横浜F消滅の実際。「葬式の日にドンチャン騒ぎ」のようだった天皇杯優勝【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

横浜F消滅の実際。「葬式の日にドンチャン騒ぎ」のようだった天皇杯優勝【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

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  • 更新日:2017/12/07
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横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併問題をフリーライターとして追いかけたジュンハシモト氏【写真:宇都宮徹壱】

現場の取材記者は私よりも冷たかった

かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。【後編】(取材・文:宇都宮徹壱)

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フリューゲルスのサポーターによる(クラブ存続の)署名活動は、かなり早い時期から始まっていました。Jリーグに署名を提出した時は一緒に行っていますし、サポーターのひとりが(羽田の全日空本社で)癇癪を起こして、灰皿を蹴飛ばして警備員さんともみ合いになったのも見ています。

そんな感じで、事あるごとにサポーターに密着していましたけど、私自身は合併が撤回されるという発想はなかったですね。「署名が何十万とか何百万集めれば、きっと何とかなる」とか、まったく思わなかった。やっぱりサポーターではないから、どこか引いて見ているところが間違いなくありましたね。

まあ、自分でも「冷たいヤツだな」と思うところはありました(笑)。けど、現場で取材している記者の皆さんは、もっと冷たいというか、「こなし仕事のひとつ」としてやっているように感じましたね。特にサポーターへの取材で。

「今のお気持ちを一言で」とか、平気で聞くんですよ(苦笑)。そんなの一言で言えるわけがないじゃないですか。サッカー専門誌の人たちは、それなりに親身になって取材していたと思うんです。でも番記者でないと、じっくり取材する余裕はなかったみたいですね。

どうしても目の前の試合が優先になってしまって。もちろん試合レポートは詳しく書けるんだけど、サポーターの心情や全日空の経営状況まで意識が回らない。

これは一緒に取材していた、ライターの戸村(賢一)くんの指摘なんですけど、長年全日空に君臨した若狭(得治)さんと前社長だった普勝(清治)さんのラインが崩れたのが(合併の)遠因にあるんじゃないかと。私もそう見ています。

若狭さんが社長や会長だった時代、確かに頑張って国際線を拡大したんだけど、その分のツケは普勝さんが社長になった時に回ってきて、相当な赤字が溜まっていたと。結局、若狭さんの息がかかった人たちが経営陣から撤退して、普勝さんも97年に社長を辞めるんですが、そこから全日空にリストラの嵐が吹き荒れるんですよね。フリューゲルスの消滅も、その過程の中にあったと思うんですが、そのことを指摘するメディアはありませんでした。

「葬式の日にドンチャン騒ぎをしているような気分」

合併が決まってからのフリューゲルスの試合は、ほぼ観ています。天皇杯に関しては、最初のほうはチケット観戦だったんですけど、準決勝からは申請が下りて記者席で観ていましたね。決勝は、前日の大晦日の夕方くらいから国立に行って、夜中までサポーターに取材をしていました。むちゃくちゃ寒かったですよ(笑)。

それから(元日の終夜運転の)電車でいったん帰って、お風呂に入って身体を温めようとしたんですが、湯船に1時間つかっても冷え切ったまま。それでもカイロをたくさん持って、再び国立に行きましたよ。

フリューゲルスの優勝が決まった時ですか? ピッチに降りたり、ゴール裏でサポーターの声を拾ったりしていました。今ほど、記者の動線は厳しくなかったように思います。

ただ、優勝の感慨みたいなものって、実はあんまりなかったですね。というのも、試合の勝ち負けって、私はあんまり気にしていなかったんですよ。「絶対に優勝する」みたいな視点で観ると、冷静な判断が働かなくなるような気がするので。

サッカーに限らず、スポーツを観ている時って、目の前の事象を冷静に追いかけることに徹したいんです。だから自分の感情を極力持たず、勝敗にも関心を示さずに取材することに専念していました。

そのせいですかね、試合内容よりむしろ、当日のサポーターたちの言葉のほうが心に残っています。(サポーターグループ『ASA AZUL』のリーダーだった)川村環さんは「葬式の日にドンチャン騒ぎをしているような気分」って名言を残していました。

(決勝で対戦した)清水サポも「死に水取るのはオレらしかいないから、彼らの最期を見届けることができてよかったよ」というようなことを言っていましたね。

私は最初から「横浜FCは別のクラブ」と見ていました

両チームのサポーターの表情も、すごく対照的でした。フリエサポは、優勝してもちろん喜んでいるんだけど、目が笑ってないというか輝きがない。何だか死んだような目をしている人が多かったですね。だからこそ「葬式の日にドンチャン騒ぎ」なんですよ。

