甲子園43季連続取材中の記者が東筑「石田伝説」で思い出したこと

甲子園43季連続取材中の記者が東筑「石田伝説」で思い出したこと

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  • 更新日:2017/08/10

夏の甲子園が開幕。大会1日目、福岡から久々出場の公立校として注目を浴びた東筑が登場。福岡大会を一人で投げぬいたエース・石田旭昇は済美の強打に屈したが、思い出されるのは東筑に受け継がれる「石田伝説」だ。『スコアブックは知っている』などの著書があり、43季連続で甲子園を取材する楊順行氏が、夏の思い出と、球児たちとの希有な邂逅をひもとく。

東筑に受け継がれる「エース・石田」の系譜

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「雨で滑ったのか、変化球が浮いてしまいました。ストライクが取れないので、力勝負だとはじき返されることがわかっていても、まっすぐで勝負するしかなかった……」

大会第1日、雨の中断1時間16分を含む済美(愛媛)と東筑(福岡)の一戦。福岡大会7試合を一人で投げ抜いた東筑のエース・石田旭昇は、8回途中まで2ホーマー含む10失点に唇をかんだ。

こんなはずでは……というのは、青野浩彦監督も同じである。 「思ったところに変化球が投げられない。いろいろ工夫しながら投げてみろ、といいましたが、ボールが滑ることにちょっと神経質になったのか……最後まで、落ちるはずのボールが落ちてくれませんでしたね」 。結局、8回二死から石田がこの夏初めてマウンドを譲った東筑は、10対4で敗れることになる。東筑にとっては21年ぶり、福岡にとっても公立高校の出場はそのときの東筑以来のことだった。

そして話題になったのがもうひとつ。過去5回、夏の甲子園に出場している東筑だが、そのうち3回、エースが石田姓だった。その石田伝説が、今回も受け継がれているのである。 1996年に出場したときは、盛岡大付(岩手)に勝って初戦を突破した。そのときのエースは、石田泰隆さんという。

野球がつなぐ不思議な縁

私事だが、助っ人としてわれわれの草野球チームに参加してくれたことがあった。東筑卒業後立教大でプレーした石田さんが、のち出版社でアルバイトをしているときだ。

長いこと高校野球を取材していると、実際に接した高校生とのちに草野球を楽しむような、なんとも不思議な縁がある。

僕が中学生時代の最後の試合、最後の打者になりかねない打席。フルカウントからきわどいボールに手が出ず、三振か、と礼をしようとした瞬間に「ボール」と判定してくれた球審の方に、甲子園でお会いしたことがある。高野連の役員として、裏方の仕事をされていたのだ。

あるいは、取材した選手がたまたま飲み屋で知り合った人の息子だったり、同級生の息子がエースとして甲子園に出てきたり。高いレベルで野球を続けてから取材者となったのならめずらしくはないだろうが、僕の野球歴は小さな地方都市の中学時代まで。なかなか希有な邂逅だとひそかに思っている。

あの夏のヒーローはカメラマンになっていた

そして極めつけは……。

80年代の後半、高校日本代表の韓国遠征に帯同して取材した。

当然選手とは親しくなる。ある日その夏の甲子園で準優勝した投手と雑談していると、僕のカメラを手に取りながら、 「カメラ、好きなんですよねぇ。カメラマンになりたいんです」 と。

野球選手として前途洋々なのに、なぜ……と思ったものだが、20年以上たった野球取材の現場で、実際にカメラマンになっていた彼と再会したのである。選手としての野球に区切りをつけた彼はいまも、某出版社でスポーツに限らず幅広く活躍する名カメラマンだ。こういうことがあるから、おもしろい。

ちなみに、彼がかつて決勝で敗れた相手メンバーの一人が、この夏の甲子園に監督として登場する。"彼"がだれかわかったら、これは相当な高校野球通だ。

さてさて、今回敗れた東筑の石田旭昇は、まだ2年生。来年も甲子園に戻ってくれば、石田伝説がさらに続くことになる。

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