妊娠カレンダー――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

妊娠カレンダー――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

  • 文春オンライン
  • 更新日:2017/12/07

妊娠してから、

「マタニティライフ楽しんでね」

とよく言われる。

春先に妊娠が発覚し、安定期に入った夏に発表をしてから、その回数は日ごとに増えていった。

友人は私の膨らんだお腹を見ながら、優しい眼差しで言う。

「妊娠生活、あっという間だね」

「お腹の中にいる短い時間を大切にね」

もしかするとそれらは、妊婦に対してかける世間的な決まり文句なのかもしれない。

飛行機に乗る時、英語ではHave a good flight と声をかける。良いフライトを、という意味だ。マタニティライフ楽しんでねというのも、きっとそんな定型文の一つなのだろう。

でも、その言葉に対して素直にウンと頷ける妊婦は一人もいないのではないかと、私は思ってしまう。

マタニティライフは、はっきり言って楽しくない。

つわりは大体九週ごろから始まることが多いが、私も例に漏れずにその頃から胃液がこみ上げ始め、立っていられない程の眠気に襲われるようになった。

その頃、襲いくるつわりと戦いながら、私は中国へと飛んだ。ちょうど香港、中国二都市でライブがあり、一週間で六度ステージに立つことになっていたのだ。

家にいたところで体調が良くなる訳ではないし、香港や中国のファンに会えること自体はとても嬉しい。

でも、どうしたらマタニティライフを楽しめるのかはまったく分からなかった。

体はだるいし、胃がむかむかする。

ライブが終わってもみんなとお酒を飲むことも出来ずに、私は一人ベッドに寝転んで妊娠にまつわる情報を検索し続けていた。

もし今日生まれてしまったらどうなってしまうのだろう。もし子供に何かあったらどうしたらいいのだろう。

もう何度も見たはずの記事を、繰り返し読んでしまう。情報を取込みすぎては駄目だと思いながらも、気づいたら携帯の画面を何時間もスクロールしていた。

妊娠生活はあっという間なんかではないのだ。妊婦にとって、流産や早産の不安を抱えながら過ごす一日は、本当に長い。

そんな時間の一体どこを楽しんだら良いというのだろう?

私は幸せよりも遥かに不安が上回ってしまう日々を、

「やっと五十日」

「やっと百日」

と、数えるように過ごし始めることになった。

マタニティライフは大変なことも多いが、奇妙なことも多かった。

私の場合、つわりが落ち着き始めた十五週頃、突然世界がグロテスクに見える瞬間が訪れた。

例えば洗濯したての自分の下着や、リビングに置かれたビールの空き缶など、いつもなら気にもとめないようなものが、まるで口を開いた食虫植物のように見えてしまうのだ。

下着についたひらひらとしたレースは虫を捕食するための葉のようになびき、ビールの飲み口が消化器官のようにぽっかりと穴を開けているように見える。

その瞬間、出した手を引っ込める私の胸のあたりに、嫌悪感が走るのだった。

気持ち悪い。

どうしてそんなことが起きるのか全く分からなかったが、およそグロテスクとはかけ離れたものを見ては気持ち悪いと思ってしまう自分が、自分じゃないように思えて恐ろしかった。

妊娠は時に私を困惑させ、驚かせ、怯えさせる。

小川洋子さんの「妊娠カレンダー」に出てくる妊婦の一人も、自分の意思とは無関係に自分の体の中で成長していく子供に対して、戸惑いの言葉を述べていた。

―――

「ここで一人勝手にどんどん膨らんでいる生物が、自分の赤ん坊だってことが、どうしてもうまく理解できないの。抽象的で漠然としてて、だけど絶対的で逃げられない。朝目覚める前、深い眠りの底からゆっくり浮かび上がってくる途中に、つわりやM病院やこの大きなお腹やそんなものすべてが幻に思える瞬間があるの。その一瞬、何だ全部夢だったんだって、晴れ晴れした気分になれるの。だけどすっかり目が覚めて、自分の身体を眺めてしまうともうだめ。たまらなく憂鬱になってしまう。ああ、わたしは赤ん坊に出会うことを恐れているんだわって、自分で分るの」(「妊娠カレンダー」)

―――

それでも私は、私を戸惑わせるまだ見ることも触ることも出来ない生物にむかって毎日話しかけている。

例えばライブが終わった後、何本も取材を受けた後などに、

「今日は大きい音が鳴ってたの、聞こえたかな」

「朝から忙しかったから、疲れたねえ」

という風に。

でもそれを母性と言ってしまうのには、少々違和感がある。

誤解を恐れずに言えば、宗教的な感覚に似ているのかもしれないと思う。存在すると信じて声を出すことは、どこか祈りに似ているような気がするからだ。

どうか無事でいて欲しい。どうか生きていて欲しい。

そんな風に思いながら、まだ膨らみのないお腹に向かって私は一人で祈りを捧げていた。

何の変化もない腹部に話しかける行為は、側から見れば奇妙に映っていたのかもしれない。

「寝てるのかな、起きてるのかな」

「居心地はどうかな」

でも独り言のように話し続ける私の姿を見て、いつしかそこに旦那さんが参加するようになった。

彼はテレビ番組の収録に向かう私(のお腹)に向かって、

「今日はテレビに出るんだよ」

「お腹の中でいい子にしててね」

と話しかけた。

妊娠を発表できた日には、

「すごくたくさんの人がおめでとうって言ってくれたよ」

と嬉しそうに報告していた。

お腹が膨らんでくると、旦那さん以外にも次第にいろんな人がお腹に向かって声をかけてくれるようになった。

ミュージックステーションに出演した時には、タモリさんが、

「よーし、スポッと生まれてきなさい!」

と言いながら真剣な顔で安産祈願を書いてくださり、

母と父は感慨深そうに私のお腹を眺めながら

「あともうちょっと頑張らなあかんよ。はよ出てきたらあかんからね」

と出身地の言葉である関西弁で声をかけてくれた。

メンバーはレコーディング中、ギターの音色を確認する度に、

「さおりちゃんのお腹の子供に、ジャズマスターのギターの音色をもう一回聴かせてやってくれ!」

と言って、

「どう? 良い音だと思う?」

と笑いながら話しかけてくれた。

マタニティライフは楽しくない。

体調を崩し、不安を抱えながら過ごす日々は、とてつもなく長い。この期間無しに子供が生まれてきてくれるならどんなに良いだろうと、正直なところ今でも思ってしまう。

でも、現段階では見ることも触ることも出来ないお腹の子供に向かって誰かが声をかけてくれる時、私はとても心強い気持ちになれる。

まるで、一緒に祈りを捧げて貰っているように。

お腹が大きくなった今でも、本当に小さな子供が自分の中にいるとは信じられないような気分になるけれど、それでも私は声をかけ続けるだろう。

この気持ちが届くと信じて、産声に向かって微笑むことが出来る日まで。

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著者・藤崎彩織

(藤崎 彩織(SEKAI NO OWARI))

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