【島田洋七“がばい”独占手記/第2回】次長課長・河本準一の“生保不正受給”騒動は「情けない!」

【島田洋七“がばい”独占手記/第2回】次長課長・河本準一の“生保不正受給”騒動は「情けない!」

  • 日刊サイゾー
  • 更新日:2017/09/17
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吉本興業の後輩・河本準一の生活保護の不正受給問題。情けないですわ。私が小さいときなんか、がばいばあちゃんがあんだけ苦労して生活保護なんか受けてないんですよ。

とりあえず、昔の人は働こうとしか思わなかった。うちのばあちゃんは44歳でじいさんを亡くしたとき、7人の子どもがいた。生活保護も何もなかった。7人きょうだいで、長女がうちの母親なんです。「これから先どうするの?」と近所の人のほうが心配する。ばあさん、くるっと振り返って「今から寝ます」と言ったらしい。

なんでそんなことを言ったのか聞いたら、「死んですぐに、そんなこと考えられるわけがない。頑張るんは私なんや」と。河本にも聞かせてやりたいですわ。

北野武の映画『アウトレイジ 最終章』が10月に公開されるけど、ボクにはたけしが映画監督と言われてもピンと来ん。たけしとは“漫才ブーム”で売れる前から、亡くなった横山やすしさんの紹介で知り合って、仲良くなりました。でも、いまだに照れ屋だから、電話でも恥ずかしそうに用件だけ言ってすぐ切っちゃうもん。「じゃーな」って。

たけしとやった1時間のショクナイ(業界用語で内職)の漫才はスリルがありましたよ。

漫才ブームが去った直後でしたよ。ボクが、ある保険会社に頼まれたんです。それまで歌手でやってたけど、ギャラが高すぎる。それに歌手も飽きたということで「漫才で1時間持ちますかね」と相談されたんです。

で、「たけしとどうですか?」と言ったんですよ。そしたら向こうが、「そりゃ無理でしょ」と言いましたよ。でも、やらなしょうがないとたけしに言ったんです。酒を飲んでいる時に「金はともかく、それじゃ行ってみっか」ということになって、3回行きましたよ。

忙しいたけしがショクナイで営業を行っているとは誰も思いませんよ。ギャラはたけしが相方のビートきよしさんに遠慮して言わなかったけど、1時間なんてやったことはなかった。ボケも突っ込みもありません。お互いボケと突っ込みですよ。ボクは田舎もんをバカにするネタ。たけしは下ネタは言いませんからね、得意な毒舌で1時間。会場は大爆笑でしたよ。今までで一番スリルがありましたね。1時間ですよ。今の若手は3分か5分。俺らを見習えって。

やっていて、たけしの記憶力は抜群だと思いましたね。漫才やりながら「昔、このネタ、10年くらい前やったよな」と。普通、10年前のネタ、忘れまっせ。彼ははっきりと覚えている。すごいと思いましたね。

たけしは映画を作ったり絵を描いたり多才ですが、彼にはお笑いの脳がある。頭の中は7割がお笑いですよ。だから、映画監督と言われてもピンと来ない。

そのたけしだって「フライデー事件」を起こした時は、あんなに強気な発言をしていたけど、「俺、漫才をできるかな」と弱気になった時もありました。石垣島の砂浜で、海の水が膝まで満ちてくるのも忘れて話しました。

マスコミの目がうるさいし、暖かいところがいいやろと沖縄の石垣島に行ったんですよ。芸能人って、事件を起こすと関わり合いになりたくないから、付き合うのをやめる人が多いでしょ。ボクの場合は売れる前からの友だちですからね。

ひとりじゃ寂しいだろうと思って、石垣島に何度も行きましたよ。強気な発言をしてましたが、裁判の判決を待っている時でしたからね。砂浜に座りながら「俺、刑務所に行くんやろか」と話してましたよ。「もし、懲役になったら、しょっちゅう面会に来いよ」と言うから、「そんなところ、しょっちゅう行けんやろ」と言いましたよ。「冷たい」と言うてたけど。

