入社式で「今こそ変革を!」と演説する社長を信用しない理由(前編)

入社式で「今こそ変革を!」と演説する社長を信用しない理由(前編)

  • 文春オンライン
  • 更新日:2018/04/17

あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

【写真】「企業変革の古典的事例」といえばこの会社

入社式で社長が新入社員に向けて演説をするとき、やたらと出てくる言葉に「激動期」「変革」がある。「今こそ激動期! だから変革を進めなければいけない」という話に続いて、「いまこそ皆さんの若い発想力と行動力で、わが社の変革を進めてほしい」。

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入社式に限らず、この手の社長メッセージでは昔も今もこれからも「激動期・変革」が最頻出ワードであることは間違いない。

社長の時局認識に大きな影響を与えている日経新聞、この日本を代表する経済メディアもまた「激動期・変革」というワードが大スキだ。どれだけスキかというと、恐るべきことに日経新聞は、僕が生まれてからの53年間に限ってみても、1年365日1日も欠かさず、毎日毎日「今こそ激動期!」と言っているのである。僕の生まれた1964年9月12日も、「新秩序迫られるIMF体制」という一面トップ記事(前日まで東京でIMFの総会があった)で、ちゃんと「激動期において改革の必要性を再認識」という話をしている。

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「激動」が長期間毎日続くというのは論理的にいってちょっとヘンなのだが、それはさて置き、僕はこういう「激動期・変革」おじさん(&おばさん&お兄さん&お姉さん)を信用しない。社長がこんな寝言を言っているようでは、会社は変わらない。「若い発想力と行動力」で何とかなるほど甘いものではないのである。

日経新聞の指摘を待たずとも、世の中は変わっていく。当然である。だから変化に適応して、会社も変わらなければならない。当たり前である。ところがこの企業変革というのが難しい。おそらく経営者にとってもっとも難易度の高い仕事だろう。とりわけ、「出来上がった大企業」にとって、能動的な企業変革は絶望的といってもよいほど難しい。

最大の障壁は「内的一貫性」

経営なり戦略なり組織のひとつの本質はその内的な一貫性にある。僕の専門の戦略を例にとれば、さまざまな要素が論理的因果関係でしっかりつながった「ストーリー」になっていること、これが優れた戦略の条件である。競争優位の根底には、この戦略ストーリーの一貫性がある。

ところが、いざ変革を実現しようとすると、この内的一貫性が最大の障壁となる。一貫性に優れたストーリーほど、個別の構成要素が強力な因果論理でつながっているので、丸ごと書き換えるのが難しい。変革のためにいくつか新しい手を打ったとしても、既存の因果論理の網の目に吸収されてしまう。その結果、従来の戦略のメインラインはほとんど変わらないまま維持される。もっといえば、いったん戦略ストーリーが確立してしまうと、既存の戦略ストーリーにうまく載るようなアクションしか取れなくなる。

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現時点で戦略ストーリーが旬の時期にあるグーグルやアップルも、この宿命からは逃れられないだろう。いずれは戦略ストーリーと世の中の動きとの間に乖離が生まれてくるのは間違いない。そうなったとき、グーグルやアップルがいかに優れた会社であっても、いや、優れた会社であるからこそ、「変化に対応した能動的な戦略転換」に成功する確率は極めて低い、と予想する。逆説的だが、それまでの経営や戦略が優れている企業ほど経営の内的一貫性が高くなり、したがって変わりにくいのである。

企業変革を容易にする条件

だとしたら、変革の実現にとって追い風となる条件は論理的にいって2つしかない。一つは、「そもそも経営の内的一貫性が(まだ)できていない」という状態にあること。生まれたばかりのベンチャー企業であれば、変革はずっと容易になる。歴史的蓄積が浅く、出来上がっているものが何もないからである。しかし、「出来上がった大企業」はこの条件を満たしていない。過去にそれなりに成功した戦略や組織システムを持っている。

さらに変革を難しくするのは、変革が必要であるにせよ、経営や戦略や組織の内的一貫性を構成している要素のすべてが悪いわけではない、という事実である。およそ会社が現実にやっていることで、「どこからどう見ても全面的に非合理」なことなど存在しない。そんな会社は大企業になる前にとっくに潰れている。いまやっていることのすべてにはメリットとデメリットがあるのである。

