「小山田圭吾」がオリンピックに相応しくない最大の理由

「小山田圭吾」がオリンピックに相応しくない最大の理由

  • JBpress
  • 更新日:2021/07/23
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東京は五輪開催でとんでもない恥を世界に発信してしまった

「小山田圭吾」という芸能人の顔も声もよく知りません。芸能界と関わった時期を含め30年ほど仕事で音楽に関わっていますが、縁がない。

ただ名前は大学の学園祭でスタッフとして働いてもらった後輩、小沢健二君とユニットを組んでデビューした相手として、30数年前から知っています。

今回また再燃した話題も30年来聞き及んでいますので、その音楽にも興味がありません。

いまの大半のメディアが取り上げる「小山田圭吾」問題は、基本的なピントがずれています。特に私が40年来関わってきた欧州由来の芸術表現倫理から一番まずい点が、ほぼ完全にスルーされている。

「子供時代に障害者差別をした」うんぬんは、ここでの倫理の議論にはなりません。

2021年、東京五輪という国際的な文化と平和のメディア発信において、そのコンテンツの主要な「クリエーター」表現発信者としての適性を問うとき、その適性が疑われます。

言及する記事はないかと探してみました。現時点では一つだけ(https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210719-00248671)、今井佐緒里さんというフランス在住のEU研究者の人が、一部ポイントの重なることを書いていました。リンクしておきます。

私が見た限り、あとは茂木健一郎氏が少しかする程度、大半は問題外でした。

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メディアで繰り返した確信犯「いじめ営業」

報道されている限り、「小山田圭吾」は3回、自らの「イジメ」を営利媒体に営業ベースで雑誌掲載しています。すべてインターネット以前の出来事で、雑誌の持つ若年層への影響は小さくありませんでした。

最初は1991年9月「月刊カドカワ」インタビューの中で言及。

次は、カドカワを見ていたのかどうか分かりませんが、1994年1月「ロッキング・オン・ジャパン」。これもインタビューの中で、より詳細に「性的イジメ」「排泄物を食べさせる」などに言及。

そして一番大きいのが1995年8月「クイック・ジャパン」。これがいけません。

この記事は「いじめ紀行 第1回」として、紙幅も20ページ以上ある「いじめ」そのものを特集読み物として提供する企画。

それに、20歳もとうに過ぎた(当時26歳)大人が、積極的に登壇して誌面協力。

障害のある同級生を継続的に虐待する計画犯として中心的な役割を果たし、「排泄物を食べさせたり」「衆人環視の中で性行為を強要したり」を「自分はやらず、面白いことを考えて他の人間にやらせ、それを見て喜んでいた」ことなどを披瀝。

これらを「売り物」に雑誌に記事を掲載、営業していたことこそが、今回の五輪音楽任用で最大の問題なのです。

つまり「東京五輪という国際的な文化と平和のメディア発信において、そのコンテンツの主要なクリエーター、表現発信者としての適性」があるのか、と問われる部分です。

ちなみに、五輪開会式でも「作曲家」は自分は必ずしも行為に参加しません。

「面白いことを考えて他の人間にやらせ」それで少なくない報酬も得るというビジネスでもあります。

こうした場で、このような過去の営利事実があると、少なくとも欧州の倫理基準では不適格と判断される公算が高い。

さて、日本は面白い国で、五輪の公式スポークスマンは「高い倫理観を持って創作活動するクリエーターと考えて」留任を強調したのだそうです。

国際的にはそのようなことはありません。

公衆の面前で性的いじめを計画立案、強要したと30歳近くなっても複数回、メディアで自ら喧伝している人は、普通こうした場で避けられます。

本人弁だけで事実かどうか不明

JBpressは品位を重視するメディアで、以下が掲載されるか分かりませんが、引用した方が早いので「ロッキング・オン」記事を一部伏字で引用します。

小山田圭吾「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオ*ニーさしてさ。ウ*コを喰わしたりさ。ウ*コ喰わした上にバックドロップしたり」

小山田圭吾「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ。僕はアイディアを提供するだけでさ(笑)」

山崎洋一郎・ロッキング・オン編集長「アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)。

小山田圭吾「そうそうそう!「こうやったら面白いんじゃないの?」って(笑)」

という「話」をしている。事実の確認は一切行われていない。

これらが現実にあった出来事なのかどうかは、全く分かりません。その場で吹いているだけかもしれないし、編集部が脚色した可能性もある。

ただ、1994年1月、25歳直前の彼は、このように不特定多数に向けて、自ら進んで公衆情報発信した。これは間違いない、揺るぎようのないファクトです。

この記事を見て興味を持ったという「クイック・ジャパン」は、1年半ほどのちに小山田圭吾(の事務所、でしょう)に接触、ビジネス案件を打診し、小山田側は事務所を含め、それを受けた。