やっぱりビビッてたんですよ。ワイドショーで裁判所に入っていく時の顔と、執行猶予の判決が出て、出てくる時の表情はまったく違ってましたからね。紺のスーツに、カッターシャツ。実刑が決まれば、そのまま刑務所行きですからね。真剣な顔でしたよ。

石垣島では砂浜に海水がだんだん満ちてきて、膝の上までつかるまで気がつかないくらい話しましたよ。「もし、刑務所に入ったら、お笑いなんかできなくなる。どうしようかな」と言ってました。「もし、北野武という人間が芸能界からいなくなるんだったら、俺だってやめて広島か佐賀に帰る」と言いましたよ。

フライデー事件が終わった後にバイク事故でしょ。あの頃は3~4年に1回、何かありましたね。よく「死にたい」と言ってましたね。バイク事故から4年後に2人で会った時に、「ボチボチ何かやらな」と言ったら、たけしが「アホか、おまえがせい」って言うから「俺、別にすることないもん」言うたけど。

時々、人のせいにする。

TBSの『ニュースキャスター』で“洋七伝説”なんてコーナー作って勝手なことを言ってますが、自分がやったことを俺がやったことにしている。よく友だちが自分でやりながら人のせいにするのと同じですよ。

たけしとは漫才ブーム直後、2人で銀座で遊びましたよ。2人ともお客さんに連れて行ってもらったことはあったけど、自腹は初めて。たけしが、銀座には月に200万円稼ぐホステスが5~6人いるという週刊誌の記事を、1軒200万円かかると勘違いして、お互い2,000万円抱えて銀座に行きました。

8丁目のクラブ「G」というところに行きましたよ。入り口で「カバンを預かりましょ」と言われましたけど、「大金が入っているからいいです」と断ったら、変な目で見られました。

店に入っても、安いところばかりで飲んでいるから落ち着かない。20分たった頃にママを呼んで、「今、帰ったらいくらですか?」と聞いたんです。「クラブは一緒です」。それでも心配だから、また20分くらいたってから、ママを呼んで「今、帰ったらいくらですか?」と聞いたら、「普段、どんなところで飲んでんですか?」と聞かれましたよ。時間制の安いところと言ったら、「クラブは関係ない、1時間半はいてください」と言われて安心しました。

たけしが「洋七、こういうところで寿司を頼むと金持ちに見えるぞ」と言うんで、ボーイを呼んで、ホステスたちの分も含めて5人前頼んだんです。また、ボーイを呼んでたけしはほかの客にも聞こえる声で、「いま頼んだ寿司は並じゃなく、上、上」と連発したんです。そしたら、ピアノを弾いていた黒人が「お呼びですか?」と来た。その人、ジョーという名前だったんですよ。「あなたじゃなくて寿司の上」と言って戻ってもらいました。

ボトルを入れる時も大変でした。ボクら高い酒は飲まんから、ボトルの名前もようわからん。当時、レミーマルタンというブランデーがはやっていた。たけしに「レミー知ってるか?」と聞いたら「レミーなんてねえちゃん知らねぇよ」と言う。店のボーイが「ヘネシーはどうですか?」と言ったらたけしは「ヘネシーって外人は知らねえな」。仕方なくサントリーのリザーブを頼んだら、ないと言われた。当時、日本のウイスキーはクラブに置いてなかったんです。

2人で割り勘でしたが、13万円。30年以上前ですが、ママが安くしてくれたんでしょうね。あんなきれいな人がぎょうさんいるとは思いませんよ。安かったですよ。それに「サインしてくれ」と言うホステスもいませんしね。

佐賀のスナックだったら大変ですよ、じいさんばあさん、軽四輪に乗せて「ほら、洋七、来てッとばい」。家からじいちゃんばあちゃん、連れてくるなって。
(続く/企画・構成=本多圭)

●しまだ・ようしち
1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

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