係というのは存在する。
社会人よりもはるかに寿命の短い選手の場合は、三年間がもったいなさ過ぎる。カンセロが失ったのは半年間くらいのことだが、フェリックスは直近の二年間ほどを失っている。久保建英だってソシエダに出会うまでの時間を失っている。
相性が悪いと、素晴らしい監督がダメ監督になり、素晴らしい選手がダメ選手になる。で、環境を変えるだけで、その逆のことが起こる。どっちの責任?と、悪者探しをする暇があるのなら、さっさと移籍する。
頭痛のタネがいなくなってシメオネとグアルディラも絶対に喜んでいるだろうし、本人たちも大活躍でうれしいだろう。ウィンウィンの移籍で、これでバルセロナには本当の意味でCLで勝ち上がって行く戦力が備わった。
文:木村浩嗣