例えば、時代とのズレが甚だしいと指摘されている「年功序列」「新卒一括採用」という人事制度(というよりも「慣行」といったほうがいいと思うが)。しかし、こうした組織運営の要素が織り成す内的一貫性がかつては十分に理に適っていた。だからこそ大企業へと成長することができたのである。しかも、今この時点ですら、ちょっと考えればすぐわかることだが、従前の慣行にはそれぞれにそれなりの強力な「合理性」がまだ残っている。

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企業変革が相対的にやりやすくなるもう一つの条件は、あからさまに業績が低迷しているということ。ここでのポイントは、普通の「業績不振」では不十分だということだ。「もうこのままでは絶対にやっていけない。近い将来確実にゲームオーバーになる……」という危機感が上から下までヒリヒリした肌感覚で共有されている。ここまで行き詰らないと変革は難しい。

いまは昔の話になるが、1999年にカルロス・ゴーン氏が登板し、日産が大胆な変革に成功したのは周知の通り。それまでの日産は、2兆円の有利子負債を抱え、国内シェアが12%まで落ち込むという明らかな危機状態にあった。常識的に考えて、倒産寸前という状況である。僕も当時はメディアから「日産が倒産したら何が起こると思うか」というコメントをしばしば求められたものだ。

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大胆な企業変革に成功した企業の事例を見ると、変革に先行して、かなりの長い間にわたって業績低迷のフェーズを経験している。「変化に対応」というのは、かけ声として言うのは簡単であるけれども、現実にはほとんど不可能だと思った方がよい。

試しに「変わった」とされる会社の名前を思い浮かべてみてほしい。日産のみならず、80年代のインテル、90年代のIBMやフィリップス、今世紀に入ってからの日立、マツダなどなど、いずれも深刻な業績悪化に苦しんだ末の変革だった。

ヤマトは宅急便(1976年に始まった事業)という社会インフラを創造した偉大な企業だが、このイノベーションの前の「大和運輸」の時代は普通の企業向けトラック輸送の会社であり、長期低迷にあえいでいた(この辺の成り行きを丹念に記述・考察した素晴らしい本が最近出た。沼上幹『小倉昌男 成長と進化を続けた論理的ストラテジスト』がそれである。関心がある方はぜひお読みいただきたい)。

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実際のところ、深刻な業績悪化に長期的に陥った挙句、結局変革を実現できずにそのまま破綻してしまう企業のほうがずっと多い。2012年、ついにチャプター11(編集部注:米連邦破産法第11条)の適用を申請して破産したコダックは、数限りない例の一つだ。銀塩フィルムのカメラがデジタルカメラに代替されていく。このトレンドは今世紀に入った時点ですでに火を見るよりも明らかだった。事実として、コダックの業績は90年代終わりから一貫して左肩上がり(=右肩下がり。右肩下がりというとますます陰鬱になるので、僕は「左肩上がり」と言うようにしている。なんとなく気分が明るくなる)の状況が続いていた。それでも変革に失敗したのである。

企業変革の古典的事例

それぐらい企業変革は難しい。これが「先取り的に変化に対応して会社を抜本的に変えた」という話になると、めったにない。そうした例外的稀少事例の一つにジャック・ウェルチという経営者によるGEの20年がかりの企業変革(1981~2001)がある。

企業変革の代表的事例としてこれまでも何度となく語られてきた古い話である。しかし、経営の内的一貫性の克服という観点からこのストーリーを見直してみると、企業変革について見過ごされがちだった重要な論点が改めて浮かび上がってくる。

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ジャック・ウェルチによるGEの改革は、1981年に彼がCEOに就いたその瞬間から始動した。GEを変革する大胆な意思決定をウェルチは次から次へと繰り出した。彼がCEOになったときのGEは、よく言えば洗練された経営システムで粛々と動いていく安定志向のコングロマリット、悪く言えば官僚的で動きが遅い内向きの「出来上がった会社」だった。20年後にウェルチが退任したときのGEは、やたらと筋肉質で意思決定が早く動きも速い攻撃的な企業グループに180度変わっていた。

退任時に出版されたウェルチの回想録『わが経営』は「チェンジ・マネジメントの教科書」として世界中でベストセラーになった。これ以外にもその前後にはウェルチのGE改革について研究した本が多数出版され、2000年前後のジャック・ウェルチは変革のリーダーシップのアイコンの感があった。

