グレーバーが示したオルタナティブの可能性<デビッド・グレーバー追悼対談:酒井隆史×矢部史郎>

グレーバーが示したオルタナティブの可能性<デビッド・グレーバー追悼対談:酒井隆史×矢部史郎>

  • ハーバービジネスオンライン
  • 更新日:2021/01/13
No image

2018年のデビッド・グレーバー(Photo by Manuel Vazquez/Contour by Getty Images)

世界的に著名な人類学者であり、活動家でもあったデヴィッド・グレーバーが昨年急逝した。グレーバーの功績とは?日本ではいかに読まれたのか?「紀伊国屋じんぶん大賞2021」第1位も獲得した、グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)の翻訳者である酒井隆史さん(大阪府立大教授)に、矢部史郎さんがお話を伺う。(本対談は全部で3部構成で、今回は第3回目。第1回第2回

(構成:福田慶太

◆基盤的コミュニズム

酒井 グレーバーは人類学で大きな業績をあげているけど、かれは自分がマルセル・モースに近いっていっていた。モースはフィールドワークをやってはいないけど、古典学者、文献学者、大知識人的な要素がある。いろんな文明のことを語って、それを比較するとか。

グレーバーはフィールドワークをちゃんとやっていたけど、モースのやり方に近いところがある。たとえば中国の哲学を引用したり、インドのヴェーダに言及するとか、哲学の起源を語ったりとか、言及先が幅広くて人類学のフレームを超えているところがある。

『負債論』(以文社)のキーワードは「基盤的コミュニズム」だけど、あれは実は、類似した多くの著作とかれの議論を分かつ決定的モメントなんだよね。「能力に応じて、必要に応じて」というコミュニズムの定式はマルクスらと共有しつつ、それをいつか実現すべき未来ではなく、この世界を構成する生地に変えてみせた。かれにかかれば、資本主義すら「コミュニズムのまずい組織化」の一例になる。

矢部 あれもこれも、とさまざまなものに触れ、語って、「基盤的コミュニズム」を見出すのがグレーバーのすごさとして、そのバックボーンにはあるものはなんだろう。

◆サパティスタの影響

酒井 やっぱり強調しないとならないのは運動の力。たとえば、(メキシコ・チアパス州の)サパティスタの闘争。そもそも僕らだって、現代世界におけるネオリベラリズムについて、1980年代の中曽根改革を超えた重大な意味をもつことを知ったのは、サパティスタの反乱だった。グレーバーの最近の言説などから考えても、やっぱり、1990年代から現在に至るまで、サパティスタというのがどれほど影響が大きかったかということを実感する。

先住民と都市ゲリラが一緒になって、しかも先住民の知恵に学びつつ、過去の革命の苦い経験の反省のうえから権力の奪取という方法をとらず、苦しいなかで実際に自治を継続している。個人主義的、セクト主義的だったアナキストとは違う世代のアナキストたちが生まれたのも、いまさらながらサパティスタの蜂起の影響力は大きかったとおもう。コンセンサス、連合、水平性、いまここでコミュニズムを実現していくという指向性。

矢部くんとの対談を読むと、矢部くんがこういうことをいっている。「更に彼らが言っていたのは、この大晦日の蜂起(引用注:いわゆるサパティスタの蜂起とされているもの)は二回目の革命である。一回目は既に蜂起の前に自分たちの内部で起きていた。それは先住民の革命評議会の中で女性たちが発言をしたときなんだと。つまり、発言する、表現をする、見えなかったことが目の前に現れる、ということが運動にとってものすごく重要な要素になってきていると思います」。

先住民やフェミニズムが積み上げていったものを継承しながら発展させていくというような運動の流れがあり、グレーバーも人類学的な自分のフィールドが持つ意味をあらためて見出す。

◆著作権的作家主義の拒絶

酒井 それで、ここで銘記しておきたいのは、グレーバーがそれこそ「著作権的作家主義」をつねに拒絶していたこと。対談でも、あたらしい思考、あたらしい概念が、あたかも大学の大知識人から飛び出てくるものだ、という発想を批判している。それはたいてい、当時の民衆運動をはじめとする社会のなかから出てきたものであり、無名の創作物である。

グレーバーが亡くなったので、いまこういう語りをせざるをえなくなっているけれども、ほんとうは自分にとっては、直接に固有名として対象にするんじゃなくて、おなじ世界でおなじ現象を前にして、傍らでとんでもない精力で考えつづけていて、ヒントを与えてくれるひと。

