「殺したいほど憎みます」ジャニー喜多川、最大の危機と内助の功

「殺したいほど憎みます」ジャニー喜多川、最大の危機と内助の功

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  • 更新日:2019/07/11

■「ジャニーズ帝国」を一代で築いた“ジャニー喜多川”という男

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ジャニー喜多川が亡くなった。享年87。ここ数年は入退院を繰り返していたようだし、その死そのものに驚きはない。メディアの反応も、姪にあたる藤島ジュリー景子の社長就任も想定内だ。よくいわれるように、ジャニーズ事務所の経営上のトップはジャニーの姉のメリー喜多川副社長であり、この人の目が黒いうちは、芸能界における影響力もまだまだ維持されるだろう。

ただ、巨星墜つという感慨は深い。美少年と芸能にこだわり、それをビジネスとして長年成立させてきたことは世界史的にも稀有だ。その60年にも及ぼうとしたマネジメント活動において、最大の危機が31年前の出来事だった。

昭和63年の11月、OBで元フォーリーブスの北公次が暴露本『光GENJIへ』を出版。ジャニー喜多川の性癖を赤裸々に綴った。

「部屋で一人寝ていると黙ってジャニーさんがもぐりこんでくる。そしていつものようにぬいぐるみを愛撫するようにおれのからだをまさぐってくる」

さらに、郷ひろみなどもその対象になっていたことをにおわせ、出版当時のトップアイドル・光GENJIらに対し「おれの二の舞だけにはなってくれるな」と忠告したのである。

その真偽はさておき、少年への同性愛嗜好についてはかねてから噂があり、事務所の草創期に週刊誌で報じられてもいた。それゆえ、ジャニーズに忖度しない側のメディアはこれに飛びつき、事務所は火消しに躍起となったものだ。ちなみに、仕掛け人は田原俊彦のスキャンダルをめぐってジャニーズと対立中だったAV監督の村西とおる。引退して芸能界を離れていた北を引っ張りこみ、ジャニーズ告発キャンペーンに使ったわけだ。

もちろん、北にとっては復活への足がかりにするつもりでもあった。本の出版直前に、最初の妻と離婚。本が大ヒット中だった平成元年1月には、渋谷でライブを敢行した。その様子を『光GENJIへ』の出版プロデューサー・本橋信宏が書いている。北は楽屋で一升瓶をラッパ飲みして緊張感をほぐしたあと、ステージでいきなりバック転を決めたという。

「ライブが終わってから公ちゃんは『バック転うまくいかなかったな』とこぼしていたが、苦悩の人生を背負った中年男のバック転は、それまでの彼の陰鬱なイメージをいっぺんに払拭させるほどの凄みがあった」(『別冊宝島299 芸能界スキャンダル読本』)

ただし、この対立は最終的にジャニーズが勝利する。その後、SMAPや嵐が国民的グループになり、その天下は磐石となった。一方、何らかの手打ちが行なわれたのか、フォーリーブスも平成14年に再結成された。全盛期のような人気は望むべくもなかったが、本人はそれなりに満足していたようだ。

しかし、その10年後、北は肝臓ガンで他界する(享年63)。30歳を迎えた昭和54年に覚醒剤で捕まったあとも、風邪薬のオーバードーズにハマるなどして、体はボロボロだったのだ。その死を伝えた女性週刊誌には「苦しみ続けた胸の内を告白『ジャニーを殺したほど憎い…』」という見出しが踊った。が、これは彼の発言ではない。『光GENJIへ』を読んだ最初の妻が「ジャニーは人の皮をかぶった獣。殺したいほど憎みます」と言って泣いたのだという。

もっとも、そこには彼女の嫉妬もまじっていただろう。なにしろ、自分の前に濃密な関係だったことを、かつての夫が告白したのだ。そう、ジャニーは女を嫉妬させる男でもあった。美少年の魅力を知り、ひきだすことにおいてはどんな女性もかなわないのだから。

実際、北もまたジャニーに対してはこんな言葉を遺している。死の前日、ブログに綴られたものだ。

「そして最後にどうしても言わしていただけるなら ジャニーさん メリーさん ありがとうございました 感謝しています」

ジャニーに見いだされたからこそ、アイドルにもなれたし、波瀾はあれど充実した人生を送れたという思いだったのだろう。かつての「関係」にしても、けっして一方的なものではなかった。

「おれが外で若い女の子と口をきいたりするとジャニーさんはいつも夜嫉妬めいた口調で責めてくる。それと同じようにおれもジャニーさんが他のタレントと親しい口調で話しているのを見てしまうと嫉妬めいた感情が胸に渦巻く」(『光GENJIへ』)

そして、深く関わったからこそ見えてくるこんな分析も。

「というよりもジャニーさん自身がホモの男を嫌っていたのだ。同性愛者というのは、ホモの性癖のある男を求める場合と、ホモの性癖のある男には見向きもしない二つの傾向がある。ジャニー喜多川さんは後者、つまり元気で少年っぽい10代の男の子が大好きだった」」(『光GENJIへ』)

この分析が当たっているとすれば、ジャニーも常に嫉妬にかられることになる。美少年が好きになるのは、自分が絶対になれない「女性」という存在だからだ。特に、成人して結婚してしまうときには絶望的な淋しさにさいなまれるのではないか。

ただ、ジャニーは中期以降、CDデビューさせたアイドルとは距離を置き、もっぱら「ジャニーズJr.のマネージャー」としての役割に徹するようになっていく。これは単に、若い男の子が好きというだけではなく、嫉妬や淋しさをなるべく味わわずに、まだ無邪気な少年たちと一緒に夢を追っていたいという方向にシフトしていったということかもしれない。

いわば、現実ではかなうことのない思いを芸能に託し、アイドル発掘に昇華させたのだ。ファンだって、いくら憧れ、応援しても、アイドルと結婚するなど夢のまた夢。そんなアイドルファンと同じ目線を、彼は常に持ち続けることができた。だからこそ、ジャニーズ王国は築かれたのである。

その死をめぐる事務所の公式発表には、こんな一節があった。病院での最期の日々についての描写だ。

「ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました」

そういえば、彼はJr.たちの稽古場に差し入れをするのが好きで、こっそり抜け出してはハンバーガーやスナック菓子をごっそり買い込んできたという。また、嵐の松本潤は当初、ジャニーの顔を知らなかったため「いつも稽古場をキレイにしてくれていたおじさん」がその人であることに驚いたと振り返っている。

そんなエピソードからは「内助の功」という言葉も連想される。実際、公の場に登場することは稀で、顔写真の公開もプロデュース業での実績がギネスに認定されたとき(平成23年)の一度だけだ。裏方にこだわってきた理由は、

「ビートルズの4人の中にサングラスのマネジャーが写ってるのを見て以来、タレントと一緒に写真を撮るのはみっともないと思った」(『スポーツ報知』)

というものだった。

美醜に敏感で、しかも少数派的な嗜好を持つ人の葛藤は想像に難くない。そこを芸能に昇華させ、長年にわたって大衆を楽しませてきたジャニー喜多川。不世出の天才に感謝するばかりである。

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