それに対して清水サポは、ものすごく冷静でした。負けて悔しい思いもありながら、優勝したフリューゲルスに拍手を送っていましたし。清水サポって成熟した人が多いんだなって、その時は思いましたね。前の年(97年)に彼らも経営危機に直面して、それを乗り越えているじゃないですか。そういったことも背景にあったかもしれない。

SPA!に私の原稿が載ったのは、その年(99年)1月の最後の週でした。もう専門誌ですら、フリューゲルスの記事が載らなくなっていた頃です。SPA!の編集部とは「追いかけるだけ追いかけて、その後にレポートとして出しましょう」という話だったんですけど、結局は次の年の元日まで引っ張ることになったので、記事になるのが遅かったんです。

あと週刊誌って、どうしても一定以上の期間がかかるんですよ。特に週刊誌メディアの場合、全般的にOA化が遅れていて、当時は誌面のレイアウトを鉛筆で切ってFAXで送っていましたから。それもあって、3週間もかかってしまったわけです。

あの99年の元日は、ひとつの物語のフィナーレみたいに語られているけど、私はそんな感じではなかったですね。というのも、サポーターの「その後」が気になっていたので、継続して横浜FCの立ち上げのほうも取材していましたから。

もっとも、私は最初から「横浜FCは別のクラブ」と見ていましたけどね。新しいクラブができて1年目の(JFL)優勝も、2年目のスタートも見届けています。

でもその後、元フリューゲルスのサポーターと横浜FCができてからのサポーターとの間で、揉め事がひんぱんに起こるようになって……。私自身も別の仕事が忙しくなっていたこともあり、次第に遠ざかるようになってしまいましたね。

取材対象としてのフリューゲルスは「ナンバーワン」ではない

実はフリューゲルスに関しては、書籍化の話もあったんですよ。99年の3月だか4月に話をもらって、とある版元さんから「ぜひ出しましょう」と。じゃあ、という感じで書き溜めていていたら、ほぼ脱稿というタイミングで中止になったんです。

ちょうど同時期、横浜FCの代表だった辻野(臣保)さんが小学館から横浜FCの本を出すことになって、「ウチは弱小なので、そんな大手から同じような本を出したら勝ち目がないです」っていうのが理由でした。

あの時はショックでしたね。その後も、幾つか版元になってくれそうなところに持っていったんですけど、タイミングの問題もあって形にはなりませんでした。

最初にも言いましたけど、私は100人くらいの人たちにインタビューして、皆さんウソ偽りなく本音を語ってくれました。その方々には、今でも本当に心から感謝していますし、貴重な体験をさせていただいたと思っています。だからこそ、書籍という形にできなかったことについては、心から申し訳なく思っています。

今のようにSNSがあれば、もう少し違っていたかもしれない。それでも、さまざまな関係者の本音を聞いてしまった取材者として、その責任を果たせなかったのは、私の実力不足以外の何ものでもなかったと思っています。

いろんな意味で日本サッカー界の転換期に起こった出来事

それでも書籍を出せなかったことがバネになって、その後もフリーのライターとしての活動はしばらく続けていました。AERAでも横浜FCの記事を何回か載せてもらったし、サッカー以外のスポーツの取材もいろいろやっていました。

ただ、結婚して子供が産まれて以降は、体力的に取材が厳しくなってきましたね。雑誌の世界の状況も、この10年くらいでかなり様変わりしましたし。(原稿)1本の単価とかも、恵まれていた時代に仕事をしていた人間からすると信じられないくらいに下がってしまって。それもあって、こっち(西宮市)に引っ越してからは、Webの編集のほうにシフトしていった感じですね。

この間、昔の原稿を読み返してみたんです。書き手としての未熟な面ばかりが目について(笑)。今にして思うとフリューゲルスの消滅は、いろんな意味で日本サッカー界の転換期に起こった出来事でしたよね。

あれがあったから、J2とかJ3とかができて、市民チーム的なクラブが主流になっていったし、大企業に依存しない市民クラブがどんどん増えていったのだと思います。一方で思うのが、当時の全日空のリストラを完全に否定できないところもあったんじゃないかと。

あれを断行したからこそ、9.11(2001年のアメリカ同時多発テロ)の危機を乗り切ることができた面もあったと、今になって思うんですよね。もちろん、それは企業側の論理ですけど。

私にとってのフリューゲルスですか? 初めてのスポーツの取材対象でしたね。ただ、これまでのスポーツの仕事をランキングにした場合、ベスト10には入るだろうけど、少なくともナンバーワンではないです。

私のナンバーワンは、車椅子の社交ダンスの取材中に聞いた話が、死ぬまで忘れられませんでした。ですから「フリューゲルスの悲劇」は、私の中では6番目か7番目くらいですかね。やっぱり冷たいですか(笑)。

<文中敬称略>

(取材・文:宇都宮徹壱)

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