でもこういう語りをすることが、グレーバーをそのようなビッグネームの一列、「著作権的作家主義」の知識人にしてしまうかもしれず、かれ自身は、つねにそういう知識人のあり方を徹底的に批判していたことは強調しておかねばならない。でも「グレーバー主義」のようなものはあんまり想像できない。それに必要な秘教的なところも教祖的なところもないしね。

矢部 グレーバーの名前を冠した主義、というようにはならないとおもうなあ。

酒井 マルキシズムはそれこそ、マルキシズムからはじまって、グラムシ主義、ローザ主義、トロツキズムなど、個人名を冠した潮流を作るけど、アナキズムはそれがないとよくいっていた。

アナキズムに近いほどマルキシズムも個人名を冠さなくなる。評議会コミュニズム、「社会主義か野蛮か」グループ、シチュアシオニスト、アウトノミア、などなど。

有名な(オキュパイ運動の)「我々は99%」というスローガンだって、グレーバーが発案したものだということになっていて、まあ説明しやすいから時々こちらもそれを出すけど、べつにわれわれにとってはどうでもいいことだよね。スローガンをだれが発明したかなんて。グレーバー自身も「自分は99%というアイデアは出したけど、そこにWe areをつけたのは複数の活動家だ」といっている。もちろん、運動のなかでいろいろあるのは知っているし、グレーバーにも問題がなかったとはまったくいわない。でもひとまずここは押さえておきたい。

◆前衛主義の罠

矢部 グレーバーがなんかの方針を押し付ける、というのはあんまりしないでしょう。むしろひたすら問題を明らかにしたり励ましたり、可能性を見出すようにしたり。こうすれば、絶望しないでちょっとだけ希望があるんじゃないか、と。

酒井 これは『世界』(岩波書店)の(昨年)11月号の追悼文で書いたんだけど、知的なことに携わっているひとの罠に「ひとを指導したい」ということがある。それは「前衛主義」だけの問題じゃない。保守主義とかリベラルだって、「あれは不可能である」「これはダメだ」「それは無理」とかいって、ひとの選択肢を狭めるのは一緒でしょう。

矢部 で、その方針に従わなければ、もう絶望しかないんだよ、ほかに道はないんだよ、と狭めてしまう。

酒井 そう。基本的に、左翼の前衛主義を批判しているひとのほうが、前衛主義への自覚がないだけ危うい。で、そういうひとたちって、未来を予想したらだいたいひとつかふたつの選択肢しか出せないわけでしょ。それなのに、こうやったらうまくいく、っていっている。

『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)でハッとした語り口があって、「どうせアナキズム的な原理なんてうまくいかない」という懐疑主義者が、「そんなことをいっても、実際にはそんなことできないんだろう?」といってくるのに、グレーバーがいっぱい事例をあげるわけ。

マダガスカルとかどこかの先住民がこんなことをやっているとか、こんなことがあった、あんなことがあったとか。で、「それは昔の話じゃないか。今はこんなに複雑な社会なんだ。そんなんじゃやっていけないぞ。テクノロジーがこんなに進展していて、そんなことができるわけない」といわれても、グレーバーは「それはちょっとおかしい」と。「テクノロジーが進展しているのならば、もっとほかに可能性が出てきているはずじゃないか」というんだよね。ハッとするのはここ。

矢部 反転。最初に出た、「空飛ぶ自動車」の話にもつながる。

酒井 だって実際にそうなんだから。我々の科学技術はこれほど発展している、なのになんで経済的可能性をひとつのもの、として考えてしまうのか。そういうことに対してグレーバーは、それ、逆じゃないの? というんだよね。その発想にショックというか、こういう風に発想するんだと。

なんだかんだいってマルクス主義者も近代主義者も保守主義者も右翼も、これしかないんだ、とテクノロジーの進展に伴ってわざわざ可能性を切り縮めている。

矢部 もうこういうことしかできなくなった、ということばっかりいう。

◆永遠の楽天主義者

酒井 グレーバーは、そういう可能性の切り縮めに対して、いや違うよ、アナキストはこういう発想をするんだよ、というんだよね。でさ、そういわれてみて、改めて自分を振り返るじゃない、で、ああ、そういう発想なんて全然してこなかったなあとおもって。