これほどまでに能動的かつ劇的な企業変革の事例は稀有であり、チェンジ・リーダーとしてのウェルチの名前はいまだに語り継がれている。2001年からGEのCEOを引き継ぎ、2017年に退任したジェフリー・イメルトも、優れた経営者であったことは間違いない。しかし、変革という観点からいえば、ウェルチのもたらしたほどのインパクトはなかった。もちろんイメルトも競争環境の変化を受けてさまざまな改革に手をつけてきたが、その多くは「ウェルチ路線の修正作業」であり、非連続的な企業変革のリーダーとしてはウェルチに及ばない。そして現在のGEは、新しいCEOジョン・フラナリーのもとで再び踊り場を迎えている。

「世界一変えにくい会社」

話をジャック・ウェルチの時代に戻す。ウェルチのGE改革を振り返るとき、まず確認しておきたいのは、彼がCEOに就いた当時のGEは、変革を困難にする条件がよどみなくそろいまくりやがっていたという事実だ。GEは「世界一変えにくい」会社だったのである。

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ジャック・ウェルチ氏 ©getty

第1に規模。いまもそうだが、81年当時のGEはアメリカのみならず世界的にみても有数の超大企業だった。81年当時の従業員数は40万人。家族も合わせれば日本の政令指定都市の規模であり、従業員数というよりも「人口」というスケールである。当然のことながら、規模が大きな会社の方が変わりにくい。

第2に複雑性。「アメリカ最後のコングロマリット」と称されるように、いまも昔もGEは多種多様な事業を内部に抱える多角化した大企業だ。この点で、ウェルチのGE改革は、カルロス・ゴーンの日産改革と大きく異なる。日産もまた大企業ではあるが、基本的に「自動車の会社」であり、専業企業といってよい。どちらにせよ変革が困難なのには変わりはないが、ゴーンの日産改革の方が相対的にはまだやりやすかっただろう。自動車事業という軸足に集中して具体的な手を打つことができたからだ。

第3に歴史と伝統。GEは81年当時でもきわめて長い歴史を誇る伝統企業だった。1896年にダウ・ジョーンズ・インデックスがアメリカの12の企業の株を対象につくられたとき、そこに組み込まれている企業で現在も残っているのはGEだけだ。創業者はかの「発明王」トーマス・エジソン。正確にいつのことだかわからない人でも、名前を聞いただけで長い歴史のある会社だということはわかる。

長く続いている企業ほど、会社の中に成功体験が蓄積され、経営の内的一貫性も強固になる。言い換えれば、「しがらみ」が多くなる。

このように、1981年当時のウェルチの眼前には、規模と複雑性と伝統(しかも、いずれも世界最大級)という変革を困難にする条件がそろいまくりやがっていた。これだけでも絶望的に大変なのに、変革を意図するウェルチにとっては、さらに強烈な逆風が吹きつけていた。前任者の達成した輝かしい業績である。

ウェルチの前のCEOは、レグ(レジナルド)・ジョーンズ。ジャック・ウェルチは知っていても、「レグ・ジョーンズ」という名前は聞いたことがないかもしれない。しかし、この人は(81年当時は)世界中に名声をとどろかせた超大物経営者だった。アメリカの代表的なビジネス誌は、いずれも「70年代最高のCEO」の称号をジョーンズに与えていた。

当然のことながら、ウェルチが就任した時点で、ジョーンズに率いられてきたGEの業績は悪くなかった。悪くないどころか、良かった。良いどころか、超優良企業だったのである。70年代の不況をものともせず、ジョーンズは着実に売り上げと利益を引き上げてきた。81年時点でのGEは、傍から見れば企業変革の必要性がまるでないような、高収益企業だった。ようするに、前に引き合いに出したカルロス・ゴーンの日産改革と比較すれば、当時のGEは対照的な状態にあった。

「ナンバー1、ナンバー2戦略」

46歳の若さでCEOに就任したジャック・ウェルチは、即座にGEの変革に動き出した。変革のテーマは主として3つ。第1に、複雑で官僚的な組織を単純で筋肉質の実行志向の組織に変える。第2に、従来の実績に着実に上積みしていく保守的なメンタリティを、飛躍的な成長と増益を目指す攻撃的なものに変える。第3に、国内(北米)に偏った内向きの事業展開を、グローバルに稼げる構造へと変える。このように、ウェルチが掲げた企業変革のテーマは、言葉にすれば「ありふれたもの」だった。成熟した大企業であれば、どこでも言いそうなことばかりだ。