「いじめ紀行」20ページ超の連載企画「第1弾」として、誌面を埋めている。

今回、版元の太田出版が、大慌てで「これはイジメた側とイジメられた側の対談企画で・・・」などと謝罪コメントを出していますが、「イジメ」を客寄せに営利しているのは否みようがない。

これはもう、ダメです。国際標準の普通の倫理ではあり得ない。

考えてみてください。例えば「ナチス紀行」特集をドイツで出したら何が起きるでしょう。

ホロコーストでユダヤ人を迫害したナチス秘密警察とユダヤ人収監者の対談企画・・・ドイツでは法律があり、ナチス関係事犯には時効もない、下手な記事を作れば2021年現在でも刑事事案になります。

1995年といえば1月に阪神大震災、3月には地下鉄サリン事件があり、それらとも関連するPTSDから思春期の少年「酒鬼薔薇聖斗」が兵庫県で「神戸連続少年殺傷事件」を起こすのは、その2年後、1997年の春から初夏にかけてのことでした。

「酒鬼薔薇聖斗」も、障害者の児童をターゲットに選んでいます。

酒鬼薔薇が「クイックジャパン」の当該号を参考にしたとか、しなかったとか、そういうことは分かりませんし、言いません。ただこの時期にこうした「ゆがんだ14歳」を育ててしまった背景があります。

社会的影響のメディア上流に「いじめ紀行」的なものを喜ぶ歪んだ大衆心理があったとは間違いなく、似たような悪趣味な興味本位企画がたくさんあった。

当時、私は30代前半で、テレビでは音楽番組の責任も持っており、各種雑誌にも目を通していましたので、よく覚えています。

さて翻って、2021年7月、報道メディア全般の体たらく、これはいったい何なのでしょう?

小山田「メディア営業」は一切無視され、語られません。

「子供の時、同級生の障害者をいじめた」云々・・・それだけが事実のように伝える。 そんな媒体があれば、すべて報道機関として一丁目一番地で失格です。

そもそも誰もイジメの現場を見ていないし、立証もされていない。その裏取りすら眼中にない。

冷静に考えてみましょう。ここあるのは、「こんないじめをした」と、過去の経験として披瀝している「小山田圭吾」の発信情報だけです。

加えて、その「情報」を少なくとも3回、営業前提のエンターテインメント雑誌に、最後は「いじめ」に特化した「エンターテインメント」特集に構成協力してビジネス展開。

「かつてイジメもしてたんだよな~」という、間違ってもいじめられっ子ではない、ちょいワル「渋谷系」キャラクターを演出し売っていたことが、一番救いようがありません。

「カッコイイ元いじめっ子、いまはトガッたミュージシャン」風の営業です。

「それがプラスになる」と判断しないことを芸能人、特に芸能事務所は公衆の面前に晒しません。

このケースでは足掛け4年、3回にわたって繰り返しており、事務所がついていて、マネジャーは必ずウルサく原稿をチェックするのが仕事ですから、変な情報が出ると彼彼女のクビが普通に飛ぶ。

つまり、事務所ぐるみでチェックしているはずの原稿で、これを繰り返しやっている。だからダメなのです。ちょっと子供時代イジメやってました、ゴメン、といった話ではない。

私がこれを問うのは、25年前のこの時も感じましたが、そうしたメディア営利が影響して、「酒鬼薔薇」の殺人事件なども起きているので、見過ごすべきではないと思うからです。

抵抗できない弱い対象に向けて「面白いイジメのアイデアを提供して自分は手を汚さず見ている」と楽し気に語って見せる、絶対的、圧倒的に優位が保証されている26歳。

この時点で、あらゆる表現の倫理に照らして失格、一度筆を折ってやり直しというのが、戦後欧州でナチス協力者に課された倫理です。

いや日本でも、戦時協力した山田耕筰さんは抹殺され、彼を支援していた三井グループは新しい文化の牽引層を作るべく「桐朋学園」女子高校音楽課程を創設、1期生の小澤征爾君以下を育てていきます。