矢部 悲観主義的、ペシミスティックになって。

酒井 グレーバーは晩年に、自らのことを「永遠の楽天主義者」といっていた。楽天主義というのはカッコ悪いとされがちだけど。

矢部 シニカル、ペシミスティックなほうがカッコよくおもわれがちだから。

酒井 でも、シニカルなのがカッコいい、っていうのって、それって要するに子供でしょ。もちろんね、楽天主義といっても、ほんとうに愚直に知性と可能性を信じていないと、ただのアホでもあるし、実際のところ、そういうひとだっていっぱいいる。とくに大学の教師で、自分の学生だけみて「若い世代にはこんなに希望がある」といいたがるってあるけど、ああいうのをみるとほんとうに絶望的になる。ドゥルーズがいっているじゃない、「人間が絶望して死にたくなる時というのは、テレビでの楽天主義的な発言を聞いた時」とかいうの。

矢部 ドゥルーズでいえば、「ぞっとするほど低俗なものを見たときに、やっぱり哲学をやらなきゃ、とおもう、と。それが哲学の動機です」というのもあって(笑)。

酒井 そうそう。で、左派の好む(マルクス主義思想家の)アントニオ・グラムシの言葉があるでしょう。「知性のペシミズム、意志のオプティミズム」。

グラムシは好きだけど、あれが引用されるとなんかブルーになる。知性でダメなものを意志で押すなんて、これって日本の軍隊とも通じない?

だったら、反グラムシ的なネグリたちの逆転のほうが好ましい。「意志のペシミズムと、知性のオプティミズム」ね。でも、グレーバーって、こうした意志と知性の区別がないというか、意志においても知性においても楽天主義というか、なんでしょう、人類史から事実としての裏づけを持って出してくれるから、あ、そうなんだとおもってしまうんだよね。あんまり好きな言葉じゃないけど、「中二病」的な気取りが入ると、ペシミスティックになり、シニシズムなどに走って、それを知性だと勘違いしてしまう。

矢部 青年期にはありがちなことではあるけれど。

酒井 そういう気取りだって、一概に否定できることじゃないけども、ただいつまでもそういうわけにもいかない。

◆「30歳を過ぎて、ユートピア主義者でないのは愚かだ」

酒井 それと、(政治家の)ウィンストン・チャーチルがいったということになっている「25歳でリベラルでないのはひとでなしだが、30歳で保守主義でないのは愚かである」という言葉があるんだけど――実際にはチャーチルは、15歳のときに保守主義者で、35歳のときはリベラルだったけれども――グレーバーはそれをパロディにして「30歳を過ぎて、ユートピア主義者でないのは愚かだ」といっている。

グレーバーはプラトン的、ヨーロッパ的な伝統がユートピア主義をおとしめていると嘆くんだよね。その伝統って、それこそ条理でもって整然と都市を構成するような発想のことね。

それに対して、ユートピアにはべつの要素がある。「ユートピア主義っていうのは、可能性を信じるというところで誰でも本来は幾分か持っているものであって、その上で、なにがしかの経験がアナキズム的原理でうまくいく、それを信じるような契機を持った人間がアナキストになる」といってるんだけど、これ、よくわかる。

実際、自分たちがなんの指導もなしにうまくやった経験、むしろ全部委ねられたからこそうまくいった経験というか、「(津波が来たらとにかく各自が誰にもかまわず高台に逃げよ、という教えの)津波てんでんこ」だってそうでしょ。津波で逃げられなくて多くの子供が亡くなった小学校とかはその逆で。

矢部 「津波てんでんこ」の逆で、学校からの指示のために助からなかったケースもあったね。

◆可能性を膨らませる

酒井 それこそユートピア的経験とは真逆のものだよね。

警察や警察的なものとか、国家なんかなしで、要するにリヴァイアサン的な発想をしないでやっていける、という確信を持てるような契機って、人類はもともと普遍的に持っているはずなのだけれども、ところが「たいした意味はない」とか「限定された経験だ」とか、そんなふうに囲いこまれてしまって、それを膨らませられなくなっている。

でも、それを膨らますことができるひとが稀にいる。そういったひとをアナキストというんだろうけど、そういうのってよくわかる。なぜかっていうと、自分の好きな思想家やひとって、だいたいそういう、膨らますような発想をするひとだから。たとえば谷川雁とか(思想家の)ヴァルター・ベンヤミンのように、日常的な経験を軽くみないで、生活の卑俗な一コマからとてつもなく思想を膨らますことができる。

だから、というか、そういうところでグレーバーも出会った最初から好きなんだよね。だって、全面展開しているんだから。矢部くんとの対談でもいってるでしょう。「現実に存在する権力がどうしようもないということを教える必要はないのです。そんなことはみんな知っている。知りすぎていると思いますね(笑)。ひとびとを説得するのが難しいのは、本当のオルタナティヴが可能だということです。そしてそこに向かうために、状況を今よりも酷くする必要はないということが重要です。まず視点の問題として転換しなくてはいけないのは、現実にそういうオルタナティヴがこの世界にあることを伝え、それを理解してもらえるようにしなくてはいけないということです」。