普通ではなかったのは、次から次へと打ち出したアクションの過激さにあった。そのうち最も有名なものとなったのが、イの一番に打ち出された「ナンバー1、ナンバー2戦略」である。市場における地位(単純に言えば市場シェア)が1位もしくは2位でない事業は、早々に1位か2位になれるように立て直さなければならない。それができない事業はすっぱりと撤退、閉鎖、売却する。「集中と選択」といえばそれまでだが、実行の徹底ぶりにおいて、このウェルチの施策は社内外に衝撃を与えた。

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「ナンバー1、ナンバー2」の基準に忠実にウェルチは事業構成の組み換えを遂行した。その結果、短期間のうちに数多くの事業に撤退の決定が下された。当時、とくに耳目をひいたのが家電分野からの撤退だった。かつてのGEは家電のトップブランドとして北米市場に君臨していた。しかし、日本企業をはじめとする競合他社に押され、GEの家電事業部門は市場シェアを失っていき、80年代になると「ナンバー1、ナンバー2」は過去の話になっていた。

家電だけではない。通信や資源系の事業など、規模からいえば決して小さくないものでも、「ナンバー1、ナンバー2」の条件を満たさない事業については撤退が即断された。

「なぜ世界に冠たる優良企業のGEがそこまでして変わらなければならないのか?」というのが、社内の人々に共通の反応だった。数多くの事業からの撤退に対しては、当然のことながら社内の当事者からの反対の声が上がった。家電事業の当事者からしてみれば、「ナンバー1、ナンバー2」でないというだけで「ハイ、それまでよ」というのはあまりに理不尽に見えたのである。

例えば家電事業からの反論はこうだ。GEの多くの事業は(今も昔も)BtoB。その中で、家電は数少ないBtoCの事業分野だ。GEのブランドをつけた製品がアメリカの多くの家庭に入っており、GEの名前を消費者に広めるのに歴史的な役割を担ってきた。そのブランド価値を考えれば短期的な競争ポジションだけで割り切ってしまうのは早計ではないか――。

通信事業にしても、当時のGEで通信にかかわる技術を蓄積していたのはこの事業だけだった。来たるべき通信とコンピューティングの融合(後の「インターネット」)を考えれば、これにしても「ナンバー1、ナンバー2」でないからといってやめてしまうのは明らかに「間違った選択」という意見が社内では強かった。

「ニュートロン・ジャック」の衝撃

ところが、ウェルチはこうした事業をスパッと切ってしまう。理由は単純明快、「ナンバー1、ナンバー2でないから」。あくまでも自分が打ち出した基準に忠実に意思決定し、実行した。

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これと並んで、ウェルチによる初期のGE改革を特徴づけたのは、組織とマネジメントの徹底した簡素化、スリム化だった。最も象徴的だったのは、本社の戦略スタッフの人員を一気に半分に削減したことだ。本社の戦略スタッフと言えば、ジョーンズ時代はGEを動かしていく「ベスト&ブライテスト」の集団として自他ともに認める存在だった。それをウェルチは問答無用で半減したわけで、「本社スタッフ部門」の「戦略計画」で会社を動かしていく従来の経営とは決別するという明確なメッセージとなった。

CEOに就任して数年を経ると、ビジネス・ジャーナリズムはウェルチに「ニュートロン・ジャック」というあだ名をつけた。すなわち「中性子爆弾」。もちろんネガティブな意味合いである。「ひとたび意思決定をすると、生命体はすべてやられるけれども、建物や設備は残っている」という意だ。

もちろん当時からアメリカでは「レイオフ」は普通に行われていた。しかし、これだけ伝統と歴史のある企業が、これだけのスケールで、しかも傍目には業績が好調であるにもかかわらずリストラに手をつけるのは、アメリカの企業経営の歴史においてもかつてないことだった。

20年後に退任するときは偉大なリーダーと称賛されたジャック・ウェルチも、当初の数年は過激な暴れん坊、嫌われ者の「ニュートロン・ジャック」だったのである。

(後編に続きます)

(楠木 建)

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