「祖父は統治する人が変わったという感覚だったよう」 沖縄本土復帰50年、出身大学生たちの思い

「祖父は統治する人が変わったという感覚だったよう」 沖縄本土復帰50年、出身大学生たちの思い

  • 神戸新聞NEXT
  • 更新日:2022/05/14

沖縄の本土復帰から15日で50年を迎える。半世紀の節目を前に、芸術文化観光専門職大学(兵庫県豊岡市)に在学する沖縄県出身の2年大嵩(おおたけ)洸輝さん(19)=浦添市=と2年島袋凜さん(19)=糸満市、1年島袋あおいさん(18)=那覇市=の3人に、沖縄のたどった歴史や、現状などについて率直な思いを聞いた。(石川 翠)

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沖縄出身の(左から)島袋凜さん、大嵩洸輝さん、島袋あおいさん=芸術文化観光専門職大学

-沖縄戦に関して印象深かったことは。

大嵩 (沖縄戦が事実上終結した)6月23日の「慰霊の日」近くになると語り部から体験を聞く機会はあったが、祖父母は話したがらず、直接聞いたことはほとんどない。

中高時代は部活で、修学旅行生たちにガイドをしていた。主に首里城を案内したが、(通っていた)学校近くの激戦地で「シュガーローフ」と呼ばれていた丘が残り、今は再開発された一帯「新都心」の変遷を説明したこともある。

島袋凜 渡嘉敷島出身の祖父は、集団自決で自分の手りゅう弾が爆発せずに一命をとりとめたが、母親を亡くした。私が幼い頃には少し当時のことを教えてくれたけど、今はつらくて話してくれない。

高校の部活で(野戦病院で負傷兵の看護に当たった)「白梅学徒隊」がたどったルートのガイドをしていた。自分の同世代の子が体験したことなのだと改めて感じた。

島袋あ 私の祖父母も孫には語りたくないようで話を聞いたことがなかった。けれど最近、子どもたちに語り始めたようで、父が文章にまとめている。

平和学習に使用される「瑞泉学徒隊」に関する短編映画作りに参加し、壕の中で麻酔なしの治療をするシーンの撮影などを通して当時の疑似体験をしたが、祖父が語りたくないという気持ちが少し分かった。

-本土復帰後も残る米軍基地については。

島袋凜 (米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡る)県民投票が(2019年に)行われた時には、祖父母から意見を聞かれたけど、正直どう捉えていいか分からなかった。

米軍機の部品の落下事故などで基地の話題になる時は、親が基地関連の仕事をしている子もいるので「一概に悪いとは言えないよね」という一言が付いて、全否定はできない。

島袋あ 基地関連のニュースは暴行事件など悪いことばかりでプラスのイメージは持っていない。だから辺野古移設も沖縄にとっては良くないことなのかなと何となく思う。県民投票と直前に知事選もあって、あの機会にちゃんと勉強すれば良かった。

大嵩 地元の子どもオーケストラに入っていて、基地の中の子もメンバーにいたり、幼い頃も一緒に遊んだりしていたので、嫌悪感は抱いていない。「フェンスの向こう側に友達が住んでる」くらいの感覚。

祖父が建設系の仕事をしていて、戦前の日本の統治時には貧しい状況で体罰を受けるなど過酷だったが、米国の統治になって環境が良くなったと話していた。返還で日本に帰ってきたというよりは、統治する人が変わったという感覚だったようだ。

-改めて思うことは。

島袋凜 祖父は戦争で小学校に行けず、片目を失明したが、教員になった。恵まれた環境にいる自分は何ができるだろうかと思い続けている。

大嵩 沖縄戦について学ぶことはあったけど、返還されてからも厳しい状況があったことや、基地に関してニュースで流れること以外のことも知りたい。

島袋あ 私たちの世代が戦争経験者の生の声を聞ける最後の世代で、話す方も聞く方もつらいけど、知ることから逃げちゃいけないなと思う。

演劇を学びたくて入学したけど、演劇は時代の空気そのものを継承していけるものかなと思うので本州の人に沖縄の歴史や文化を伝えていける人になりたい。

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