矢部 『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』も、20年ぶりにあった昔の友人がぼやいているところから始まっている。かれは一時期、音楽をやっていたけど、結局企業の顧問弁護士になってしまった。

あの、自分が宙吊りになっている感覚というか、なんともいえない挫折感ね、挫折はしているけど一応の社会的地位とかサラリーはあって、でも埋められないなにかというか、埋める、っていう感覚自体がそもそも問題なんだけど、とにかくなにかがあって、あああ、これってほんとうにあああ、としか日本語ではいえないんだけど、でもあの感じを鋭敏に描写しながら、なおかつ全面展開できるのがグレーバーの強みというか。

で、そういう感覚に対して鋭敏であろうとするのがアナキストなんだよね。この感じ、わかってほしいなあ。というか、グレーバーのいう、「予示的政治」でもなんでもいいけど、そういう意識や感覚に対して、虚心坦懐というか、理論でも実践でも、開かれている、開こう、開いているぜ、と応じるのがアナキズムなんだけどね。

酒井 音楽をやっているひとが国際主義者であったりアナキストであったりする率が高いことに通じるものがあるとおもってて。

矢部 バンドなんかだとセッションというのがあって。ジャズとかも。

酒井 ジャズは指揮者がいなくてその場その場でやっていく。ある意味でそれはユートピアなんだよね。アナキズムの原理が実現している。むしろ、指示や指導があったりするとうまくいかなかったりする。そういった経験をユートピア的なものとして確信する、そこまでいくひとは少ないんだけど、それでもいることはいる。そういう発想のしかたが、自分の根幹になっている、というのがすごく好き。

いずれにしても、2020年、グレーバーは日本の言説空間でこれまでのほとんど抑え込まれていた感じを超えて読まれた。かねてより、グレーバーの数少ない反応のなかには、専門的読者をのぞけばサッカーの本田氏やサラリーマンのように一般読者があった。矢部くんとの対談でもいってるけどさ、2008年にグレーバーが来たとき、ちょっとしたショックなことをたくさんいったじゃない?

そのなかのひとつが、ふつうの労働者はニセモノのラディカリズムが嫌いなだけで、ホンモノのラディカリズムは好きだということなんだよね。「しかし労働者階級が嫌っているのは、本当のラディカリズムではなくて、ニセのラディカリズムが新自由主義に対抗しようとする仕草であって、本当のラディカリズムを嫌うわけがないと思います」というこれね。

聞くひとによってはそんなバカなとおもうかもしれないけど、自分は実体験からもよくわかるようにおもったんだよね。

でね、グレーバーのさっきいったような日本での独特の読まれ方って、この「ラディカリズム」に響いてるんだともおもうんだよね。へんに「良心的な」ひとほど、いろいろ知識がついたり、「見た目」とかの心配があったりして、恐怖につきまとわれ、なにか本質的な人間の願望とか欲求がみえなくなるというかさ。

だから、基本的に知識階級の受容はあんまり信用してないところがあるんだよね。グレーバーを読むということは、たぶん、知識階級のルールのなかで安心の問いを発し、安心の答えを与え、自分をスマートにみせる、といった態度をバカバカしくみせて、流行ではなくても、みずからの感じた問いを拾って、それを大きな問いに広げて、不器用でも一歩一歩、考えようとすることにあるとおもう。その意味で、ひとからふつうならバカバカしいとおもわれる発想をジグザグしながらつきとめていこうとする——そのぶん翻訳は大変だったけどさ——『ブルシット・ジョブ』は、すべてのそういう探求者にとっての手引きとなるとおもう。日本の「スマート」な知識人と比較して、こちらがエライとかクソみたいなこと、ほんとやめてほしいね。

【酒井隆史(さかい・たかし)】

大阪府立大学教授。社会思想。『通天閣 新・日本資本主義発達史』で第34回サントリー学芸賞受賞。著書に『自由論 現在性の系譜学(完全版)』『暴力の哲学』、訳書にD・グレーバー『官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(共訳)、『負債論 貨幣と暴力の5000年』(共訳)、マイク・デイヴィス『スラムの惑星』(共訳)

【矢部史郎(やぶ・しろう)】

愛知県春日井市在住。文筆・社会批評・現代思想。著書に『夢みる名古屋』、『3・12の思想』、『原子力都市』、『愛と暴力の現代思想』(共著)などがある。

【福田慶太】

フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加