山田さんの音楽で戦地に送られ、何万、何十万という若者が死んだ。不特定多数への情報発信の倫理とは、その責任を引き受けることです。

「また何度も蒸し返されるんだろうな」といった「擁護論」を見ましたが、何度もではない。ドイツでのナチス追及は、本人の死後に至っても止まることがありません。

山田耕筰さんも楽壇から消されました。

そこでGHQの占領明けにかけて作られたのが、小沢健二君の伯父さんでもある小沢征爾氏も育成した「桐朋学園」女子高等学校特設音楽課程であり、財務を担当した三井不動産、江戸英雄の部下たち(というか私の母の兄、藤田英雄など)は、戦後の「新文化」を再度ゼロから立ち上げるミッションを自覚していました。

私はこうした全舞台裏をリアルタイムで見ているので、こんな世も末なことを許容するわけにはいかないのです。

現在の日本の法律では、こうしたことには刑事責任も民事責任も問われません。

しかし、道義的責任は間違いなく存在し、ドイツやフランスなどEUであれば、半永久的にメディア上でビジネスはできない重篤な反倫理の営利行為と認定されるでしょう。

上のリンクでも別の形で「誤訳」が指摘されていましたが、メディア・アビュースという最大のポイントにはあまり触れられていませんでした。

覆水盆に返らず

先ほど「酒鬼薔薇聖斗」を挙げました。

今回の「小山田」ケース同様、障害者児童が犠牲になっており、小山田記事とはいいませんが「いじめ紀行」的な雑誌メディア情報が、この事件に影響を及ぼしていることが指摘されているからにほかなりません。

私はこのとき32歳で「題名のない音楽会」の音楽監督として不特定多数視聴者へのメディア発信に責任をもっていたのに加え、2年前の「地下鉄サリン事件」で同級生が実行犯となって収監されていました。

意識をもってこの件を調べ、関西での仕事で半日時間が空いた時、須磨の「友が丘中学校」や「タンク山」などの現場にも赴いたので、よく覚えています。

「いじめ紀行」に類するプロパガンダは、1930年代、ナチス・ドイツがラジオメディアを駆使して展開した反ユダヤのデマゴギー、また上記の「小山田インタビュー」の直後にアフリカのルワンダ共和国で発生した「ジェノサイド」でのラジオ・プロパガンダと共通点が多く、およそ看過されるべきものではありません。

この問題は2021年7月、東京オリンピック2020の開催直前になって、にわかに注目が集まったものですが、海外からも批判が集まり、政府も対策検討を示唆、加藤勝信官房長官も言及しました。ところが、何とスポークスマンも選挙も気になる官邸すら大切な点は無視。

「こんなタイミングで段取りが変わったら現場が成立しない」といった理由にならない理由らしいですが、「ご本人が発言について後悔して反省しておられる」「現在は高い倫理観を持って創作活動するクリエーターと考えている」と小山田留任を強調。

直後に本人の方から「辞任」して楽曲も使わないことになり、本稿は20日に書いていますが、現場はしっちゃかめっちゃかでしょう。

「つつがなく、ものごとが進めばよい」という事なかれ主義の事務方と、「モラルなど無関係なクリエーター現場の営業体質」が両輪となって、一過性の無反省なお祭りというのが実態でしょう。

今回は記しませんでしたが、戦争犯罪人として処断されておかしくなかった「西条八十・古関裕而」が東京五輪で「平和の祭典」で営業できた過去と同様のケースが繰り返されただけ、とも言えます。

西条八十と古関裕而がいったい何をやったのかは、オリンピックと並行して広島、長崎、あるいは終戦の日前後に記そうと思いますが一部だけ紹介します。

ただし、以下は歌の名前ですので念のため。

「みんな揃って翼賛だ」(1941)

「若鷲の歌」(予科練の歌)(1943)

「比島決戦の歌」(1943)

「女子挺身隊の歌」(1944)

いずれも西条八十詞・古関裕而曲。

それが戦後は手のひらを返して「山形縣スポーツ県民歌」(1948)「ひめゆりの塔」(1953)などでしおらしいポーズとともに、転んで掴んだスポーツ・マーケットにも着実に手を伸ばします。

「我が家の灯」「花売馬車」(美空ひばり 1955)と大衆路線の営業に復帰していく。

それから10年、1964年には「平和と文化の祭典」もカエルの面に小便だった。今回のことも、このように考えると大して驚くべきことではありません。日本国内限定では・・・。

国際的には驚天動地ですが、井の中の蛙にはあまり関係がないようです。今回の「小山田圭吾」問題、スポークスパーソンうんぬんは・・・。まあ、そういう「倫理」です。

伊東 乾

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